あるBOX(改)

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「シベリア少女鉄道/笑顔の行方」を見に行く③

2005年05月16日 | 生活
――で、「シベリア少女鉄道って何?」と考える。
私なりに考えた結論は・・・・。

「演劇に擬態した別の物」

葉っぱに擬態した昆虫のような。水底に擬態した魚類のような。美川に擬態したコロッケのような。

似せる対象とは、似て非な物。別な物。

でも、擬態する意味は大して無い。

擬態して、近付く獲物を「パクッ!」と食う目的でもない。

天敵から身を守る為の手段でもない。

似せる対象に憧れて・・・ってなワケでも全然ない(この場合、「シベリア=主宰である土屋亮一氏」と見倣す)。

「葉っぱかと思って寄ってったら動いた!?なんだ、虫じゃねえかよ!!!!!」
・・・と驚くヤツの顔見て喜ぶ。

それだけのような。

「憧れ」は絶対ねぇよ。「演劇の解体」ってのも違う気がする。
「解体」ってのは、毛色の違う演劇を探した結果の手段だし。多くの場合、実は解体できてないし。

以前も言ったが、シベリアは「演劇に期待していない」と思うよ。

「演劇で自分を表現する」
「演劇で自分が癒される」
「演劇で世に認められる」
「演劇で金を儲ける」
「演劇で観客を元気にする」
「演劇で他人の人生を変える」

―――そんな希望からキッパリとオサラバしてるでしょ。

もしかしたら「最初に見た演劇の余りのつまらなさに、演劇に対して嫌悪感を抱いた」のかも知れない。
「演劇に愛がない」事で言えば、松尾スズキやKERA以上かも(まぁ、彼らは演劇で自己セラピーやってるっぽいが)。

そんな擬態物に、「葉っぱじゃねぇじゃねぇかよ!」と怒っても仕方ないんじゃないの?

「面白くない」ったって「葉っぱである事を前提としての期待」に外れただけだし。

こっちゃ、「演劇」にも「シベリア少女鉄道」にも大きな期待はしていませんがね。
そんで、少しの期待に応えてくれたら充分ですがね。

近付いたら、何か動いた。葉っぱなのに足がある。目もある。触覚がピクピクしてる。

その過程で「何か違う様」を楽しむ。
おぉ、終いにゃ羽根出して派手に飛んだ!!いや、土に潜りやがった!!!
すげ――――――――――!!!

そんなモンでイイんじゃないの?

ひょっとして「色使いが違ってる」「立体感ない」「余りにも動かない」・・・かも知れないし。

「葉っぱだと思ったら、壁に描かれた絵だった!」みたいな事かも知れないじゃないか。

そしたら、あの娘は死ねないじゃないかっ!!!

―――みたいな。

そんなモノを、今後も期待しております。←あんだよ、それ!?

頑張れ「シベリア少女鉄道」!
適当にやれ「土屋亮一」!!!

「シベリア少女鉄道/笑顔の行方」を見に行く②

2005年05月16日 | 生活
――で、見終わった結論。

面白かった。ウチらは喜んだ。例によって他の劇評では賛否両論だが(笑)。

「否」の方は、「演技が・・・」「役者が・・・」「分かり辛い・・・」といったマトモに劇評やってる方々が大半。

ま、「演劇」として見たら、そりゃそうでしょうが。
真面目に見ても仕方ないでしょ・・・ってのがウチらの見解。

再演の可能性あるから、ネタばらしは、しませんが。
とりあえず今回の話としては「事件物サスペンス(?)」で。

オープニング映像は、対戦ゲームやりながら「愛するがゆえに傷つけたい。痛めつけたい」なるナレーション。打撃されて倒れるゲームの女性キャラ。

「異常心理」の予感。

でも、「傷つけたかとです」みたいな文字で会場、笑い。

――で、「ヒロシです」と語り始める主人公(?)。掴み、上手いねぇ。

女性がアパートで暴行される事件が発生し、その現場にいた主人公(?)は記憶喪失になり。
女性精神医の治療を受けているという設定。

――で、患者には「愛情対象が肉体的に傷つくことによって性的興奮を覚える」という嗜好があるとかで。

実は、女医とは昔の恋愛関係。男は「君を傷つけたくない」と別れを切り出され。
でも、男に記憶なし・・・みたいな。

男を疑う刑事部長は被害者の親父。部下は被害女性に惚れており・・・。

被害者は、自称・占い師のホームレス女に調査を依頼。
一方、男は催眠療法で記憶を回復していく。

そしてホームレス女は、実はデータ収集にて相手素性を解析していくタイプで(占い師の多くが同タイプだが)、事件現場へ赴き情報を収集していき、探偵もどきの推理を働かせ・・・。
真相が明らかになっていく!!!

――なんちゅう、けっこう見せる展開でドラマは進み(この辺、マトモなのに役者さんが素人臭いのが不評の原因なんだろうが)。

過去の写真、自分が写っていながら記憶が無い男の目から、自分の姿が黒く抜け落ちているスライド映像。

記憶が戻ると共に、役者は黒い影に身体を合わせていく・・・。
ナゼか被害者の父親も、昔の映像に身体を合わせ、会わなかったりして会場、笑い(それが笑いのシーンなんだから「上手くないから合わなかった」とか言ってもねぇ・・・)。

――で、背後の巨大スクリーンに「ある画面」が投影され、その登場人物にあわせて2人の役者が、動きをシンクロさせていく。

事実判明の会話に合わせ、まったく関係ない映像で動く役者に会場は大笑い。

つ~かコレがシベリア名物の「仕掛け」(細かくは書かんが)。

シリアスなドラマに平行して行われる、大袈裟な割にチープなギミック・・・その馬鹿馬鹿しさ場内大笑い。

稽古して、技術屋さん呼んで、金も時間も掛かって、労力も掛かって・・・結果がこんなアホな事。

それが「シベリア少女鉄道」。

相変わらず、その情熱と心意気は感服に値する。

役者さんは、作・演出の土屋亮一氏の「自己満足」の為に、ボランティアのように付き合っているのだ!「プロっぽさ」を求めてはいけません!!!(でも上手くなってるんだよなぁ)

犯人探しは意外な展開を見せ。どんでん返しに次ぐドンデン返しを経て、終演へと雪崩込むのだが。

それだって、土屋氏が「神である自分が、どうにでもコントロールできるのだ」・・・という“残酷な神”たるマニフェストかも知れないのだから。
生真面目に見ても仕方あるめい。

昔からのファンは大満足だろう。
前回公演の不評を受けて「これでイイんだろ?」と土屋氏、ほくそえんでいるかも知れんが(最後に「ジャンピンジャック・フラッシュ」演った90年代公演のミック・テイラーみたいに)。

カーテンコールなし。やられたら堪らん。
なんて言ってて、次回やったら面白いかも(笑)。 

「シベリア少女鉄道/笑顔の行方」を見に行く

2005年05月16日 | 生活
第13回公演ってんで。
前回の上演会場の受付テーブルで購入したのが今回のチケット。

今回と言いつつ、実は5月7日の話なのだが(笑)。

シベリア、前回の公演がスゴかった。
ストーリーを舐めた展開、放り投げたようなエンディング・・・に演劇評のサイトでは「ヒドイ」「二度と見ない」の書き込み多数で。

それまでの公演で見られた「普通の演劇と見せかけて、中盤移行に『仕掛け』炸裂、常連ファン爆笑」・・・なシーンも殆ど無し。

常連気取った人々も「ポカ~ン」みたいな。
そんな前回の公演。

――で、今回の公演「笑顔の行方」ですが。
期間は、5月の7日~11日。会場は、新宿の紀伊国屋サザンシアター。

ワタシャ、初日の夜の部を観劇したのだが。
前売の3000円券を手に、新宿の南口から高島屋サザンテラス方面に急いだのだった(例によって時間ギリギリ)。

東急ハンズ上層階から、横断通路を通ってアネックス館へ。

入り口では連れが怒った顔して待っていた。
まぁ、開演時間には余裕で間に合ってるのだが。
 
客席は8割くらいの入りか。客層は若めか?男性客が結構多いが、連れが言うには「以前は、もっと演劇マニアみたいな人が多かった」。 
 
――場内暗転。
緊張が走る。今回はどうなのか?また予想外の裏切り方されるのか?

特に私は、職場の女子2名に「面白いよ~」と、オススメしているのだから、なおさら心配(今回最初に買っておきながら、田舎の法事で行けなくなった9日のチケットを半額で譲与)。