訪問日は2013年11月23日。
WEBで小田原宿観光回遊バス<1日何回乗っても200円>という観光バスが10月5日から11月24日までの毎週土日・祝日に限り運行されているのを知りました。これ、いいっ!!
小田原へはあじさいの花見。小田原散策開始(2012年6月29日)の記事 小田原城東堀の紫陽花(2012年6月30日)の記事
明治の邸宅巡り。小田原清閑亭(2011年11月13日)の記事 「坂の上の雲」秋山真之終焉の地(2011年11月10日)の記事 北原白秋童謡館(2011年11月9日)の記事 龍馬暗殺現場に駆けつけた?(2011年11月8日)の記事 伊藤博文別邸跡(2011年11月7日)の記事
小田原城総構え残存跡 小田原城幸田門口跡(2010年5月1日)の記事 小田原城総構えを歩こう(2010年5月7日)の記事 早川口遺構と大久保一族の墓(2011年11月14日)の記事 小田原城東曲輪(2010年7月13日)の記事など既に何度か訪問していますが、未だに行けてない所があったのです。
それは豊臣秀吉の一夜城跡。
パスしてる訳は、一夜城が低くはあるものの山の上にあるからです。でも小田原宿観光回遊バスの運行コースのバス停に石垣山一夜城歴史公園が入ってるのだ!これはもう行くしかあるまい~と。ワクワクして出かけました。
ただ、観光回遊バスの始発が、小田原駅東口発午前10時ってどないよ?秋の夕暮れをなめてるのか?キ~~~っ!と半分やさぐれてバス乗り場に到着したらば、既にバス待ちの行列が出来てました。
あれ~~?だ・大丈夫か??
何を心配してるか?というと、『観光回遊バスの乗車定員は、法律で定められています。満席の場合は、次のバスにご乗車ください』の一文がありまして、どういう事かというと、立って乗車出来ません!って事ですね。ン~~??
なんとなく何でや!と不思議に思ってたんだけど、やって来た回遊バスは小型バスだった!だ、大丈夫かな~?
心配したものの、なんとか席も無事確保出来ました。バスは定時に出発。
観光回遊バスにはバスガイドさんがつきます。小田原宿の歴史や見所をガイドしてくれます。
小田原駅東口の次のバス停は「学び橋」。バスガイドさんは「学び橋の奥に小田原城の天守が見えます」でした。
う…。これは…。木が大き過ぎるかも?木が高過ぎるな。
10時3分。学び橋を通過。バスは旧東海道に出ます。次のバス停は「中宿町」。お正月の箱根駅伝の中継ポイント近くです。そしてバスは箱根方面へ。
板橋見附でかつての東海道の名残を残す細い道へ。すぐに次のバス停「松永記念館入口」へ。10時8分ここで下車します。
と。バス停の向かいにレトロ建築がありました。ここが内野家住宅です。
箱根板橋 内野家住宅(旧内野醤油店)特別公開公開時間:午前10時ー午後3時半。 入館料150円。
内野家は明治36年に建築され、醤油醸造業を経営していました。
明治の頃、川越で大火事があったけれども、土蔵造りの家だけは火事に合わなかった事から、当時土蔵造り風の町家が流行しました。内野家の当主も、土蔵造りを取り入れました。トップ画像は旧東海道に面していた側の建物です。土蔵によくあるなまこ壁が見えます。
石造りアーチなど、和洋折衷風の特徴がある意匠が取り入れられた建造物となっています。
まずは受付で入館料を支払いますと、受付の方が屋内に向けて声をかけました。「お客さん~。ご案内して~」
ん?
と。室内から法被を着た人が登場~。
んん~?もしかしてガイド付き??
ハイ。予想通り!内野家の公開は板橋まちなみファクトリーさん主催の公開イベントでした。
写真右手の男性が、内野種三郎氏。
内野家は酒の醸造業を営んでいた本家から内野種三郎氏(万延元年・1860生まれ)が分家して、箱根板橋で醤油醸造業を始めました。この種三郎氏が、内野家の建物を明治36年(1903)2月に着工、同年11月に竣工しました。
当時、川越の大火事で蔵造りの建物は被害を受けなかった事から、種三郎氏の意向で防火重視の蔵造りで建設。道路に面して袖蔵・店蔵が並んでいます。石のアーチの入口を入ると右手に小さな座敷があり、そこで客と対応してたそうです(画像取り忘れ)。
客と対応した小部屋の奥が母屋の住居部分。
レトロ建築は最近マイブームであれこれ見て回ってますが、入れ物だけ公開されてもどう使ってるか?想像が働かないのが残念でした。この内野家は内部もかつてのあれこれが展示されてて嬉しいです。
先ほどの部屋の奥にあるのがここ(上の画像は奥が旧東海道に面する表部分)。座敷ですね。欄間が女性の櫛にデザインしてあるのは、この部屋が女性用だから。なんか家の行事する時に使用したそうです。
この部屋で間に合わない時は、ふすまを払って一部屋にして使用したとか。尚、内野家では、襖と障子は夏用・冬用があるそうで、訪問した11月23日には既に冬用に取り変え済みでした。
床の間の脇の指物の細工がピカ一です。これは~、箱根だからかも?
さて、家の左側へ移動。
こちらはかつての隠居部屋。
後から増築した部屋だそうです。炉が切ってあって、趣味の部屋ですね。
趣味の部屋の廊下は窓の外のデザインも素敵です。
さて、内野家には階段が2つあります。来客用と普段用。まずは来客用の階段を上がります。
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鎌倉の化粧坂切り通しの通行止めが12月5日より解除されました。
10月11日午後に発生した倒木と土砂崩れで源氏山公園内の化粧坂切り通し。通れるようになりました。源氏山公園はお弁当を食べれる貴重な場所。寿福寺や浄智寺、銭洗弁天からも上れるけど、海蔵寺と組み合わせて観光すると化粧坂が使えないのは辛い。早く通れるようになってよかったです。鎌倉市にしては早い対応ですね。この早さを釈迦堂の切り通しでも発揮してくれよ。もう何年通行止めが続くんだ…。
WEBで小田原宿観光回遊バス<1日何回乗っても200円>という観光バスが10月5日から11月24日までの毎週土日・祝日に限り運行されているのを知りました。これ、いいっ!!
小田原へはあじさいの花見。小田原散策開始(2012年6月29日)の記事 小田原城東堀の紫陽花(2012年6月30日)の記事
明治の邸宅巡り。小田原清閑亭(2011年11月13日)の記事 「坂の上の雲」秋山真之終焉の地(2011年11月10日)の記事 北原白秋童謡館(2011年11月9日)の記事 龍馬暗殺現場に駆けつけた?(2011年11月8日)の記事 伊藤博文別邸跡(2011年11月7日)の記事
小田原城総構え残存跡 小田原城幸田門口跡(2010年5月1日)の記事 小田原城総構えを歩こう(2010年5月7日)の記事 早川口遺構と大久保一族の墓(2011年11月14日)の記事 小田原城東曲輪(2010年7月13日)の記事など既に何度か訪問していますが、未だに行けてない所があったのです。
それは豊臣秀吉の一夜城跡。
パスしてる訳は、一夜城が低くはあるものの山の上にあるからです。でも小田原宿観光回遊バスの運行コースのバス停に石垣山一夜城歴史公園が入ってるのだ!これはもう行くしかあるまい~と。ワクワクして出かけました。
ただ、観光回遊バスの始発が、小田原駅東口発午前10時ってどないよ?秋の夕暮れをなめてるのか?キ~~~っ!と半分やさぐれてバス乗り場に到着したらば、既にバス待ちの行列が出来てました。
あれ~~?だ・大丈夫か??
何を心配してるか?というと、『観光回遊バスの乗車定員は、法律で定められています。満席の場合は、次のバスにご乗車ください』の一文がありまして、どういう事かというと、立って乗車出来ません!って事ですね。ン~~??
なんとなく何でや!と不思議に思ってたんだけど、やって来た回遊バスは小型バスだった!だ、大丈夫かな~?
心配したものの、なんとか席も無事確保出来ました。バスは定時に出発。
観光回遊バスにはバスガイドさんがつきます。小田原宿の歴史や見所をガイドしてくれます。
小田原駅東口の次のバス停は「学び橋」。バスガイドさんは「学び橋の奥に小田原城の天守が見えます」でした。
う…。これは…。木が大き過ぎるかも?木が高過ぎるな。
10時3分。学び橋を通過。バスは旧東海道に出ます。次のバス停は「中宿町」。お正月の箱根駅伝の中継ポイント近くです。そしてバスは箱根方面へ。
板橋見附でかつての東海道の名残を残す細い道へ。すぐに次のバス停「松永記念館入口」へ。10時8分ここで下車します。
と。バス停の向かいにレトロ建築がありました。ここが内野家住宅です。
箱根板橋 内野家住宅(旧内野醤油店)特別公開公開時間:午前10時ー午後3時半。 入館料150円。
内野家は明治36年に建築され、醤油醸造業を経営していました。
明治の頃、川越で大火事があったけれども、土蔵造りの家だけは火事に合わなかった事から、当時土蔵造り風の町家が流行しました。内野家の当主も、土蔵造りを取り入れました。トップ画像は旧東海道に面していた側の建物です。土蔵によくあるなまこ壁が見えます。
石造りアーチなど、和洋折衷風の特徴がある意匠が取り入れられた建造物となっています。
まずは受付で入館料を支払いますと、受付の方が屋内に向けて声をかけました。「お客さん~。ご案内して~」
ん?
と。室内から法被を着た人が登場~。
んん~?もしかしてガイド付き??
ハイ。予想通り!内野家の公開は板橋まちなみファクトリーさん主催の公開イベントでした。
写真右手の男性が、内野種三郎氏。
内野家は酒の醸造業を営んでいた本家から内野種三郎氏(万延元年・1860生まれ)が分家して、箱根板橋で醤油醸造業を始めました。この種三郎氏が、内野家の建物を明治36年(1903)2月に着工、同年11月に竣工しました。
当時、川越の大火事で蔵造りの建物は被害を受けなかった事から、種三郎氏の意向で防火重視の蔵造りで建設。道路に面して袖蔵・店蔵が並んでいます。石のアーチの入口を入ると右手に小さな座敷があり、そこで客と対応してたそうです(画像取り忘れ)。
客と対応した小部屋の奥が母屋の住居部分。
レトロ建築は最近マイブームであれこれ見て回ってますが、入れ物だけ公開されてもどう使ってるか?想像が働かないのが残念でした。この内野家は内部もかつてのあれこれが展示されてて嬉しいです。
先ほどの部屋の奥にあるのがここ(上の画像は奥が旧東海道に面する表部分)。座敷ですね。欄間が女性の櫛にデザインしてあるのは、この部屋が女性用だから。なんか家の行事する時に使用したそうです。
この部屋で間に合わない時は、ふすまを払って一部屋にして使用したとか。尚、内野家では、襖と障子は夏用・冬用があるそうで、訪問した11月23日には既に冬用に取り変え済みでした。
床の間の脇の指物の細工がピカ一です。これは~、箱根だからかも?
さて、家の左側へ移動。
こちらはかつての隠居部屋。
後から増築した部屋だそうです。炉が切ってあって、趣味の部屋ですね。
趣味の部屋の廊下は窓の外のデザインも素敵です。
さて、内野家には階段が2つあります。来客用と普段用。まずは来客用の階段を上がります。
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鎌倉の化粧坂切り通しの通行止めが12月5日より解除されました。
10月11日午後に発生した倒木と土砂崩れで源氏山公園内の化粧坂切り通し。通れるようになりました。源氏山公園はお弁当を食べれる貴重な場所。寿福寺や浄智寺、銭洗弁天からも上れるけど、海蔵寺と組み合わせて観光すると化粧坂が使えないのは辛い。早く通れるようになってよかったです。鎌倉市にしては早い対応ですね。この早さを釈迦堂の切り通しでも発揮してくれよ。もう何年通行止めが続くんだ…。