2010年冬に投稿した「たのしい水べから」再掲です。
水辺をめぐる素敵な本を、図書館で見つけました。
「水辺にて」 on the water / off the water 梨木香歩著
旅先の水のフィールドで、ファルトボート(折り畳みカヤック)を漕ぐ著者が、
水辺の自然や思索をつづった、センス・オブ・ワンダーにみちた21篇のエッセイ。
冬は活動休止中の、「引きこもり、野外遊び人」にも、おすすめの一冊です。
北太平洋の様々な海域を回遊しつつ、鯨は発信ばかりではなく、
私の思いも及ばないような「受信」「返信」を楽しんでいるのかもしれない。
例えば、もっと深海から。例えば宇宙から。そして自身の内なる世界から。
バラエティ溢れる地形からのエコーだけでも味わい深いものかも知れない。
あるいは宇宙ゴミ・デブリから漏れ出る何かの信号のように、
私たちが気づかないだけで世界に無数に充満する信号を紡ぎ合わせながら、壮大な歌を歌っているのかも知れない。
宇宙のあらゆる場所で、人を含むあらゆる生物(もしくは鉱物、浮遊物とかも)が、
それぞれの孤独を抱え、確実な受信もの当てもなく、発信を続けている。
そして何もそれは、悲壮感漂うことではない。そう考えると、さぁっと風が通ってゆくようだ。
北極圏で何ヶ月も孤独な生活を営むことが日常的だった、
あの写真家から受ける印象も、本来そういうものではなかったか。
明るく、豊饒な孤独。今は、この考えの方向性を気に入っている。
豊かな孤独。そちらの方から、少し明るい、軽やかな空気が流れてくるような気がして。
メランコリーは私をろくな場所に導かない。この藪を抜けて、舳先を、明るい方へ向けよう。
「発信、受信、この藪をぬけて」より。
例えば、ケネス・グレーアム著『たのしい川べ』の一部を引用したこんな文章。
『・・・・そして、次の瞬間、モグラは、自分がちゃんと、
本物のボートのともに座っているのに気がついて、びっくりしたり、喜んだりしたのでした。
―略―
「君、知っている?ぼく、今まで一度もボートに乗ったことがなかったんだ。」
「なんだって?」と、ネズミは、口をぽかんとあけて、叫びました。
「今まで一度も -君は今まで -ふうん、-じゃ、いったい、君は、今までずっとなにをしてきたの?」』
ちょっと緊張気味だったKさんの表情が、川風に吹かれて、
また後ろで操船して下さるSさんのおかげで、だんだん変化してくるのが楽しい。
私もすっかり幸せな気分。
『「ボートって、そんなにいいものかい?」モグラは、少し恥ずかしそうに、ききました。
けれども、そんなことは、きくまでもなく ―略― ゆるやかにボートにゆられていれば、すぐわかることです。
「いいものかって?君、ボートのほかに、いいものなんて、ありはしないよ。」
ネズミは、体をぐっと前へかがめ、櫂を使いながら、まじめな顔で言いました。
―略―
「ねぇ、君、ほんとに、けさ何もすることがないんなら、
いっしょに川を下って、一日ゆっくり、あそんでいかないか?」
(それを聞いて)モグラは、ただもう嬉しくって、
足の指をもじもじ動かしたり、満足のため息で胸をふくらませたりしながら、
いかにもしあわせそうに、やわらかいクッションにぐったりもたれかかっていました。
「なんてすばらしい日なんだ。・・・」』
川の両岸は、すっかり秋景色。イタヤカエデは透き通るようなレモンイエロー。
木々の間で目立つのは、エゾヤマザクラの少し黄味の勝った明るい朱色。
燃えるような真紅はハウチワカエデ、ヤマブドウ。
岸辺には丈高いヤナギの仲間が、ほっそり群れて立つ。
風は葉の一枚一枚をそよがせながら、日の光を煌かして吹き渡る。
乾燥した空気の移動が、風としてそこそこに感じられ、-ああ、なんて気持ちいいんだろう。と思わず呟く。
―略― このパドルは、「羽のように軽い」とBカヌーセンターのK氏に勧められたもの。
この日、使うのが初めてで、それもワクワクすることの一つだったのだが、本当に羽根のよう。
申し分のない一日!
「川の匂い、森の音 1」 より
『たのしい川べ』。ボートをカヌーに置き換えれば、まるで自分たちのモノガタリみたいだなぁ。
冬は引きこもり中の、カヌー親父の遊びゴコロをくすぐる、ネズミ君とモグラ君のやりとりです。
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