アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

お互いが値踏みしあう東大生!?

2016年01月28日 | 大学生活
上野千鶴子の「サヨナラ学校化社会」という本の中には、上野氏が「偏差値四流校」から東京大学文学部へ移ってきたときの印象がかなり詳しく書かれています。

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行きたい大学に軒並みコケて、「偏差値四流校」に来る子たちの特徴は、言語や記号を自在に操るというスキルを置き忘れて育っていることと、それから「どうせ」「しょせん」の負け犬意識がこびりついていること。

「親からも教師からも、「どうせおまえなんか」と小さいころから言われつづけ、自分でもそう思い込んでいる若者たちを、「やってごらん」とゼロのスタートラインに立たせるまでが、とにかくひと仕事でした。」

東大生といえばその対極にあるのですが、それなら教えやすいかというとそうでもない。

確かに素直すぎるくらい素直で、「教師の言うことを素直に聞き、なにか言ったらいっせいにそれをノートにとる」「逆説や皮肉を言っても、学生たちはその言葉を額面どおりに受け取る」のですが、大学院生であっても、自分の研究課題を抱えて自分で取り組むほど自立した存在ではなく、口や手を出さないことにはどうにもならない。

そして、レポートを書かせると見事に金太郎飴。授業を聞いた子はその要約、聞いてない子は著書の要約、とにかくソツのないまとめばかりで、なのに「こんなレポート落としてやる」と怒っても、オリジナリティーのかけらもない癖に、要約のツボだけは的確なので落とすこともできない(笑)

ディスカッションをさせようとしてもひたすら沈黙が続く…

「なぜかというと、聴衆は教師の私ではなく、同輩集団がほんとうの聞き手で、その同輩集団のまえでへたなことを言って恥をかいてはいけないというプレッシャーに支配されているからです。」
「おたがいがおたがいを値踏みしあう関係で、失敗することを恐れ、学生どうしのサポーティブな雰囲気がありません。」

という具合に散々ですが、ここに書かれていることは私が大学生だったときとずいぶん印象が違います。

私が入学してまず思ったことは、「みんな私よりずっと要領悪い!!」(爆)

要領よくツボを押さえてちゃっちゃと点数を揃えるタイプが揃っているのかと思ったらさにあらず。私ほど要領で稼いでる人は見当たりませんでした。

印象としては「凸凹くんが多い」

すごくとんがったところがあって、そこでは要領もへったくれもなく、ちゃんと(東大の二次試験で)点数が取れたのでしょう。一方、凹穴の部分はどうしょうもなかったりするのですが(例: よしぞうの英語)、それでトータルで稼いでどうにかなったんでしょうね。入試の科目数が多く、難易度も比較的高いため、穴があってもカバーできて、早慶落ちて東大だけ受かったりするわけです(誰とはいいませんが)。

あまりに凸凹どうしでは、誰が頭がよいとか比べるのも面倒なので、値踏みもしません(できません)。

ただ、「この人好き」「おもしろい」というのがあるだけです。自分の好みに合わせて、興味分野を深掘りしてる人にくっついていって話を聞けば、何でも(タダで)上質のレクチャーが受けられるんです。私は、将棋でも、フルートでも、プログラミングでも、たいていその後に役に立つようなことはあらかた友人から学びました。

なんでここまで印象が違うのか、ということを考えてみるに、
・もちろん立場が違う。教師と学生。
・私がいたのは理系で、上野氏がいたのは文学部。
・時期が違う。上野氏が東大に来たのは1993年(またろうが生まれた年だ)。


理系と文系は、まぁカルチャーの違いもあるでしょうけど、私自身、文系の人ともたくさん知り合いだったし、文系でも興味深掘り凸凹くんであることに違いはないと思うんですよね。

時期の違いといっても、私が就職してから上野氏の赴任まで二年しか空いてないし。


というようなことを、つらつらと考えていて、一つ、思い至ったことがあります。

教師は、担任した学生のことを一応まんべんなく見なければいけませんが、
私は、気に入った人とだけ主に付き合うわけです。

当時の東大が、私の印象にあるほど激しく凸凹くんだらけだったわけではないのかもしれません。

もっと、アベレージ高い隙のない優等生っぽい子がいたとして、
私がそういう子にぜんぜん目が行かなかっただけとか…(否定できない)

あと、私自身が、人に負けたくないというような気持ちがまったくなくて、無料のカルチャーセンターとして(!)このパラダイスを存分に楽しもうという気しかなかったから、そういう(張り合うような)空気があったとしても感じなかった、とか。

ということは、私の目から見たキャンパスライフというのは、私が「結婚相手探し」という目線で過ごしていたためにある一面を偏ってクローズアップして見ていたものなのかもしれません。

たぶん、多数派である男子から見た光景と、少数派である女子から見た光景には、基本的な差というものがあったはず。

私は、その特殊な(?)立ち位置によって、ある部分からは非常に自由になり、ある部分には非常にとらわれていたのかもしれない。と思うと、ちょっと違った見え方がありそうです。(長くなったので半端ですがまた後日)

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コメント (4)
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