明治5年(1872)から22年までの間、府中郵便取扱所(郵便局)として使われた矢島家の居宅の一部を復元したものです。矢島家は江戸時代には甲州街道府中宿の番場宿の組頭を勤め、旅籠も営んでいました。
明治維新の時は甲州街道を通る官軍の本陣ともなりました。明治政府が近代郵便制度の確立を急ぐなか、当主の久兵衛が郵便取り扱い役に任命されると、自宅は窓口を設けるなどの改築が加えられ、郵便取扱所として急遽開設されました。
大正時代には洋風建築に改造され、当主源太郎以降、歯科医院として使われてきましたが、昭和61年(1986)に解体、平成元年(1989)に郷土の森博物館に復元されました。
トップ画像が表側。裏側はこう。
どの辺が洋風建築に改造したのか?
あじさいとレトロ建築のコラボ画像です。
旧府中郵便取扱所の裏手には庚申塚があります。
庚申塚といえば、三猿なのか?三猿の石彫よくあるんだよね。
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なんだか原色が溢れてると思いませんか?柔道っていつから畳がなくなったのか?なぜにオレンジなのか?う~む。
…陸上競技開始が楽しみになってきた。トラックがピンク色だったら笑うわ。
さて、今日からgooの形式が一部変わりました。簡単にいえば、CMが記事の後に入る様になりました。ちとうっとおしいけど、まあ無料ブログなのでしょうがないね。
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