アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

たまには音楽以外の芸術を

2016年01月11日 | ピアノ
コンサートホールならしょっちゅう行くけど、滅多に行かないこんな:


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ところに昨日行ってきました。書道展に友人の作品が飾られていたので…

去年も行ったんです(過去記事: ピアノと書道の類似点)。

友人の作品は、漢字がぎっしり並んでいる系の、古典(大昔の中国の書家が書いた作品を基本的には真似して書く)ものです。

古典作品そのものは真似して書きづらいので先生に「お手本」を作ってもらうのですが、最初は「先生の先生」つまりすごい大先生に書いてもらったのだそうです。そしたらそれはすばらしい書だったのですが、淡々としてリズムの中に控えめな変化が含まれている、要するに「枯れた」味のある作品。それをただ真似するとメリハリがないみたいなことになってしまうらしく(ピアノファンの方はイングリット・ヘブラーかワルター・クリーンの弾くモーツァルトを下手に真似して弾こうとして単調になったみたいなところをご想像ください)、「先生」にもうひとつお手本を作ってもらって練習したんだって。

それで練習して練習して…

だいたい身に着いたら、今度はその「先生の先生」が書いたお手本や、原典(っていうのか?)を主に見て練習して…

お子さんが大学生になったのもあって、ご本人おっしゃるには「吐くほど書いた」。なにしろ、一曲弾き終わるのに、じゃなかった、一枚書き終わるのに一時間近くかかるような作品ですから練習も大変です。
#床も広々空いていないと書けませんよ。

練習の甲斐あって去年より大きな賞を取ることができました(^^) ご自分でも満足の行く作品になったそうです。

私は、書のことがまったくわかりませんが、その私が見ても、ある「道」を一歩一歩長々と上り詰めてきた迫力があって、かっこよかったです。そしてまた、その先に、はるかゴールが見えないような「道」が続いているもののようです。

書道作品はひと目で全体を見ることもできますが、詳細に見るなら文字を追って順序に沿って見ていくことになるわけで、そうすると墨の濃い薄い、字の大きい小さい、あるいは配置の微妙な揺れということでリズムがあります。大先生が書くときはそのリズムというか動作が、それはもうすばらしく合理的で美しいものだそうで、私が見に行った日にはやってなかったんですけど、書くところをお客さんが見られる日もあるんだそうです。

「ライブ」ですね。ちょっと見てみたい。

美術館なんて慣れないところにくると、ミュージアムショップもおもしろく、結局こんな戦敗品:


「いらないものは買わなくちゃ(*)」って気分になっちゃうからコワイ。

それで、まだ読み始めたばっかりですけど、おもしろいんですよ。音楽の歴史も、バッハやモーツァルトのような、教会なり貴族なりに雇われてた時代(カツラあり)から、ベートーベン(髪ふりみだしてる)以降の自由に創作する時代へ移っていきますけど、美術の歴史も同じだということがわかります。これまでそういうの、考えたこともなかったよ。(マンガ西洋美術史02「宗教・神話」を描いた画家 ボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ティツィアーノ、エル・グレコ、ルーベンス)


(*)…あるマイミク氏の(単純な)書き間違いから生まれた格言。いるものであればそのとき買わなくても、後で思い出して買えばいいのだが、いらないものはたまたま出会ったとき、たまたま閃いたときに買っておかないともう二度と出会えないかもしれないのだ、という無駄遣いを促進する人生の幅を広げる含蓄深い言葉である

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コメント (2)
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