あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

麻溝公園の西洋あじさい2018.6.15見頃 その3

2018年06月15日 11時15分54秒 | アジサイ散歩
2018.6.12訪問。麻溝公園には200品種・6000株のあじさいが植栽されてます。5月末に山あじさいが開花。現在はアスレチック場の外周にあるあじさい順路で西洋あじさいが見頃を迎えています。

実はですね、順路の左右にあじさいが植栽されているのですが、画像右側はフェンスの外に向かって花がついてるので、順路からはほとんど見えません。
でもアスレチック場側の西洋あじさいは綺麗で、すぐそばで観察出来ます。

順路途中に全く花のついてないタマあじさいゾーンがある。山あじさいゾーンで知り合ったおばさんに説明しながら案内してまして「タマあじさいの見頃は9月なんですよ。探したらようやくつぼみが出来た株が見つかる。あ、ありました!」見つかったタマあじさいのつぼみはまだビー玉サイズです。9月に再訪をオススメします。
さて、アスレチック場のあじさい順路の後、水道みちの真っ白なアナベルなどを案内して、出会った山あじさいゾーンに戻ってきました。そこで「さようなら」のつもりだったのですが、おばさんが「たくさんあじさいあったわねえ。こんなに品種が多いと名前が知りたいわ〜」とおっしゃるので「それなら管理事務所いあじさい図鑑が販売されてますよ」と伝えら「それどこにあるの?」と聞かれたので「案内します」と。
私のブログを日々チェックして下さってる方はお察しですね。麻溝公園には高低差があるのです。管理事務所は斜面花壇の上にあるのだ。
おばさんが「疲れたからジュースでも」とおごってくれました。嬉しい〜。
この日は相模原公園の花しょうぶの開花状況の確認だけのつもりだったので、普段は背負ってるリュックサックを家に置いてきちゃったのだ。リュックがあればお茶も携帯してたんだけどね。ウエストポーチだけなのね。
おばさんとジュースを飲みながらあれこれ会話して、前の週(6月7日)に訪問した相模原北公園のあじさいの画像や、6月9日に訪問した八景島のあじさい祭り(神奈川県内最大級20000株)の画像をお見せして、すすめる。もうすぐ暑い夏がやってくるので、なかなか花見散歩に出かけるのは不向きになる。だから今オススメのお花見場所の情報を伝えてみた。おばさんが出かけよう!と思えば嬉しいですもの。
さて、休憩もしたし帰ろうか?と思ってたら、おばさんが「あじさいの本買ってきます」と。あ。そうだった!そもそも管理事務所にあじさいの本を買いに来たんだった。つい事務所棟は涼しくてイスとテーブルが置いてあるので忘れそうになったわ。
で。おばさんが戻るのを待ってたらば!!
なんと!!
おばさんが「これ、あなたへプレゼント」と。
 
やややや!!!!ダメよ。ダメダメ!そんなつもりで案内したんじゃないんだっ!おしゃべりして楽しかったから、それで満足なのに〜〜。
主張してみた。「この本は娘さんにプレゼントして、今度一緒に公園にあじさいを見に来ればいいのでわ?」
でもおばさんは「それは私用に購入したあじさい本があるから」と。
マジでぇ??嬉しいよ?でもさ〜。む〜〜ん。
「ありがとうございますっ!」と。素直にいただいちゃいました。
あじさい本は正式書名をあじさい 園芸豆図鑑特集号といい、A4 フルカラー36ページ 500円となってます。ピックアップしたページは公園に植栽されたあじさいで、花の画像の下に新種名と北公園にあるのか麻溝公園でみれるのかわかるようになってます。
さて、おばさんはバス。私は自転車ということで、管理事務所前でお別れ。いつか再会できたら、次は隣接の相模原公園を案内させていただきます。
我が家までの最短コースは、麻溝公園から水道みちを抜けてオダサガなのですが、せっかくなので、先ほど見えなかったフィールドアスレチック場のあじさい順路のフェンス側をフェンスの外から見ながらいこう。

期待通りフェンスの外からあじさい順路のあじさいが綺麗です。

ちなみに、フェンスにはクレマチスが巻きついてて、品種によると今見頃のクレマチスもあります。

隙間から、もしくはフェンスの上から順路のあじさいを眺める。

綺麗だけどもこれ以上近づけません。

ここが公園の角。角を曲がると第2第3駐車場に行きます。が、私は反対側へ。
帰宅後、いただいたあじさいの本を開いてみた。てっきりカシワバアジサイと思ってたのが、更にスノークインとスノーフレークとハーモニーとバックボーチという4品種も混じってたのを知る。あじさいって品種が多いのね。と。読み込んでしまいました。いや〜、いい本いただいちゃいました〜。
ちなみに、麻溝公園では6月17日(日曜)9:00-15:00にあじさいフェアが開催されます。
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麻溝公園あじさい開花情報2018.6.12 その2

2018年06月15日 08時53分40秒 | アジサイ散歩
2018.6.12訪問。 相模原公園へ花しょうぶを見に行ったついでに隣接する麻溝公園のあじさいも見学しました。
早咲きの山あじさいは既に見頃の盛りを超えた品種が多くなってます。グラウンド縁と東屋周辺の姫あじさいも痛みが目立ち、撮影モデルには向きません。今美しいのは遅咲きの西洋あじさいです。この記事(その2)においては、第2駐車場側の西洋あじさいと、第3駐車場入り口の西洋あじさいを紹介します。
トップ画像は第二駐車場のフェンス内側のあじさい散策路に咲く西洋あじさいです。

あじさい順路に咲いてるのですが、グラウンドの縁にまずつつじの生垣があり、その奥にあじさいが植えられており、年々つつじが成長して見づらくなりました。でもつつじがあるおかげで適度に木陰が保たれてるおかげか、綺麗な花をつけてくれるのですよ。

つつじの株と株の隙間から入ってあじさいを撮影しています。ので、撮影したい方は汚れてもいい服でお越しください。

知る人ぞ知る撮影ポイントですが、知ってる人は知ってるので人気です。

第3駐車場入り口に移動。

背景にタワーを取り入れて画面構成。このタワーを入れると、麻溝公園で撮影してるのが知れて分かりいいんです。
 
前回もここから撮影した画像を紹介しましたが、あの時は晴天続きだったのであじさいがぐったりしてました。6月12日は曇天だったので、あじさいも元気だろうと期待して立ち寄りました。

あじさいは元気でしたが、既に見頃を過ぎつつありまして、あまりアップにしても美しくない。無念。晴天の上に気温が高い日が続いたからなあ。今日(6月15日)くらいの気温と湿度なら花持ちも良かったろうに。

さて、アスレチック場外周のあじさい順路に移動です。
第二駐車場側の入り口からしばらくは、山あじさいゾーンです。

アスレチック場は木が多くあって、木陰なので山あじさいが元気に咲くポイントですが、さすがに早咲きの山あじさいは見頃終盤に入ってます。アップで撮影しても美しさが足りない。(その3)に続く

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杉並さんぽ9 チャンドラ・ボース像のある蓮光寺

2018年06月15日 06時36分18秒 | インド旅行記
杉並さんぽの途中、区立図書館の建物が黒川紀章と知り見物に寄ったらガンジー像を見つけた。図書館の地下にはガンジーとチャンドラ・ボースの展示があり、興味深く見学。その時に杉並区和田3丁目の蓮光寺にチャンドラ・ボース胸像もあるのを知る。

和田ってどこにあるの?杉並区に土地勘がなく図書館では諦めたのですが、さんぽの途中角川庭園でいただいたすぎなみ景観ある区見マップ和田・堀ノ内編を眺めてたら、蚕糸の森公園と妙法寺の途中に蓮光寺チャンドラ・ボース像と書かれてるのを見つけました。ラッキー!
15時50分、蓮光寺到着。

本堂の階段横にチャンドラ・ボース像があった。
説明板発見:蓮光寺
当寺は、頂光山と号する日蓮宗の寺院で、本尊は十界諸尊です。
「文政寺社書上」によれば開創は、文録3年(1594)、両国矢ノ倉(現中央区東日本橋)で、開基は、源受院日宝と言われています。
正保元年(1644)には、朝倉新寺町(現台東区元浅草)に、境内地を拝領して移転し、境内には円理院・受教院・専玄房などがあり、寺運の隆盛があったと伝えられますが、文化3年(1806)に、火災により焼失したので、詳細なことは明らかではありません。
当寺で有名な「開運大黒天」は、浅草新寺町時代の地名の俗称にちなんで、通称「土富店の大黒天」とも言われ、江戸庶民の信仰をあつめました。
この「大黒天」は、当初、日蓮上人が母妙蓮尼の病気平癒を祈願して彫ったものと伝えられております。また、開基日宝が、小湊巡錫の折に、庄屋の娘の難産に会い、祈祷して助けました。その際に、床柱が光を発しこの家に伝来、不明となっていた「大黒天」が再び発見され、これをもらう受けて江戸に持ち帰り、蓮光寺建立の際、奉安したものと伝えられます。
本寺は、江戸時代旗本寺としても、栄ました。なお昭和50年記念碑としてネタジ・スバス。チャンドラボースの碑が建立されています。
胸像の後ろに「当寺に参ってネタジの聖なる遺骨にお祈りを捧げる事を私の幸福とするところであります
1958年10月4日 ラジェンドラ、プラサット大統領
仏陀の使命が人類に平和をもたらすように祈ります
1957年10月13日ジャワハルラル、ネルー首相
御仏の光が「真心と平和に向かって人々のために永久に永遠を導かれんことを
1963年6月26日 インディラ、ガンジー首相
もう1枚
「インドの偉大な自由の闘士ネタジースバッシュ チャンドラボースの霊を安置している蓮光寺を再び訪れることができてうれしく思います 2001年12月9日 パジパイ首相
ヒンズー語だと思うけども、パジパイ首相の言葉が彫られてます。
記念ノートが置いてあって、何の気なしにページをめくると、参拝に訪れた英語とヒンズー語で埋まってました。
「たぶんヒンズー語」と書いてるのは訳があって、ヒンドゥー語はインドの人々の18%の母語です。ヒンドゥー語を話す人でも30%ほど。公用語も一応ヒンドゥー語ですが、22の言語は普通に使われていて、お札にも多くの言語が印刷されています。ノートの文字を見てもそれがどの言語か私には判別できませんでした。
よっぽどノートを撮影しようか?と思ったのですが、おそらく参拝者の気持ちが書いてあるので自重しました。

ところで、スバス・チャンドラ・ボースさんをご存知ですか?
WIKIによりますと、イギリス領インド帝国ベンガル州生まれ。生没年:1897年−1945年8月18日(48歳没)。没地:台湾台北市 信教:ヒンドゥー教
インドの独立運動家です。
当初はガンジーと一緒にイギリスからのインド独立の活動をしてました。しかし、無抵抗主義を貫くガンジーと袂を分かち、やがてドイツのヒトラーやムッソリーニと連携してインドの独立を進めようとしたものの挫折。次は社会主義思想のソ連と。そして枢軸国の一つで独立を保っている日本へ。
マレー作戦の後、インド国民軍はインドの軍事的方法による解放を目指して、日本軍によるインパール作戦に参加。インパール侵攻失敗後、インド国民軍は主にビルマで連合軍と戦った。
1945年8月15日日本の敗戦で、日本と協力してイギリスと戦いインド独立を勝ち取ることは不可能となり、ボースは延安で中国共産党と協力を得るか、ソ連と協力するためにソ連が占領した満州へ向かおうとした。
1945年8月18日午後2時、ボースは台湾の松山空港から大連へ向かう予定の爆撃機に乗り込んだ。しかし離陸直線に機体が故障で落ちた。全身おおやけどを多い台北の日本陸軍病院へ。
遺体を東京に送るように命じられたが、夏季の上にやけどの損傷が激しく、現地で火葬。
1945年9月5日、ボースの遺骨は日本に運ばれた。
9月18日、蓮光寺で葬儀が行わた。
ちなみに遺骨は蓮光寺に保存されていたが、2006年にボースの兄の孫に返還されている。」
とありました。
ふと疑問に思うのは、ヒンドゥー教徒って火葬したら遺灰をガンジス河に流すのが作法だよね。すでに遺骨は返還されたようですが、長らく蓮光寺に置いてたのはどうなんだろうなあ〜?インド旅行したら、日本で一番有名なインド人、ガンジーさんのお墓もなかったんだよね。もちろんガンジーさんの遺灰も死後ガンジス河に流されたとガイドさんが言ってました。ええ。
だから、飛行機事故死は陰謀で、ボースさんは生きてソ連に向かった!という説もあるようで。
悩んでも仕方ないので、次行ってみよう。
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麻溝公園あじさい開花情報2018.6.12現在その1

2018年06月14日 17時28分54秒 | アジサイ散歩
相模原公園の花しょうぶを鑑賞後、麻溝公園に移動。2018年6月12日の水道みちと山あじさいコーナーの開花状況をご覧ください。

アナベルが黄緑から真っ白になりました。いよいよ見頃です。







確か、潤水と名前がついたあじさいです。



この2枚は駐車場裏に咲いてます。

最近植栽されたのかな?ここにこんな品種があるの知りませんでした。

山あじさいコーナー。
紅額がすっかり赤みを帯びてます。

いよいよ山あじさいはフィナーレ。開花の速かった品種は、額の色が薄ムラサキだったのが、緑に変化しつつあります。美しさは減っちゃいました。でも撮影を楽しんでる人は今日は多い。
知り合ったおばさんと話をしていたら、アスレチック場外周の西洋あじさいコーナーを知らないとおっしゃる。それはいけない!麻溝公園にあじさいを見にきて、あそこを見ずに帰るのはダメだ。
「よろしかったら案内します。いかがですか?」ってなことで、その2へ続きます。
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相模原公園花しょうぶ開花情報2018.6.12

2018年06月14日 12時18分50秒 | 相模原公園と麻溝公園
撮影は2018年6月12日、午前10時40分〜。
曇り空。太陽の光がないからか、花色が美しかったです。でも、花がらが〜。撮影途中に作業員さんが花柄を除き始めました。
花柄がないと見て、水無月園は全体に満開から満開過ぎという風情です。
残念ながらカルガモの姿はありませんでした。
当日は写生サークル・写真クラブ・お散歩倶楽部の方々の姿が多くみられました。





ここから中の池。

気づけば、水無月園の縁に夏つばきがありました。だいぶん散ってしまってます。前回はここに夏椿があるって気遣かなかったんだよね。残念。


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杉並さんぽ8 須賀神社・蚕糸の森公園

2018年06月14日 05時23分24秒 | 神社・仏閣
杉並さんぽ、一番見たかった尾崎熊野神社さんのクロマツの巨木を堪能後、東京メトロ南阿佐ケ谷駅に向かう。途中で4度目の善福寺川を渡る。蛇行してるから、川を基準に東西南北を図るのは無理。道なりに北へ。都立杉並高校の向こうに神社が見えた。角川庭園でいただいたすぎなみ景観ある区見マップ 荻窪南編によりますと、須賀神社さんとある。
ふと、須賀神社さんて素戔嗚尊を祀ってる所が多いよな〜。あそこのご祭神もスサノオかも?と思いつき確認することに。

説明板発見:須賀神社
この神社は旧成宗村本村の鎮守で、祭神は素戔嗚命です。
社名は祭神が同じ素戔嗚命である出雲の須賀社にちなんだものです。
当社の由緒については、近世初期に社殿を造営したとも、あるいは天慶4年(941)に創建され、慶長4年(1599)に再建されたとも伝えられていますが、安政年間に記録を焼失したため詳らかでありません。しかし、いずれにしても近世初期にはすでに建立されていたものと思われます。
江戸時代の当社は牛頭天王社と呼ばれていました。これは素戔嗚命は牛頭天王の垂跡という神仏混淆の考えによるものです。「新編武蔵風土記稿」は、江戸時代の当社について「字本村に鎮座し、社は二間半に二間、〜〜〜社から20間ばかり離れて鳥居を立つ、例祭は不定、農間に神酒を供す」と、記しています。
明治維新後、当社は成宗村の村社として人々の信仰を集め、昭和33年には社殿を新築、同時に旧拝殿を神楽殿に改築するなど、現在の景観を整えました。また境内末社としては御嶽神社と稲荷神社があります」
予想通り素戔嗚がご祭神でした〜。最近神社・仏閣巡りが増えてだいたいわかってきた。
台座がいい感じ。
参拝。駅は社殿の右手から出たら近いのでそっちへ抜けようとして、そばに変わった木を見つけた。

このコブがなんでできたんだろうか?かつてはここに何か建造物でもあったのか?今はちょっとない個性的な幹です。
時刻は15時23分、南阿佐ケ谷駅から2つ目の東高円寺駅で下車します。杉並さんぽを計画した時に、妙法寺さんにジョサイア・コンドル設計の鉄門があるのを知り、それが派手なデザインでみたくなったんだよね〜。

東高円寺駅到着。駅の南の蚕糸の森公園に15時45分到着。
妙法寺さんへは公園を突っ切るのが近道。
「蚕糸の森公園は昭和55年に筑波に移転した蚕糸試験場跡地につくられた公園で、旧正門や旧守衛所や桑の木に面影を止めてます」と、角川公園でいただいた杉並景観ある区見マップ 和田・堀ノ内編に解説されてました。
上の大きな木の画像は、杉並区保存木のスズカケノキです。木陰が気持ちよさそう〜。
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杉並さんぽ7 尾崎熊野神社のクロマツ

2018年06月13日 06時10分30秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
休憩した松渓公園から尾崎熊野神社さんまで徒歩で30分以上かかった。疲れた。
今年の1〜2月に図書館で巨樹・巨木の本を読み込み、尾崎熊野神社さんに樹齢400〜500年のクロマツがあるのを知り、いつか訪問したいと思いピックアップ。今回小田急東京メトロ1日券を利用し、巨木探訪だけでは味気ないのでついでに荻窪散策をあれこれ追加して散歩コースを作ったのですが、すでに目的地を盛り込み過ぎてヘトヘトです。
あ、説明板発見:尾崎熊野神社
この神社は、五十猛命・大屋津比め(口へんに羊)命・つま(手へんに爪)津比め(口へんに羊)命の3柱を祭神とし、旧成宗村字尾崎の鎮守でした。
当社の創建年代は詳らかではありませんが、大宮八幡宮・同村白山神社とほぼ同年代の創建と言われ、安藤本家文書、宝昌寺境内出土の板碑によると、鎌倉時代末期に鎌倉から移住してきた武士が、代々崇敬する紀州の熊野権現をこの地へ勧請したのに基づくと伝えられえいます。
「新編武蔵風土記稿」の成宗村熊野社の条には「除地五畝小名尾崎ニアリ、社ハ間二二間半、神体白幣〜〜村内宝昌寺ノ持ナリ」とあり、江戸時代には、宝昌寺が別当を務めていました。
明治維新後、大宮八幡宮の神職が兼務するところとなり、明治41年、付近に散在していた稲荷社・猿田彦社・御嶽社を境内に合祀し、現在は境内の末社として祀っています。
地名の「尾崎」は尾崎=小さな崎の意で、崎とは舌状にのびた台地突端部をあらわし、このあたりの地形に由来したものと考えられています。
昭和43年秋、境内から縄文時代早期(井草式)の土器片、縄文時代前期(諸磯式)。土師器時代(鬼高式)の住居址が発掘され、古くからこの地には、人間が住んでいたことがうかがわれます。
なお、境内にそびえるクロマツの大木は、当社のご神木で、樹齢約400年と言われ、区内でも有数の樹木の一つです」
なお、1月に調べた巨木の本によりますと、尾崎熊野神社のクロマツ
樹高:32メートル
幹回り:3、3メートル
推定樹齢:400−500年 区指定天然記念物
とあります。

立派なクロマツで感嘆して見上げる。背が高すぎてクロマツの全容を撮影できるポイントがない。巨木に対し境内が狭いのだ。訪問は2018年5月20日でしたが、狭い境内の隅々にクロマツの茶色の松葉と松ぼっくりが散らばり、見上げると頭上をクロマツの枝が覆っている。改めてまた松を見上げた。

人を写しこんでハイライト代わりになってもらう。こうでもしないと、マツの大きさが画面から伝わらない。

斜行して伸びる幹を撮影。胸高あたりの幹は蜂の巣状のハニカム構造になっていて、巨木の重さを支えてる。あちこちで巨木を見ましたが、ここまでハニカムがはっきりとわかるのも珍しい。
さて、時刻は早くも15時10分です。先を急ぎましょう。
4度蛇行してる善福寺川を渡り北上。東京メトロ南阿佐ケ谷駅に向かいます。
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杉並さんぽ6 中道寺・松渓公園

2018年06月12日 06時10分47秒 | 神社・仏閣
2018.5.20訪問。東京メトロ荻窪駅長屋門西郊ロッヂングガンジー像と区立博物館のガンジー・チャンドラ=ボース展大田黒公園角川庭園荻外荘中道寺(←今ここです) 時刻は14時11分。

荻窪散歩を計画した時に、中道寺を訪問しようと思ったのは上の画像の鐘楼と山門が一体になった建物。これが見たいなあ〜と思いまして。

見上げたら上に大きな鐘が見えます。
正門前に説明の柱がありました。「中道寺鐘楼門:この鐘楼門は、天明元年(1781)に「竣工した表門と鐘楼を兼ねたもので建築当初の姿をよくとどめています。一間一戸の楼門形式の四脚門ですが、上層は鐘楼で桁行三間・梁間二間、下層は桁行一間・梁間二間とし、上層に腰組付を廻していますが高欄はありません。建築様式は基本的には禅宗様で、肘木は和様とし下層の頭貫上に蓑股を入れ、江戸期の折衷様の特徴を示しています。本鐘楼門は都内においては珍しい建築遺構であり、建築史上からも大変貴重なものです」
専門用語ばかりですね。理解が追いつかない〜。大変貴重なのはわかる。

鐘楼の扉に、井桁に橘の日蓮宗の寺紋がありあした。

本堂はこじんまり。
山門前に立派な赤松がありましたが、撮影しそびりました。
さて、時刻は14時15分。次の目的地は杉並さんぽで見たい筆頭のクロマツの巨木がある尾崎熊野神社へ行きたいんだけど、最短コースは?

疲れたので途中あった縄文中期の遺跡が埋蔵された遺跡公園、松渓公園で一休み。おやつはCOMITIAで差し入れにいただいた讃岐銘菓かまどパイです。
お散歩再開。もう一度善福寺川を渡ります。道は東に向かってますが、善福寺川が蛇行してるので、途中でさらにもう1回善福寺川を渡ります。

時刻ははや15時が近い。尾崎熊野神社はどこだ??

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杉並さんぽ5 荻外荘(近衛文麿旧宅)

2018年06月11日 05時27分07秒 | 歴史散歩
説明板発見:「国指定史跡 荻外荘(てきがいそう)は、昭和前期に総理大臣を3度務めた政治家、近衛文麿の邸宅です。
当初は、昭和2(1927)年に、大正天皇の侍医を務めた医師の入澤達吉が、義弟で建築家の伊東忠太に設計を依頼して建てた邸宅でした。昭和12年(1937)に近衛文麿が入澤から邸宅を譲り受け、その後、西園寺公望が、「荻外荘」と命名しました。近衛は、ここで政治会談や第二次・第三次近衛内閣の組閣を行うなど、荻外荘は、近衛の主要な政治の場となりました。特に、昭和15(1940)年の「荻窪会談」は、第二次近衛内閣の基本方針が確認された会談として有名です。戦後、昭和20(1945)年12月16日に近衛は邸内の書斎で自決しました。
平成28(2016)年3月1日、昭和期の政治の転換点となる重要な会議が行われた場所として、国の史跡に認定されました。
現在、建物部分は非公開ですが、史跡指定の趣旨に基づき、文化財として適切な復原整備と活用に向けた検討を進めています」

建物は非公開。

現在は旧近衛文磨の邸宅を南の芝生公園から見上げるのみ。

公園の真ん中に、手押しポンプつき井戸が残っている。芝生部分はかつては池があった。

南の道路際には大木がある。親子連れが木のそばで休んでいる。木の大きさがわかるかと。

木の樹齢などを示すプレートはない。
wikiで調べたところ「旧近衛文麿の旧宅は戦災を免れたので、近衛の死後、一時近衛家から家を借りてたのが吉田茂だったとある。
1960(昭和35)年に荻窪会談が開かれた応接室を含む木造平屋建ての一部を、豊島区巣鴨の天理教東京教務支庁の敷地へ移転。今年度より復元工事を始めるもよう」
復元後公開されたら再訪したい。 
時刻は14時2分、移動です。まずは善福寺川を渡り対岸に行きたい。ラッキーなことに、角川庭園・幻戯書房訪問時にすぎなみ景観区ある区見マップ(荻窪南)のウォーキングマップを手に入れた。それによりますと、近所には他に与謝野鉄幹・晶子旧居跡など見所盛りだくさんですが、ここは当初計画通り、次は中道寺に向かいましょう。
ウォーキングマップには、松見橋のそばにカルガモと書いてあるけども、松見橋からカルガモは見えない。残念に思ってると橋の反対側からやってきた年配の男性が「この川は善福寺川ですか?」と聞かれた。おおう!そうだとは思うけども、私は観光客。念のためにウォーキングマップを確認。
そこには間違いなく「善福寺川」と書いてあった。この善福寺川は杉並区内を蛇行して流れてまして、この後何回か渡ることになりました。
14時11分、中道寺に到着。
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杉並さんぽ4 角川庭園

2018年06月10日 05時26分51秒 | ぶらぶら散歩
2018.5.20 13:29角川庭園に到着。実は訪問前にWEBで地図やらを検索したのですが、ここの名称が紛らわしい。

こうですもの。どれで検索したらいいんだろうか?

現場に着いてみてわかった。ここはもとは金持ちの邸宅じゃなかろうか?ともかく中を拝見。

展示室だね。玄関を入ってすぐ、たぶんかつては応接間。

で、会議室??あれ?なぜに金持ちの家に会議室があるのか?
パンフレットがあった。「角川庭園は、俳人で角川書店の創設者である角川源義氏の旧宅を、杉並区が遺族から寄贈を受けて改修したものです。平成21(2009)年5月10日に区立公園として開園しました。建物は昭和30年(1955)竣工の木造二階建て瓦葺近代数寄屋造で、平成21年11月に国の登録有形文化財に、平成28年(2016)9月に区の景観重要建造物に登録されました。
建物の建築当時この地は、緩やかな斜面の野菜畑で、その下は田んぼが広がる見晴らしのよい場所でした。庭園は、建物の入り口付近にアカマツ・ウメを植え、茶室の前には武蔵野の雑木林を思わせるコナラ・エゴノキ・ホオノキなどを配しています。
昭和35年(1960)頃隣接する田んぼは埋め立てられ荻窪団地が建設されたため、南側にシラカシを植えて目隠しとしました。
庭園は建築時の源義氏の考え方を受け継ぎ、俳句に相応しい野趣あふれる庭園を維持し、四季折々の花や草木を楽しむことができます」
本来は茶室も内観できますが、訪問時はお茶会開催中で見えませんでした。お茶室の他各部屋も貸し出ししてます。パンフレットによると、茶室が定員5名、午前600円午後900円。詩歌室1定員20名、午前1300円午後1800円。詩歌室2定員10名、午前900円午後1200円とリーズナブルな設定です。

お庭に回る。画像ではわかりませんが、手前に斜面があります。

お茶室。画像手前左に水琴窟があり、つくばいから水を流したら金属質のいい音が聞こえました。
さて、時刻は13時45分。移動です。
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相模原北公園西洋あじさい開花情報 その2 2018.6.7

2018年06月09日 05時30分03秒 | アジサイ散歩
6月7日は朝まで雨が降ってました。明るくなってからも曇り空で肌寒い天候でした。これは長時間自転車漕ぐのに都合がいい。と思ったのだけれど。あっちゅー間に青空になり、真夏の日差しとなってしまいました。

せっかくの元気なあじさいだというのに、日差しが強すぎて、日向のあじさいは白トビ画像を量産しちゃいました。

あじさいはね。晴れといっても、花曇り程度の日差しでなくては。はんなりとした美しさが画面から伝わらない。無念。

あれ?奥に見える紫は?相模原北公園にも花しょうぶがあるの?

見に行った。ん!花柄取りして下さい。見頃を過ぎた花しょうぶは美しくない。画面の美しさが低下してる。竹の垣根はいい味出してるだけに残念です。

あじさいの丘に戻ってきました。画像では分かりにくいのですが、西洋あじさいは派手ですね。5月の母の日に合わせ、花屋に並ぶ新しい品種も混じってます。
ああっ!!もう散り始めてるじゃん!早いよっ!まだ6月初旬なんだよっ!気合入れて花びらもしがみついててほしいっ。
あじさいはこの辺にして、日陰で空いてるベンチはないかしら?

花木園まで戻って来ちゃいました。
まだ見頃のバラが咲き残ってました。日差しが強すぎて色が飛んでしまったのが残念。せっかく美しく咲いてるのに〜。
日陰のベンチを発見。パンと冷たいお茶でお昼ご飯です。あ。背後の緑の綺麗な木は、メタセコイアですね。
さてと、時刻は12時40分。また1時間かけて帰らねばっ!

南橋本4丁目の交差点に到着。東西に続くあじさい道。でも南北の道にもあじさいが植わってます。よし!行きとは違う南へ。自転車を走らせる。この通りの左右は工場で、あじさい道に比べ道幅が広い。画面構成が難しいなあ。通りの美しさが伝わるかな?

時刻は13時8分。む〜ん?まだ村富線に出てないのに、北公園を出発してもう30分近く経っちゃったなあ〜。
はい。お分かりですね。来る時は、麻溝公園から北公園まで67分移動にかかりました。帰りも同じだけかかるのですが、我が家は麻溝公園の先にあるんですよ。もうヘトヘトです。照りつける真夏の日差しがにくいっ。こんなに日差しが強くなるとは〜〜〜。
帰宅したらバテバテ。何が辛いって、自転車のサドルが固すぎる。お尻がとても痛いっ。しばらく寝転がってあれこれ回復するのを待ちました。あ〜、冷たい甘酒が効くう〜。速攻で体力チャージの時の必需品だなあ。
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相模原北公園あじさい開花情報その1 2018.6.7

2018年06月09日 05時20分33秒 | アジサイ散歩
相模原市には2つのあじさいの名所があります。6月7日に、相模原北公園のあじさい見物に行ってきました。山あじさいの開花状況は、昨日投稿済み。今日は西洋あじさいの開花状況をご覧下さい。
トップ画像は北公園のあじさいの代名詞、アナベルの群落です。見頃まであとちょっとな感じです。

アナベルの周辺の西洋あじさい。見頃まであと少しかな?色づきが足りない感じ?

相模原北公園には約200品種・10000株のあじさいが植栽されています。





麻溝公園にはない品種をピックアップしてみた。
 

 

 

 
その2に続きます。

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杉並さんぽ3 大田黒公園

2018年06月09日 05時10分59秒 | ぶらぶら散歩
2018.5.20訪問。 11時34分、大田黒公園到着。

いただいてきたパンフレットによりますと、「大田黒公園は、大田黒元雄氏の屋敷跡を杉並区が日本庭園として整備し、昭和56年10月1日に開園したものです。大田黒氏は86歳で逝去するまで47年間余りにわたって、この地で大楽活動を続けられ晩年を過ごされました。
この公園の約30%に当たる、2.679.63平方メートルは公園にしてほしいとの氏の遺志により、ご遺族から杉並区に寄付されたものです。公園化に際し、できる限り原型保存を図り従前からあった池の再現をしました。園内には樹齢100年を超える銀杏並木をはじめ、ケヤキ、クロマツ、アカマツ、シイノキなどの巨木がうっそうと茂っています。

70メートルの御影石の両脇に樹齢100年を経た27本の大銀杏が並んでます。
また、数奇屋造りの茶室、民家の土間を思わせるような休憩室の他に、
数奇屋造りの茶室8畳、水屋5畳、貸出されてます。
氏の仕事部屋であったベンガラ色の記念館が保存されています。
昭和8年に建築されたもの。平成28年国の登録有形文化財に登録。
記念館の室内には、生前氏が愛用されていたスタンウェイ社製のピアノや蓄音機などが残されています。
正門(トップ画像)を入ってすぐの見事な銀杏並木に圧倒されしばし見惚れる。
これさ、銀杏が黄色に染まる頃に再訪したいなあ。黄色に染まった光景も素敵だろうなあ。

土間のような休憩室とパンフレットに紹介されてた場所からお庭を撮影。画面では分かり難いのですが、上の画像奥左に向かい高低差を利用して池まで細い渓流のように流れがあります。渓流の感じが素敵だったので、撮影したかったのですが、あいにく剪定作業で散策路が一部通行止めになってて写せませんでした。
流れを追いかけると池。

周囲には楓が植栽されてます。11月末から12月初旬に園内に60本以上あるモミジが紅葉するときにライトアップイベントを実施してるとか。

庭の周囲で残念がってるおじさんがいた。会話を漏れ聞くに「さっきカワセミが池にダイブしたけど、見とれててカメラを構える損なった。もう一度来ないかと待ってるんだ」だって。わたし的には新緑を池に写してるだけでは寂しいと思ってたから、カルガモがモデルで満足ですけども。さらに極上のモデルを見た後だけに、おじさんは諦めきれない模様です。
鳥の撮影はな〜待ちが基本。ようやくのシャッターチャンスを逃しちゃいかんのじゃ。
池にはなぐり仕上げの東屋があって、周辺にベンチが設置してあったのでそこで軽くパンをいただいた。代々木公園のベトナムフェスで軽くチキンフォーを食べたばっかりだったけどね。追加です。

記念館は1階が内観できます。

スタンウェイが存在感を誇示するように窓際にど〜ん!と置いてあります。

このスタンウェイ少し外観が変わってて、箱根の寄木細工みたいな装飾が。アップで撮影したけどピンボケ画像になっちゃいました。
書棚にはかつて大田黒氏の所蔵した楽譜が並んでたのでしょうか?

閲覧資料には音楽評論家の大田黒氏が日本に初めて紹介した作家ドビッシーの記事などがありました。
スタンウェイピアノは古すぎて使用不可になっていたのを有志が頑張って再生。時折コンサートを開いてるとか。

照明などは昔のままだそうで。

記念館の玄関の脇から茶室外観を撮影。

旧大田黒家住宅蔵。いただいたチラシによりますと、
「現在は公園管理の倉庫をして利用してるので非公開。昭和8年ごろ築、平成28年11月29日、記念館と併せて国の登録有形文化財になりました。
画像は催事広場から撮影。外観はモルタル塗り。外壁上部は土蔵風に八巻きがかたどられています。窓は鉄格子をはめて鉄扉、昭和戦前期の邸宅の様相を今に伝える蔵となっています」
さて、移動です。予定では催事広場から外に出るつもりだったのに、門から出入りできない。正門を回って移動なんだけど、ルートは??
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相模原北公園山あじさい開花情報2018.6.7

2018年06月08日 14時01分40秒 | アジサイ散歩
昨日の朝まで雨が降り、あがったので相模原公園の花しょうぶと麻溝公園のあじさいを見物。10時20分、村富線を北へ。富士見5丁目交差点で左折。清新7丁目交差点を過ぎると目に嬉しいあじさい道が続きます。

自転車のスピードを落として通りのあじさいを楽しみました。
11時27分、ようやく200品種・10000株のあじさいの相模原北公園に到着しました。遠かったです。なぜに自転車で行こうと思ったのか?

相模原北公園は、ばらの名所でもありますが、さすがに6月7日ともなりますと、ほとんどのバラは見頃過ぎてした。

こんな感じであじさいが植栽されてます。

郷土の森の林では、木陰に山あじさいがたくさんありました。

麻溝公園の山あじさいは、木が少なくて木陰も少なめです。その分山あじさいの株がショボかったのですが、北公園の山あじさいは、たっぷりと木陰があるためかどれも元気な株ばかり。
 
たくさん撮影したのですが、やはり木陰は光量が少なく、ピンボケ画像を増産してしまいました〜。悔やみ切れないっ!





北公園のあじさいの名物は何といってもこれ。

残念ながらまだ真っ白になってませんが、迫力満点のボリュームです。
何が素晴らしいって、相模原北公園はあじさいが200品種・10000株もあるのに、入園無料なんだよね〜。ただし、あじさい見物に便利な駐車場は狭めで、到着時も出発時も停車待ちの車がいました。西洋あじさいの紹介は別記事立てで紹介します。

コメント (4)
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麻溝公園のあじさい開花情報2018.6.7

2018年06月08日 09時29分57秒 | アジサイ散歩
昨日の午前、相模原公園の花しょうぶを見に行きました。ついでに隣接する麻溝公園のあじさいも見てきました。
トップ画像は公園に接続する水道みちに咲くハナアオイ。ちょうどアジサイと開花が重なるのですね。アジサイさんぽをしてるとハナアオイも咲いてます。咲き方や色のもバリエーションがあって面白い花です。
では麻溝公園の水道みちのあじさいの様子。







そしてこちらが山あじさいゾーン。

公園に9時24分に到着。朝まで雨が降っていたので、山あじさいも元気です。


大虹。既に見頃過ぎてるなあ〜。色あせがぁ〜。
紅額。白かった花の枠が次第に紅色に色づき中。


撮影に訪れる人も増えてます。

心ゆくまで撮影したいところですが、この後、6月5日に諦めた相模原のもう一つのあじさいの名所に行きたのでパス。
麻溝公園を10時20分まで撮影。村富線を北へ急ぐ。富士見5丁目交差点を左折。と、あじさい道と名付られた通りに出ました。

記録しておかないと!1枚撮影して時刻を確認、11時超えてた!マジで〜??

ヘロヘロになって着いたのは、約200品種・10000株のあじさいが植栽されてる相模原北公園です。時刻はなんと!11時27分!!遠かったぁ〜。1時間以上自転車漕いでた。もう2度と自転車では来れないわ〜。
さて、同日に麻溝公園と相模原北公園をはしごして思う。どっちか一つ訪問するなら、相模原北公園が見どころも花も多いのでこっちだ。でもまとまって咲いてるから歩かなくてすむのは麻溝公園かな?あ。山あじさいは木陰の多い北公園の方が株が元気でいい花が咲いてるよ!
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