府中郷土の森博物館の奥です。上の画像をよ~く見て下さい。水が見えるでしょうか?
これは多摩川の流れです。そうなのです、郷土の森博物館は多摩川の側にあるのです。
この辺りは郷土の森博物館のもう一つのアジサイポイントです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/0e/c2734e263d88df7569629df10f48904c.jpg)
アジサイの小径
辺りは梅園です。2月下旬に来れば、梅の林が見えるのでしょうか?
さて、次は…。
旧光岡家長屋門です。
途中、やすらぎの池には、ピンクの睡蓮が咲いていました。ん~?手前は萩の花か?君はなぜに梅雨の季節に咲いているのかな?君の出番は長月じゃっ!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/5e/08cfa63701a1868c31edcb7f6da46468.jpg)
そうそう、半夏生こそ今のシーズンだよ。
…半夏生。7月1日にスーパーに買い物に出かけたら店員が「タコタコ!」と連呼してたのよ。冬至にかぼちゃを食べるごとく、半夏生にはタコを食べるものなんですって!でもなぜにかしら~?
ちなみに、分かっているとは思いますが、半夏生は上の画像の葉っぱが白い植物のことです。夏本番を告げる花だよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/17/c649460a706215ea610a33146a2bb9b8.jpg)
さて、旧光岡家長屋門に到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/03/67b58be0028f6c74c3131f0026e74f0b.jpg)
説明板発見:江戸時代の文政12年(1829)の建築と考えられる農家の長屋門です。
江戸時代に旧是政村(府中市是政)の名主を勤めていた光岡家の分家の門として建てられました。長い建物の中央に門が開く形式が長屋門ですが、両側の部屋は屋根の下も含めてすべてが厚い土壁で覆われる置屋根構造の蔵造りとなっているのが、この長屋門の特徴です。こうした古いタイプのものは都内では他に現存していません。
平成3年(1991)の解体調査で門柱上部のほぞから「文政12年丑正月吉日」の墨書が発見されました。翌年には郷土の森博物館に移築、トタン葺きの屋根が茅葺きにもどされるなど、当初の姿に復元されました。(東京都指定有形文化財)
へえ~~。
これでおしまい…。ん?なんか一つ抜けてたっ!!
いか~~んっ。
抜けていたのは…。
旧河内家住宅(ハケ上の農家)
説明板発見:江戸時代中頃から昭和期まで使われていた茅葺きの農家です。
河内家は旧人見村(府中市若松町)にあり、麦などの畑作や養蚕を営んでいました。人見村は府中市の北東部、立川段丘(ハケ上)を東西に走る人見街道沿いに開けた村です。調査によれば、この建物は天保15年(1844)に旧大沢村(三鷹市)から移築され、その後も明治末期、昭和4年(1929)、昭和33年(1958)に大きな改造があったようです。特に、広間を部屋に区切り、棟の空気抜き室・格子欄間・簀の子天井を設けた明治末期の改造は、保温・通風・採光をよくする養蚕のためのものです。府中で養蚕が最も盛んだった明治末期の姿に復元されました。
う~ん。ここは一つ、ハケ上の農家とハケ下の農家の建物に違いがあるのかないのか?そこも記載して欲しかった。だって、ハケ下の農家は絶対暴れ川だった多摩川の氾濫にあってるはずだもん~。
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これは多摩川の流れです。そうなのです、郷土の森博物館は多摩川の側にあるのです。
この辺りは郷土の森博物館のもう一つのアジサイポイントです。
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アジサイの小径
辺りは梅園です。2月下旬に来れば、梅の林が見えるのでしょうか?
さて、次は…。
旧光岡家長屋門です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/73/882ff421b076035a2e439d5da19c0af6.jpg)
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そうそう、半夏生こそ今のシーズンだよ。
…半夏生。7月1日にスーパーに買い物に出かけたら店員が「タコタコ!」と連呼してたのよ。冬至にかぼちゃを食べるごとく、半夏生にはタコを食べるものなんですって!でもなぜにかしら~?
ちなみに、分かっているとは思いますが、半夏生は上の画像の葉っぱが白い植物のことです。夏本番を告げる花だよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/17/c649460a706215ea610a33146a2bb9b8.jpg)
さて、旧光岡家長屋門に到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/03/67b58be0028f6c74c3131f0026e74f0b.jpg)
説明板発見:江戸時代の文政12年(1829)の建築と考えられる農家の長屋門です。
江戸時代に旧是政村(府中市是政)の名主を勤めていた光岡家の分家の門として建てられました。長い建物の中央に門が開く形式が長屋門ですが、両側の部屋は屋根の下も含めてすべてが厚い土壁で覆われる置屋根構造の蔵造りとなっているのが、この長屋門の特徴です。こうした古いタイプのものは都内では他に現存していません。
平成3年(1991)の解体調査で門柱上部のほぞから「文政12年丑正月吉日」の墨書が発見されました。翌年には郷土の森博物館に移築、トタン葺きの屋根が茅葺きにもどされるなど、当初の姿に復元されました。(東京都指定有形文化財)
へえ~~。
これでおしまい…。ん?なんか一つ抜けてたっ!!
いか~~んっ。
抜けていたのは…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/1b/0460c090d5c33d84e50db7768dc1856c.jpg)
説明板発見:江戸時代中頃から昭和期まで使われていた茅葺きの農家です。
河内家は旧人見村(府中市若松町)にあり、麦などの畑作や養蚕を営んでいました。人見村は府中市の北東部、立川段丘(ハケ上)を東西に走る人見街道沿いに開けた村です。調査によれば、この建物は天保15年(1844)に旧大沢村(三鷹市)から移築され、その後も明治末期、昭和4年(1929)、昭和33年(1958)に大きな改造があったようです。特に、広間を部屋に区切り、棟の空気抜き室・格子欄間・簀の子天井を設けた明治末期の改造は、保温・通風・採光をよくする養蚕のためのものです。府中で養蚕が最も盛んだった明治末期の姿に復元されました。
う~ん。ここは一つ、ハケ上の農家とハケ下の農家の建物に違いがあるのかないのか?そこも記載して欲しかった。だって、ハケ下の農家は絶対暴れ川だった多摩川の氾濫にあってるはずだもん~。
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