アーク・フィールドブック

四万十フィールドガイド・ARK(アーク)のブログ

サンキュー・ブラザー ( Heart of Gold )

2025-01-09 | ・最新のお知らせ・イベントなど

サンキュー・ブラザー ( Heart of Gold )

2021年冬に書いた「旅雑文:追悼文」再掲です。あれからもう4年・・・。期間限定公開中。

銀座で托鉢 震災犠牲者を弔い続けた僧侶 新型コロナで突然の死 <あの日から・東日本大震災10年>:東京新聞 TOKYO Web

東京・銀座で托鉢(たくはつ)を続け、東日本大震災の被災地で死者を弔い続けた一人の僧侶が、新型コロナウイルス感染症で亡くなった。66歳。...

東京新聞 TOKYO Web

 

 

訃報。2021年1月18日。僧侶 望月崇英さんが(望月英夫:アントニオ)逝去しました。

アントニオは、ARK(アーク)の名付け親です。

僕は彼と、毎日のように一緒にすごしていた時期があります(自然学校時代に。四万十移住時に)。

愛犬ふうと共に、海、山、川で沢山遊んでもらいました。

いつも飄々としてるアントニオは、いろいろな遊び方やユニークな物の見方を教えてくれました。

ラブリーなクシャクシャ笑顔を浮かべながら、出来の悪い弟のような僕にもやさしく。

 

『一昨年の夏。

アントニオは、「ふう」と荷物を我が家にあずけ、1ヵ月半かけてお遍路さんルートを歩いた。

僕は、1ヵ月半も大好きな「ふう」と暮らし、遊べ、とても楽しかったし、

お遍路さんを終えたアントニオの話は、めちゃめちゃオモシロイものであった。

・ものすごい大金持ちの、会社社長お遍路さんと知り合った話。

・会社をリストラされ、借金に悩み、死のうと思って四国に来たが、

でも、ふと気づくと、もう4周もお遍路ルートを歩いてるお遍路さんの話。

・お遍路さんを接待してくれる、やさしい人々の好意を悪用する、悪徳お遍路の話など・・・

 

 アントニオは、ARK(アーク)の名付け親でもある。

屋号を決めかねていた僕は、彼に相談した。

すると、当時、米軍基地で働きながら坊さんになるために修行中だった彼は言った。

「ARKがいいんじゃないのー!佐野さん。サンスクリット語で、まあカンタンに言うと、

すべての生命の始まりを意味する言葉だよ。ちなみに、ノアの箱舟の名前がNoah of arkだったと思うよ」

鼓膜にビンビンと響くでっかい声で 教えてくれた。

 

 「ARKかぁー」。僕には、大き過ぎ立派すぎる屋号だ、と戸惑うが、

「佐野さーん。名前は育てて行くものだからダイジョーブだよ!」といわれARKに決定した。

なにがダイジョーブなのか、いまいちよくわからないけど・・・

でも、なんか困ったことや、つらくて落ちこんでいるときは、

アントニオの「ダイジョーブだよ!佐野さん」の一言で元気になってしまう。

ホント不思議な人だ。

 

 話が脱線してますが・・・脱線ついでにもう少しアントニオ(一応日本人)の事を書いちゃいます。

僕が彼に初めてあったのは、四万十に移住する前に勤めていたフィールドワーカーを養成する専門学校。

その実習場がある長野県黒姫だった。

 

 夏の盛り、実習場のミーティングルームで彼を紹介された(ふうも一緒に)。

日に焼けたシワだらけの顔は、彫りが深くまるでネイティブアメリカン。

その顔をクシャクシャとさせて、ニカニカ笑いながら「よろしくー!」と挨拶された。

僕はその時、直感で「この人はなんだか絶対、オモシロアヤシイぞ!」と思った。

いつもひょうひょうとしジョークばかり言ってる彼は、自分の事はあまり喋らない。

けど、仕事&プライベートで付き合っているうちに、そのユニークな経歴がだんだんわかってきた。

 

           

    ふうとアントニオ                サンキュー!ブラザー

 

 ブラックミュージックをこよなく愛する彼は、

本場アメリカでミュージシャンになろうと、大学をやめ、まずはハワイにわたる。

その後、ニューヨークへ。音楽活動&いろいろな仕事をしながら約20年NYで暮らす。

その間に、オートバイの冒険家と知り合い、冒険家の北極、南極、ヒマラヤ、パリダカールなどの遠征に同行する。

僕が彼に出遭った時は、もうニューヨークを 引き上げようか?という時期であった。

 

 アントニオはなにかの専門家ではない。

けれど、冒険家はいろいろな制約(予算や人選など)があるにもかかわらず、

チームの一員として(専門外の)彼を極地に連れて行く。

その理由は、(肩書きなんかじゃわからない)彼に触れた人にだけわかる、不思議な魅力のせいだろうと思う。

 

 アントニオ&ふうと山や渓流釣りに行き、キャンプをするのは最高に楽しかった。

釣った魚を焼き、焚き火をかこみながら彼が話す、NY時代や極地遠征した時の楽しかった話や悲惨な話の数々。

それは、一冊のオモシロ本が書けそうなくらい魅力的なものだった。

「若きの日に旅をせずば、老いての日になにをか語る」。僕は、ゲーテ(だったかな)の言葉を思い出す』

*レターフロムS11「春の海脱線バナシに花が咲き」より抜粋

 

またある年の夏は、山形の里山の藁ぶき家(築400年!)で、

何名かの仲間と渓流釣り合宿をし、囲炉裏で釣った岩魚を焼き、酒を飲み、バカ話をした。

そして何故か?全裸ピラミッドも・・・(飲み助の集いでもあった。アントニオは下戸だけど)。

それはなんとも、馬鹿馬鹿しくユカイな夏休みだった。

 

そんな、アントニオとすごした時間は、我がココロの中の大切な宝(アーク)です。

何かキツイ事があって仏頂面になった時も、思い出すと思わずニコニコしちゃいます(苦笑いも混じるけど)。

 

「おーい佐野さん!ナニやってんの?」

ふと、空を見上げると、あのナツカシイ声が聞こえてくるようです。

あちらで、ふうに会えたかな?アントニオ、最高にステキな時間をありがとうございました。

どうそやすらかに眠ってください。合掌。

 

PS:「SNSに掲載していいのか?」。

ずいぶん迷いながらこの文章を書きました。まだ気持ちの整理もついてないのに。

でも、生前あちこちのフィールドで、彼と一緒に遊んだ方にも訃報を伝えなければ、と思いました。

あのステキな笑顔を知っている皆さん。

いつかどこかで会えた時には、アントニオとの思い出バナシをきかせてくださいね。


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