昨日に引き続き鎌倉にある旧華頂宮邸一般公開の紹介です。
まずは洋館部分の紹介続きから。昨日のブログ記事に掲載した写真で紹介しきれなかったのだ。

邸宅内には暖炉が複数ありました。目隠しの模様が面白かったです。これは梅ですかね?


この部屋の暖炉の目隠しも面白かったけれど、暖炉上の照明も素敵でした。

水回りはさすがにオリジナルとはいかないようで、近代的なバスタブに変わってます。

風呂は湿気が篭り易い場所。どうやって空調を確保してるのか?天井部には空気抜きがない。画像奥の換気ダクトしかない。湿気を逃がすのは窓の開閉で補う仕組みのようで、風呂場には小窓が複数つけてあしました。つーか、華頂宮って窓多いな。この建物いつできたんだっけ?あ~と?建設は昭和4年か。あ、ついでなので、建物の特徴も紹介しときますね。
旧華頂宮邸は、神奈川県内の戦前の洋風建築としては鎌倉文学館(旧前田侯爵別邸)に次ぐ大規模なもので、戦前の洋風住宅建築を代表するものとして評価されています。
外観は、西洋民家に見られるハーフティンバースタイル(柱・梁などをそのまま外部に現し、その間の壁を石材、土壁などで充填したもの)で、極めて整然としていて古典的ですらあります。
北側玄関側にファサードは凸凹、壁面模様もあってピクチュアレスク(ロマンチックな題材になりそう)な感じを与え、南側庭園と相まって嘆声で厳然としています。
多くの部屋にはスチーム暖房用の大理石のマントルピースが設置されていて、当時を偲ばせます。また、広い玄関ホール・階段室が、この建物の最も魅力的な空間の一つともいえますが、創建後、いく度か改装が行われており、特に壁などの内装は、当時のものから大分変えられているようです。

邸宅には、和室も設えられています。

こちらは使用人用もしくは普段使い用の階段かな?そう。階段は邸宅に2つあったのね。

庭を眺めた後、和館(無為庵)へ向かいます。こちら、帰りかけた時に見学客の流れがおかしい事に気付きまして、初めて和館も公開されてるのがわかりました!危なかった~。見ずに帰る所でした~。

さて、無為庵は、かつて東京・上大崎にありました。茶室と門を昭和10年に移築したもので、昭和52年には増築が行われています。

無為庵の名前の由来は、棟札に「六十五歳にして浄明寺宅間ケ谷に余生を送らんが為、無為庵主」と記されていることによります。

薬医門の冠木の両端部に獅子の彫刻をもち、寺院のような立派な門構えとなっています。

茶室の天井は中央を八角形とし、16本の棹縁を放射状に通しており、柱などにかりん、南天、皮付きの桜や竹といった奇木を使用するなど、奇抜な趣向を凝らしています。茶室は数寄屋趣味の横溢するのもであり、茶道が社交の重要な要素であった戦前の日本文化を端的に示す貴重な遺構といえます。(以上配布チラシより)



素敵な石橋だわ~。
さて、次行ってみよう~っ!
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まずは洋館部分の紹介続きから。昨日のブログ記事に掲載した写真で紹介しきれなかったのだ。

邸宅内には暖炉が複数ありました。目隠しの模様が面白かったです。これは梅ですかね?


この部屋の暖炉の目隠しも面白かったけれど、暖炉上の照明も素敵でした。

水回りはさすがにオリジナルとはいかないようで、近代的なバスタブに変わってます。

風呂は湿気が篭り易い場所。どうやって空調を確保してるのか?天井部には空気抜きがない。画像奥の換気ダクトしかない。湿気を逃がすのは窓の開閉で補う仕組みのようで、風呂場には小窓が複数つけてあしました。つーか、華頂宮って窓多いな。この建物いつできたんだっけ?あ~と?建設は昭和4年か。あ、ついでなので、建物の特徴も紹介しときますね。
旧華頂宮邸は、神奈川県内の戦前の洋風建築としては鎌倉文学館(旧前田侯爵別邸)に次ぐ大規模なもので、戦前の洋風住宅建築を代表するものとして評価されています。
外観は、西洋民家に見られるハーフティンバースタイル(柱・梁などをそのまま外部に現し、その間の壁を石材、土壁などで充填したもの)で、極めて整然としていて古典的ですらあります。
北側玄関側にファサードは凸凹、壁面模様もあってピクチュアレスク(ロマンチックな題材になりそう)な感じを与え、南側庭園と相まって嘆声で厳然としています。
多くの部屋にはスチーム暖房用の大理石のマントルピースが設置されていて、当時を偲ばせます。また、広い玄関ホール・階段室が、この建物の最も魅力的な空間の一つともいえますが、創建後、いく度か改装が行われており、特に壁などの内装は、当時のものから大分変えられているようです。

邸宅には、和室も設えられています。

こちらは使用人用もしくは普段使い用の階段かな?そう。階段は邸宅に2つあったのね。

庭を眺めた後、和館(無為庵)へ向かいます。こちら、帰りかけた時に見学客の流れがおかしい事に気付きまして、初めて和館も公開されてるのがわかりました!危なかった~。見ずに帰る所でした~。

さて、無為庵は、かつて東京・上大崎にありました。茶室と門を昭和10年に移築したもので、昭和52年には増築が行われています。

無為庵の名前の由来は、棟札に「六十五歳にして浄明寺宅間ケ谷に余生を送らんが為、無為庵主」と記されていることによります。

薬医門の冠木の両端部に獅子の彫刻をもち、寺院のような立派な門構えとなっています。

茶室の天井は中央を八角形とし、16本の棹縁を放射状に通しており、柱などにかりん、南天、皮付きの桜や竹といった奇木を使用するなど、奇抜な趣向を凝らしています。茶室は数寄屋趣味の横溢するのもであり、茶道が社交の重要な要素であった戦前の日本文化を端的に示す貴重な遺構といえます。(以上配布チラシより)



素敵な石橋だわ~。
さて、次行ってみよう~っ!
