かつさんのブログで「セットで演奏される曲と個別で弾いても許される曲」という記事を読んで、つらつら考えていて、
コメントしようかと思ったのですがあまりに長くなるのでこちらへ(^^;;
←短くたってプログラミングの醍醐味は
フルセットで弾いてみた曲というと、
シューマン/子供の情景
ラヴェル/ソナチネ
とか。いずれも、全体を弾いたことでわかるおもしろさはあった、確かに…
けど、そもそも「セット」じゃなきゃダメ」と言われていたら最初から取り組まなかったと思う。
ラヴェルでいうと、最初「一楽章だけ」のつもりで弾き始めて、「人前で弾くなら三楽章か?」といって鞍替えし、
さらに何年も経ってから、全楽章通しで弾くのに挑戦したという成り行きです。
昨日の「譜読みは早いうちが吉」とも通じるけど、最初から「無理だ」と切り捨ててしまわないで、譜読みだけでも、あるいは一部分だけでも、弾いてみるというのは大きいんです。将来のハードルを下げます。
今弾いてるベトソナ28も、「二楽章は無理かな? まぁそしたら一楽章だけでもいいや」と弾き始めて、結局二楽章も弾いています。ここから先(三楽章と四楽章)は一生無理だろうと今は思っていますけど、おゆき先生曰く「自分で自分の限界決めちゃわなくていい」。それに、
結局、三楽章と四楽章が一生弾けなかったら、一楽章と二楽章だけでも弾けてよかったなぁと思うし、
結局、三楽章と四楽章がそのうち弾けたら、一楽章と二楽章だけから手をつけてよかったなぁと思うでしょ…アレ??
まぁ要するに、できる(と思う)ところから弾いてみて、損はないわけですよ。どう転んでも。
というのが、弾く側の論理というか、事情なわけですけど、じゃあ一方、聞かされる側としてはどうなのか。
たとえば、私が速い曲弾けないからといって、いろんな曲集から、ゆっくりの曲ばかり寄せ集めて弾いたらどうでしょう。
あるいは、ゆっくりの曲ばかりというわけではなくても、「これとあれ? で、次はそれ?? なんで??」という、何の関連もないバラバラの寄せ集めだったらどうでしょう。
えーなんか、不自然だしつまんない、と思われるかもしれません。
いくらアマチュアでも、自分の持てる技量の範囲内で、聞く人に楽しんでもらえる「プログラム」を考えるというスタンスでいえば、それはちょっと違う。
弾ける曲の中から最大限、
・変化がある
・統一感あるいは一貫性、何かしら「スジ」が通っている
・ほどよい長さ
ということを考えるでしょう。
そのためには、「子供の情景」やラヴェルのソナチネのように、既に優れた作曲家がいい感じにまとめておいてくれたものを丸ごと弾くのも手ではありますけど、だいたい短い時間しか弾けないことが多いのを考えれば、セットの中からの抜粋や、違うところから引っ張ってきた組み合わせでいい感じのプログラムを考えるのもいいと思うんですよ。
たとえば前に、吉松隆のプレイアデスから抜粋で四曲弾いたけど、あれってとてもバランスよかったと思う(自画自賛)
「過去形のロマンス」「多少華やかな円舞曲」「静かなる雨の雅歌」「アレルヤの季節」
組み合わせを考えるのも楽しい。
プロはだいたいセット重視らしいけども、そうでない人もいるよね
バッハ・カレイドスコープ(オラフソン)
これ、「バッハ」という括りではあるけど、平均律セットでとかいうのと違って、ほんとバラバラに組み合わされていて、トランスクリプションとかも混じっていろいろだけど、通して聞くとなんか統一感、清涼感があってとても楽しい。
オラフソンはドビュッシーとラモーのミックスのCDも出したんですよ…ラモーとドビュッシーごちゃごちゃ出てきて最後は「ラモー礼讃」
こんなんありかー!! ってびっくりしたけどこれがすごく癖になるの…(だいぶリピした)
別にオラフソンさんは平均律がセットで弾けないからこうしてるわけではないけど(笑) 我々は弾けるところから弾いて、人に聞かせるときは最大限楽しめるプログラムを考えたらいいと思う。
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フルセットで弾いてみた曲というと、
シューマン/子供の情景
ラヴェル/ソナチネ
とか。いずれも、全体を弾いたことでわかるおもしろさはあった、確かに…
けど、そもそも「セット」じゃなきゃダメ」と言われていたら最初から取り組まなかったと思う。
ラヴェルでいうと、最初「一楽章だけ」のつもりで弾き始めて、「人前で弾くなら三楽章か?」といって鞍替えし、
さらに何年も経ってから、全楽章通しで弾くのに挑戦したという成り行きです。
昨日の「譜読みは早いうちが吉」とも通じるけど、最初から「無理だ」と切り捨ててしまわないで、譜読みだけでも、あるいは一部分だけでも、弾いてみるというのは大きいんです。将来のハードルを下げます。
今弾いてるベトソナ28も、「二楽章は無理かな? まぁそしたら一楽章だけでもいいや」と弾き始めて、結局二楽章も弾いています。ここから先(三楽章と四楽章)は一生無理だろうと今は思っていますけど、おゆき先生曰く「自分で自分の限界決めちゃわなくていい」。それに、
結局、三楽章と四楽章が一生弾けなかったら、一楽章と二楽章だけでも弾けてよかったなぁと思うし、
結局、三楽章と四楽章がそのうち弾けたら、一楽章と二楽章だけから手をつけてよかったなぁと思うでしょ…アレ??
まぁ要するに、できる(と思う)ところから弾いてみて、損はないわけですよ。どう転んでも。
というのが、弾く側の論理というか、事情なわけですけど、じゃあ一方、聞かされる側としてはどうなのか。
たとえば、私が速い曲弾けないからといって、いろんな曲集から、ゆっくりの曲ばかり寄せ集めて弾いたらどうでしょう。
あるいは、ゆっくりの曲ばかりというわけではなくても、「これとあれ? で、次はそれ?? なんで??」という、何の関連もないバラバラの寄せ集めだったらどうでしょう。
えーなんか、不自然だしつまんない、と思われるかもしれません。
いくらアマチュアでも、自分の持てる技量の範囲内で、聞く人に楽しんでもらえる「プログラム」を考えるというスタンスでいえば、それはちょっと違う。
弾ける曲の中から最大限、
・変化がある
・統一感あるいは一貫性、何かしら「スジ」が通っている
・ほどよい長さ
ということを考えるでしょう。
そのためには、「子供の情景」やラヴェルのソナチネのように、既に優れた作曲家がいい感じにまとめておいてくれたものを丸ごと弾くのも手ではありますけど、だいたい短い時間しか弾けないことが多いのを考えれば、セットの中からの抜粋や、違うところから引っ張ってきた組み合わせでいい感じのプログラムを考えるのもいいと思うんですよ。
たとえば前に、吉松隆のプレイアデスから抜粋で四曲弾いたけど、あれってとてもバランスよかったと思う(自画自賛)
「過去形のロマンス」「多少華やかな円舞曲」「静かなる雨の雅歌」「アレルヤの季節」
組み合わせを考えるのも楽しい。
プロはだいたいセット重視らしいけども、そうでない人もいるよね
バッハ・カレイドスコープ(オラフソン)
これ、「バッハ」という括りではあるけど、平均律セットでとかいうのと違って、ほんとバラバラに組み合わされていて、トランスクリプションとかも混じっていろいろだけど、通して聞くとなんか統一感、清涼感があってとても楽しい。
オラフソンはドビュッシーとラモーのミックスのCDも出したんですよ…ラモーとドビュッシーごちゃごちゃ出てきて最後は「ラモー礼讃」
こんなんありかー!! ってびっくりしたけどこれがすごく癖になるの…(だいぶリピした)
別にオラフソンさんは平均律がセットで弾けないからこうしてるわけではないけど(笑) 我々は弾けるところから弾いて、人に聞かせるときは最大限楽しめるプログラムを考えたらいいと思う。
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