アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

音色にこめられた表現

2016年01月09日 | ピアノ
千住真理子コンサートのとき、無伴奏だからか、特に感じたのは、「ざらっ」とした音を多用していることだった。

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同じパルティータを、私がよく家でお仕事するとき用のBGMとして愛用しているヒラリー・ハーンの演奏で聞くと、もっと澄んだ、雑味のない音で弾いていて、もっとなんというか…おしゃれ? 軽やか? 組み立てももっと明瞭で、弾き方全体がより完璧(無傷)志向という感じがする。

別にどちらがいいというのではなくて、どちらの演奏もすごいと思うし、私自身の単なる好みからいっても、どちらが好きと決められないくらい好き。でも違う方向の演奏。

もちろん、ハーンの演奏を生で聞いたことはないし、千住真理子演奏ではあってもCDとコンサートだとだいぶ違うんだけど。

澄んだ音ばっかりにしない、というのは意図してやっていることらしく「わざとザラザラ感を出す」といっています。(「ヴァイオリニストは音になる」(千住真理子))

「クリアな音はなかなか心が入りにくくて、ザラザラ感のある音というのは、ものすごく意味を含んでくる。意味を吸収するような感じですね、ザラザラの部分で。非常に吸収力があって、非常に大切なんじゃないかな。」
「人がマネキン人形みたいに済まして、きれいな顔をしてじっとしていたら何も面白くない。その人が笑ったり怒ったり悩んだり泣いたり、いろいろな表情をするとその人の魅力が出てくる。音もやはりそうじゃないかな。」
「雑音を消していくと、音の表情が消えていってしまう。いろいろな種類の雑音をちょっとずつ配合していくと、音の表情がいろいろ変わっていく。これはヴァイオリンならではかもしれませんが、非常に面白いことができます。」

…これは対談の中での発言で、それを対談相手(山岸)が受けて「それはおっしゃる通りですね。ピアノでやろうと思っても、ある意味ではかなり困難ですよ。」と言っている。

千住さんの弾き方が、「ザラザラ」の部分に表現が含まれている魅力ある演奏になっているのはこれはもうものすごく納得で、特に「生で聞いてみてよかった」と思う部分だけれど、

だからといって、それの対極にあるような作りで弾いているヒラリー・ハーンの演奏が
「マネキン人形みたい」
に当たるかというとぜんぜんそんなことはないわけで。

そういえば、たとえばピアノの場合、さすがにバイオリンほどは音色の幅がないというかそんなに「ザラザラ」の混ぜようがないわけだけど、うまいピアニストであれば、微妙ではあってもはっきりわかる違いとして音色を様々に使い分けながら弾いているはず。

(ジストニアになったあと)「テクニックでは、他のプロには逆立ちしてもかなわないけど、音色を大切に奏でて、人に音楽を通して何かを訴えよう」ということを念頭に「一音一音、丁寧に丁寧に響かせる練習をしました。」「そして、ピアノってシンプルな単音でもこんなに様々な種類の音色が出るし、こんなに美しいんだ…と初心に戻ったような気分で再確認し、音に対して非常に敏感になりました。」
(「7本指のピアニスト」)

バイオリンでなくピアノの場合、あるいは、バイオリンでも「澄んだ音」系の弾き方の場合は、聞く側が「表情(音色)」としてなんとなく捉えているものの中で、実際はフレーズの形とか、和音のバランスとか、そういった複合的な条件から生まれている効果が占めている割合が多いような気がする。

でも、だからって一音一音の音色を大事にすることに意味がないわけじゃない…

ピアニストの中でも、「あくまでクリアな音色を追究」する派と、「ザラザラ感も大事に」する派がいるかな。私がモツソナ全集をCDで持ってるイングリット・ヘブラーさんはめっちゃクリア系。ちょっと、ヒラリー・ハーンのパル3の印象に似ているかも。濁らせなくても表情豊かみたいな。で、それを下手に真似して弾くと、超~平板になって終わり(笑)

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