田戸台分庁舎は、横須賀鎮守府司令長官官舎として、1913年(大正2)に建設されました。
建設時の横須賀鎮守司令長官官舎じゃアメリカ海軍兵学校を1881年(明治14)に卒業した海軍中将瓜生外吉(『坂の上の雲』に登場してましたね。確か大学の同窓の縁で、アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトに日露戦争の終結の仲介を引き受けてもらえるように交渉にいかされてた人だった気が…。あ。小田原に瓜生外吉の胸像があったハズ。
瓜生外吉の胸像(2011年11月11日)の記事)であり、令夫人は1871年(明治4)日本政府が初めて勉学のためアメリカに送った数名の女子留学生に選ばれ、1881年(明治14)にアメリカの大学を卒業されています。
更に企画設計にあたった桜井小太郎氏は、ロンドン大学で学び、日本人発の英国公認建築士の称号を得た人で、帰国後海軍技師となり、呉の建築科長を経て1908年(明治41)から3年間横須賀海軍経理部建築科長を務めました。呉時代の1905年(明治38)に設計した呉鎮守府司令長官官舎は、国の重要文化財に指定され「入船山記念館」として一般公開されています。

建築当時の様子。



洋風館と和風館の接続住宅で、洋風館部分は木造平屋建て、亜鉛葺き切妻屋根で、イギリス住宅の特徴であるハーフティンバー(柱をそのまま見せて、その間の壁を漆喰などで埋めたもの)を基本にした建物で、現在は煉瓦タイル張りになっておりますが、もとは下見板張りでした。
暖炉はリビングルームと、現在は記念館としている応接間の二カ所にあり、基礎部分と同じ石張りの煙突が突き出しています。もっとも美しく特徴的なのは、庭園に面したベランダ側でリビング部分の貼り出した切妻やねと、三連のチューダーアーチを挟んだ位置にあるトンガリ屋根のベイウインドーであり、流れるようなカーブの屋根に設けられた屋根窓と、ベイウィンドーの上部の小窓は、屋根裏部屋の明かり取りになっています。和風館部分は二階建てで、階下には8帖の和室を備えており、いずれも簡素で機能的に作られております。
初代入邸者は海軍中将東伏見宮依仁親王であり、以来1945年(昭和20)の終戦まで34代(31人)の歴代司令長官が居住されました。
終戦後はアメリカに接収され、1964年(昭和39)まで9人の在日米海軍司令官等が居住されました。以上、見学のしおりより転載。




ちなみに、公開は1階部分のみ。説明板も設置されていたのですが、撮影に失敗しました。手ブレしちゃいました~~っ。
さて、次に行こう!時刻は既に10時半を過ぎてしまいました…。
あ。マンホールあった!横須賀のマンホールはペリー提督なのか~。

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建設時の横須賀鎮守司令長官官舎じゃアメリカ海軍兵学校を1881年(明治14)に卒業した海軍中将瓜生外吉(『坂の上の雲』に登場してましたね。確か大学の同窓の縁で、アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトに日露戦争の終結の仲介を引き受けてもらえるように交渉にいかされてた人だった気が…。あ。小田原に瓜生外吉の胸像があったハズ。
瓜生外吉の胸像(2011年11月11日)の記事)であり、令夫人は1871年(明治4)日本政府が初めて勉学のためアメリカに送った数名の女子留学生に選ばれ、1881年(明治14)にアメリカの大学を卒業されています。
更に企画設計にあたった桜井小太郎氏は、ロンドン大学で学び、日本人発の英国公認建築士の称号を得た人で、帰国後海軍技師となり、呉の建築科長を経て1908年(明治41)から3年間横須賀海軍経理部建築科長を務めました。呉時代の1905年(明治38)に設計した呉鎮守府司令長官官舎は、国の重要文化財に指定され「入船山記念館」として一般公開されています。

建築当時の様子。




洋風館と和風館の接続住宅で、洋風館部分は木造平屋建て、亜鉛葺き切妻屋根で、イギリス住宅の特徴であるハーフティンバー(柱をそのまま見せて、その間の壁を漆喰などで埋めたもの)を基本にした建物で、現在は煉瓦タイル張りになっておりますが、もとは下見板張りでした。
暖炉はリビングルームと、現在は記念館としている応接間の二カ所にあり、基礎部分と同じ石張りの煙突が突き出しています。もっとも美しく特徴的なのは、庭園に面したベランダ側でリビング部分の貼り出した切妻やねと、三連のチューダーアーチを挟んだ位置にあるトンガリ屋根のベイウインドーであり、流れるようなカーブの屋根に設けられた屋根窓と、ベイウィンドーの上部の小窓は、屋根裏部屋の明かり取りになっています。和風館部分は二階建てで、階下には8帖の和室を備えており、いずれも簡素で機能的に作られております。
初代入邸者は海軍中将東伏見宮依仁親王であり、以来1945年(昭和20)の終戦まで34代(31人)の歴代司令長官が居住されました。
終戦後はアメリカに接収され、1964年(昭和39)まで9人の在日米海軍司令官等が居住されました。以上、見学のしおりより転載。





ちなみに、公開は1階部分のみ。説明板も設置されていたのですが、撮影に失敗しました。手ブレしちゃいました~~っ。
さて、次に行こう!時刻は既に10時半を過ぎてしまいました…。
あ。マンホールあった!横須賀のマンホールはペリー提督なのか~。

