大佛次郎茶亭も旧華頂宮邸と同じく春・秋年2回公開(公開時間10:00-16:00)されています。
以前、鎌倉幕府所在地巡りをやった事があるのですが、大佛次郎茶亭は、三代目の若宮大路幕府跡の石碑の立っている後ろてになります。 鎌倉幕府所在地(2010年4月4日)の記事
なぜ詳しく書いているか?といえば、大佛次郎茶亭の所在がわからず、ほんの30メートル離れた所で迷ってた年配の方がいらしたからです。
そうなのね。地元民の生活路のこの道はちょっと細いし、クランクに曲がった先だからわかりにくいのね。
ま。何はともあれ、中に入りましょう~。

あれ?思ってたのと違う…。これって、大佛次郎さんの住まいというより、接待のお茶室じゃん~??

和室の中に炉を切ってますね。
つーか、この建物小ぶりなわりに地味派手な造りだわ~~。
まず。軒裏の天井をば見て下さい。

なんと!網代天井ですよっ!軒裏だから屋外なのね。
んで中の回り廊下の天井は?というと!
桧皮ぶきですわ。
これだけでも大概ですが。和室の天井ときたら。
古代杉だか古代檜ですよ。そこ確認出来なかったんですが。中の部屋で見上げる事出来なかったのが残念でした。
目隠しも素敵かわいい。
お庭では被毛氈を敷いた床几やパイプ椅子がおかれていて、ここでお茶がいただけます。
う…。お作法は知らないが~。ここでお茶をいただくのは正しい気がする。ってな訳で、お茶代300円を支払って一服です。あ~、なんか癒されるう~~。

ところで、大佛次郎って何者!?や~、もう知ってる人少なくなったよなあ~。私はギリギリテレビだか映画だかでやっていた大佛次郎原作の『鞍馬天狗』の番組を見た記憶が残ってます。当時白黒番組だった気が…。
大佛次郎は、明治30年(1897)に横浜市に生まれました。大正10年(1921)から鎌倉に住み、幾度かの引っ越しの後、昭和27年(1952)にこの茶亭を購入しました。


ボランティアさんに聞いてみた。
私「大佛次郎さんはどの部屋で執筆していたのですか?」
ボランティア「ここでは殆ど書かれてなかったようです。先生が書く時は、横浜のニューグランドホテルに篭って書いてらしたようです」
私「あ。だから港の見える丘公園に大佛次郎記念館があるんですかね?」
ボランティア「先生は20代まで横浜で、その後ずっと鎌倉に住まれました。もっとも住居は小径を隔てた向こう側の家にあって、茶亭はもっぱら接待や友人と楽しむ場所として使っていたそうです」
へえ~へえ~へえ~。

確かにお庭に咲くしだれ桜は素晴らしい。
先生が友人を招いて花見の宴を催したい気持ちもわかるわ~。
時刻は早くも14時50分。
イカンなあ~。今日明日限定で公開されるレトロ建築は、あと2つ残ってるんだけど間に合いそうにないわ…。
私「ここで提案があります。4時までにいけるけど、見学時間はないので吉屋信子邸を諦めて、鶴岡八幡宮の源氏池の桜を見に行きませんか?」
実は八幡裏を抜けるとす~ぐなんだよね。鎌倉をウロウロしまくってるので、たとえ地図を落としたか家に忘れたかしても道はもう覚えてるのだ。
ダンナのOK!の出たので早速移動です。
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以前、鎌倉幕府所在地巡りをやった事があるのですが、大佛次郎茶亭は、三代目の若宮大路幕府跡の石碑の立っている後ろてになります。 鎌倉幕府所在地(2010年4月4日)の記事
なぜ詳しく書いているか?といえば、大佛次郎茶亭の所在がわからず、ほんの30メートル離れた所で迷ってた年配の方がいらしたからです。
そうなのね。地元民の生活路のこの道はちょっと細いし、クランクに曲がった先だからわかりにくいのね。
ま。何はともあれ、中に入りましょう~。

あれ?思ってたのと違う…。これって、大佛次郎さんの住まいというより、接待のお茶室じゃん~??

和室の中に炉を切ってますね。
つーか、この建物小ぶりなわりに地味派手な造りだわ~~。
まず。軒裏の天井をば見て下さい。

なんと!網代天井ですよっ!軒裏だから屋外なのね。
んで中の回り廊下の天井は?というと!

これだけでも大概ですが。和室の天井ときたら。


お庭では被毛氈を敷いた床几やパイプ椅子がおかれていて、ここでお茶がいただけます。
う…。お作法は知らないが~。ここでお茶をいただくのは正しい気がする。ってな訳で、お茶代300円を支払って一服です。あ~、なんか癒されるう~~。

ところで、大佛次郎って何者!?や~、もう知ってる人少なくなったよなあ~。私はギリギリテレビだか映画だかでやっていた大佛次郎原作の『鞍馬天狗』の番組を見た記憶が残ってます。当時白黒番組だった気が…。
大佛次郎は、明治30年(1897)に横浜市に生まれました。大正10年(1921)から鎌倉に住み、幾度かの引っ越しの後、昭和27年(1952)にこの茶亭を購入しました。


ボランティアさんに聞いてみた。
私「大佛次郎さんはどの部屋で執筆していたのですか?」
ボランティア「ここでは殆ど書かれてなかったようです。先生が書く時は、横浜のニューグランドホテルに篭って書いてらしたようです」
私「あ。だから港の見える丘公園に大佛次郎記念館があるんですかね?」
ボランティア「先生は20代まで横浜で、その後ずっと鎌倉に住まれました。もっとも住居は小径を隔てた向こう側の家にあって、茶亭はもっぱら接待や友人と楽しむ場所として使っていたそうです」
へえ~へえ~へえ~。

確かにお庭に咲くしだれ桜は素晴らしい。
先生が友人を招いて花見の宴を催したい気持ちもわかるわ~。

イカンなあ~。今日明日限定で公開されるレトロ建築は、あと2つ残ってるんだけど間に合いそうにないわ…。
私「ここで提案があります。4時までにいけるけど、見学時間はないので吉屋信子邸を諦めて、鶴岡八幡宮の源氏池の桜を見に行きませんか?」
実は八幡裏を抜けるとす~ぐなんだよね。鎌倉をウロウロしまくってるので、たとえ地図を落としたか家に忘れたかしても道はもう覚えてるのだ。
ダンナのOK!の出たので早速移動です。
