説明板発見:江戸時代後期から昭和期まで使われていた茅葺きの農家です。
明治22年(1889)前後に旧坂浜村(稲城市)から移築されて以来、稲作を中心に畑作や養蚕を営んできた越智家の母屋として使われてきました。越智家のある旧芝間村(府中市南町6丁目付近)は府中市の南部、立川段丘崖の下(ハケ下)に広がる水田地帯の村で、現在の郷土の森博物館はその東側に隣接しています。この農家は寄棟造りの屋根と広間を中心にして部屋割りなど古い形式を伝えています。昭和48年(1973)に解体された古材を用いて、多摩川からの辰巳風から母屋を守ったカシグネ(防風垣)とともに、昭和62年(1987)に復元されました。
天井はこんな感じ。
防虫・腐食を兼ねてか、内部で最近火を使った形跡がありました。煙が重要なんだね。
この辺りは府中市郷土の森博物館の復元建物ゾーンの中で小川が流れている側にあります。
上の画像の左側より一段下がった地形となっています。
7月3日でもまだあじさいは綺麗です。やや。実は先ほどの旧府中町役場・旧府中尋常高等小学校辺りのあじさいは既に見頃を過ぎてたから、あんまり期待してなかったんだけどね。嬉しい誤算です。
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明治22年(1889)前後に旧坂浜村(稲城市)から移築されて以来、稲作を中心に畑作や養蚕を営んできた越智家の母屋として使われてきました。越智家のある旧芝間村(府中市南町6丁目付近)は府中市の南部、立川段丘崖の下(ハケ下)に広がる水田地帯の村で、現在の郷土の森博物館はその東側に隣接しています。この農家は寄棟造りの屋根と広間を中心にして部屋割りなど古い形式を伝えています。昭和48年(1973)に解体された古材を用いて、多摩川からの辰巳風から母屋を守ったカシグネ(防風垣)とともに、昭和62年(1987)に復元されました。
天井はこんな感じ。
防虫・腐食を兼ねてか、内部で最近火を使った形跡がありました。煙が重要なんだね。
この辺りは府中市郷土の森博物館の復元建物ゾーンの中で小川が流れている側にあります。
上の画像の左側より一段下がった地形となっています。
7月3日でもまだあじさいは綺麗です。やや。実は先ほどの旧府中町役場・旧府中尋常高等小学校辺りのあじさいは既に見頃を過ぎてたから、あんまり期待してなかったんだけどね。嬉しい誤算です。
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