あられの日記

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護国寺と桂昌院

2012年08月14日 05時21分47秒 | 墓所巡り
トップ画像は護国寺の本堂です。
護国寺とは…天和元年(1681)2月7日、徳川綱吉の母、桂昌院の願いをうけ建立。本尊は桂昌院の念持仏の琥珀如意輪観音(絶対秘仏)。山号は神齢山悉地院護国寺、寺領300石。翌2年、堂宇が完成。
元禄7年10月、綱吉公と桂昌院が共に護国寺に参詣し、寺領を加増。600石となる。
元禄10年正月(1696)観音堂を新営の命があり、半年の工事を経て8月落慶供養。これが現在の本堂(観音堂)です。元禄時代の建築工芸の粋を結集した大建造物で、その雄大さは都下随一のものです。







以来、綱吉公と桂昌院はしばしば参詣し、護国寺界隈は隆盛。寺領も1200石に加増。境内には様々な建造物が立ち並ぶ大殿字となった。
宝永4年(1707)、寺領は1500石へ。上野寛永寺と並び称される巨刹となったが、享保2年正月(1717)火災で焼失。
明治16年・大正15年の火災で堂宇の多くを失ったが、観音堂(本堂)はそのまま。
鐘楼(付梵鐘)
鐘楼形式の中では、格式の高い袴腰重層入母屋造りの形式で、江戸時代中期の建立です。
袴腰は石積みを擬した人造石洗出仕上げです。この鐘楼は、天保7年(1836)刊行の「江戸名所図絵』に描かれており、天保年間には存在していたそうです。
説明板発見:鐘楼の梵鐘は、天和2年(1682)に寄進されたもの。
銘文には、綱吉の生母桂昌院による観音堂建立の事情が述べられ、護国寺が将軍家の祈願寺として、幕府のあつい庇護を得ていたことを示す貴重な歴史史料である。

最近、石灯籠にも興味があって、あちこちで見て回ってますが、護国寺には西国の石燈籠が何基も並べてあります。
江戸は世界に誇る庭園都市でした。大名は競って屋敷に庭を作りました。そして庭のアクセントになる石燈籠は人気だったんですよね。東京都内には今でも数多くの庭が点在しています。これらの大部分はかつては大名の上屋敷だったり中屋敷だったり下屋敷の一部名残りです。日本庭園には石燈籠がつきもの。ってなことで、石燈籠にも関心が高くなってきた。
画像をとり忘れたんですけど、上の画像は石燈籠の一部です。これを見て、出典の寺院の名前がわかる人は凄いです。

さて、桂昌院って誰ぞや?について少し書いておきますね。
桂昌院は寛永4年(1627)ー宝永2年(1705)の人。江戸幕府3代将軍徳川家光の側室で、5代将軍綱吉の生母です。名前は玉。
彼女は京都の大徳寺の近くで生まれました。詳しい事は不明ですが、西陣織屋の娘・もしくは畳屋の娘。更には大根売りの娘などという記述が残ってます。ま、つまり正確にはわからない。この時代の女性は身分の高い男性との間に子どもをもうけて立身出世というのは多々ありました。お玉さんもこれに当たります。
お玉さんは寛永16年(1639)に御小姓として家光の側室お万の方に仕えました。その際、春日局の部屋子として家光に見初められ、家光の側室となり、正保3年(1646)に綱吉を産みました。
綱吉は家光の4男です。
余談ですが、今でも残る”玉の輿”という言葉は、お玉さんこと桂昌院のことというのが通説です。
京都の今宮神社というのがありまして、この神社は大徳寺に隣接してあります。門前の店の名物が「あぶり餅」。これは玉のような餅を食べ、玉(桂昌院)にあやかろ、という言い伝えがあるそうです。大学時代、今宮神社&大徳寺の近くに住んでまして、あぶり餅は何度も食べましたが、そんな言い伝えがあったとは知りませんでした!へえ~へえ~へえ~!!
次いでなので家光の奥さんと子どもについて少し解説。
家光の正室は鷹司孝子(本理院)…子どもなし ちなみに彼女のお墓の記事はこちら。 徳川家光の奥さんの墓(2012年3月21日)の記事
家光の側室振(自証院)…長女:千代姫 ちなみに彼女の霊廟の記事はこちら。 こんな所にも寛永寺の灯籠が(2011年5月18日)の記事
家光の側室楽(宝樹院)長男、徳川家綱<4代将軍>
家光の側室まさ…次男、亀松(早世) ちなみに、亀松のお墓も伝通院にあります。鷹司孝子の墓の記事に合わせて画像があります。
家光の側室夏(順性院)三男、徳川綱重<甲府藩主>
ちなみに、徳川綱重の下屋敷は根津権現にありました。根津権現(2009年11月16日)の記事 根津権現には綱重の息子・6代将軍徳川家宣が産まれた時の胎盤を埋めた場所が残っています。
家光の側室玉(桂昌院)四男、徳川綱吉<5代将軍>
ちなみに、桂昌院のお墓は芝増上寺にありました。お江と秀忠の墓(2012年3月1日)の記事。 こちらの記事の中に、戦災で焼失する前の増上寺御霊屋の見取図が掲載してあります。これにかつての桂昌院の宝塔の位置が確認出来ます)
家光の側室里佐(定光院)…五男、徳川鶴松(早世)
家光の側室万(永光院)
家光の側室琴(芳心院)
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皆様、今日早朝に発生した金星食見られましたか?
神奈川の空は…雨でした!!
頑張って起きたのですが…。外からは不吉な音か…。
雨かよっ!!
今回みたいに夜間に金星食って久々なのに…。なぜに久々の雨と金星食の発生時間が重なりやがりますか…。
諦め悪く待ってたら、雨が降ってるのに茜色の空になった!なかなかに珍しい現象で驚きました。道路は雨で濡れてるし、向かいのビルの屋上も濡れてて、茜色が反射して美しい~~。
これはこれで儲けた!気がする…。早速携帯カメラを取り出して撮影したのですが…。目で見えてるのになかなか再現出来ないんですね。色が違う~~。
ンな訳はない!とコンデジを取り出してみたのですが…。
やっぱり色が違う。こんなに明るくないっ。つーか微妙な色が。ファンタジーの空が映らない~~。
がっかり…。なので心の眼に焼き付けました。
次の夜に見える金星食は51年後か…。生きてるかしら?
コメント (1)
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