あられの日記

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三条実美と山田顕義の墓

2012年08月17日 05時51分38秒 | 墓所巡り
大隈重信の墓は護国寺の本堂に右手に分かり易くあったけど…。
次は誰だ??
よくわからない~。●●家の墓と墓石に書いてあれば推察出来るのだけど、昔の墓石って法名を刻んであることも多く、そうなるとまず法名を知らないと探しようがないんだね。
う~む。仰々しい墓があるから、それなりな方のお墓のハズ。手がかりは石碑の碑文か?

読んでみる。『故内大臣…元帥陸軍…明治中興…藤原三条氏曽祖右大臣従一位…』。
名前が出て来ない。でもこれ…。
三条実美じゃないかな~?
三条実美はどういう人かと言うと。WIKIで調べた。「天保8年2月7日(1837年3月13日)生まれ。明治24年(1891)死去。日本の公卿。政治家。位階は正一位。爵位は公爵」とあります。「右大臣・太政大臣・内大臣・内閣総理大臣兼任、貴族院議員を歴任。明治政府の最高首脳人物の一人」だそうで。「長州と密接な関係があったようです。国葬を持って送られた。」だそうで。
………。あんまり知らない~。つーか、「新選組」と「坂の上の雲」と「仁-JIN-」どれにも出て来なかったよな~??
せめて墓石が読めたらと思うんだけど、墓所は鍵がかかっていて近づけない。

う~む。念のため、柵の家紋を撮影して次へ。

墓所巡りのコツは、こだわらないこと~。案内してくれる詳しい人がいればいベストですが、そうそう物知り博士はいないんである。
次に見つけたのはこれ。
山田顕義の墓
なぜに山田顕義だと特定出来たかというと、墓所の前にそう書いてあったから。
山田顕義をwikiで検索。「天保15年10月9日(1844)生まれ。明治25年(1892)死去。長州藩士。政治家。陸軍軍人。明治維新期の軍人として新政府に貢献するとともに新日本の建立者として、近代日本の法典整備に力を尽くした」だそうです。あと、日本大学・国学院大学の創設者でもあります。
そういえば、世田谷の吉田松陰神社にも山田顕義の名前があったような…。松下村塾の塾生出身なのですね。
ん?なんか変わった形のお墓が…。
故権典侍正五位橋太夏子とあります。
お墓のこの形って、皇室に近いお墓だよね。そういえば、護国寺の東側って、皇室関係の墓域になってるんだった。何か関係あるのかな?
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コメント
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