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競泳各選手あれこれ④

2013年08月12日 | 競泳
そして安定の寺川綾さん。

もう、色んな経験が全て糧になってる風です。

「期待に応えられなかった辛さ?ウフフ、嫌というほど知ってます」
「でも、もう そういった事は乗り越えました(笑)」
・・・といった体で

スイスイ泳いでおいでです。

そもそも、この方が注目を集めたのは高校2年生だった2001年。
福岡・世界水泳でテレ朝の番宣CMに出演し、ぶりっ子ポーズで「声援ください」と
コメントさせられてるシーンに「美少女スイマー登場!」と世間を騒がせたが。

それ以降が長かった。
人気と期待に結果が追いつかず、一時は世界大会出場枠から漏れた事も・・・。
伊藤華英や中村礼子との三つ巴で日本女子背泳の層が厚かったとはいえ、
五輪or世界水泳でメダルを獲得しないと日の目を見ないのが日本の競泳選手。
 
寺川ネェさんが、そういう大会でメダルを獲得したのは2011年の上海・世界水泳。
遂に50m背泳ぎで27秒93の記録で2位に入り、銀メダル。
世界選手権で悲願の初メダル獲得となったが、それは実に福岡の世界水泳から10年目の事だった・・・。

平井伯昌コーチの門を叩いた事も好転のキッカケとして欠かせない要因だし、
悲願のメダリストとなった以降は重荷が取れたかのように伸び伸びとした泳ぎを見せ
2012年の国内大会では、日本新記録や自己記録を更新して優勝。

2012年のロンドン五輪では、女子100m背泳ぎ決勝で58秒83の日本新記録で銅メダルを獲得。
オリンピックでも遂に初メダル獲得となった。

そして今年の世界水泳バルセロナ大会。
100m背泳ぎで59秒23の記録で3位に入り銅メダル。
50m背泳ぎで27秒53の記録で3位に入り銅メダル・・・と、男子の萩野と同様に複数メダルを獲得。
最終日の女子メドレーリレー決勝では第1泳者を務め、58秒70の100m背泳ぎ日本新記録を更新。
※メドレーリレーでは
 第一泳者のみ公式個人結果としてタイムが認められている

年齢こそ28歳とベテランの域に達し、メダリストとなった以降も
雑誌やファンションショーにモデルとして登場するなど活動の幅も広げ、
その自然体の佇まいが、ますます魅力的に映る寺川ネェさん。

レース後のインタビューでも自然体。
背泳ぎ女子100m決勝後は、フランクリン(米)やシーボム(豪)と
「オリンピックと同じ順位だったねと話してました」などと
海外選手とのコミュニケーション能力をサラッと披露。
※さすが英会話のジオスCMに出演し、
 自身も米国プールで練習していただけの事ありです

50m決勝では、隣の若い趙菁(中国)が自身の優勝を電光掲示板で知って
「キャー!!」と大声で喜ぶ様を少しビックリして見つめながらも、
直後には優しく微笑んで「ウフフ、良かったわね。おめでとう」とばかりに
祝福する様は実に素敵でありました。

この10代の趙菁はプールから上がってからも綾ネェさんに抱きついていて
「ああ、いま日中は微妙な関係だけど、スポーツ選手に
そんな事は関係ないな。素晴らしいなぁ」
・・・と、とても嬉しい気持ちにさせてくれました。

瀬戸大也の金メダル獲得時も、自身のリレー調整のためサブプールで見届けて喜びのポーズ。

さらに横で感激のあまり大泣きする入江陵介の背中を
「なに泣いてんのよ、も~」とばかりに笑いながらタッチする様が、
これまた素敵なオネェさん過ぎて参りましたよ。

現在の寺川綾には
「安定」「充実」という言葉しか浮かばない。

もちろん、そこに至るまでは苦悩の日々もあったろうし、辛い練習や自問自答もあっただろう。
ただただ、現在の境地に達した事を称えたいし、
寺川以外の一人でも多くのスイマーに、「その境地」に達して欲しいと切に望みたい。

競泳各選手あれこれ③

2013年08月12日 | 競泳
そして、決勝に進出した中
惜しかったのは、やはり背泳ぎの入江陵介。

帝王ピアソルに挑み続け、一時は世界記録保持者となるも、違反水着の着用が原因で記録は抹消。
(本人や周囲は全く知らなかったようだが)

このままじゃ、SPEEDOの高速水着が巻き起こした世界水泳連盟の混乱期にピークを迎えた選手
・・・って事になってしまうじゃないか。

今大会では、五輪後から続いていた肩の痛みが取れず、ベストな泳ぎが出来ない状態だったとか。
4月の日本選手権でも100mでは萩野に敗れて2位。
(200mではうまいレース運びで優勝したが)

しかし、その後も状態が回復する事なく、世界大会を迎えていたのだが、
それでも入江は、「エースと呼ばれるには金メダルを獲れる選手でなければ」とトップを狙って泳いだそうな。

これまでも世界的な大会で銅や銀は獲得してきた。
北島に頼ってばかりいられない日本の競泳界で次期エースと目されたのは入江だった。
目指すは金。ピアソルが引退した今、狙うは新たに背泳ぎの世界的第一人者となったライアン・ロクテ。

そのロクテに挑んだロンドン五輪では、悲願のロクテ越えなったが、その先にクラーリーが1位で滑り込むという波乱!
「世界には速い選手がいくらでもいる」という現実を身をもって知らされた。

今回のバルセロナ世界大会でも、より良い色のメダルを狙って泳いだが、
100mは3位に0秒08差の4位で、数年ぶりの無冠。

「このまま終わってなるものか」と彼らしからぬ厳しい言葉で得意の200mでの巻き返しを誓ったが、
前半からロクテと勝負するように積極的に入ったが、後半は失速して4位という惜しい結果に終わっている。

レース前の「入江、萩野のダブル・メダル」なんて国内メディアの喧騒が虚しくなる結果・・・。
レース後のインタビューでは苦渋の表情で
「もう自分はトップに立てない人間なのか?」
「後進も出てきたし考えなければならない」と発言。

周囲と自身の期待と現実との違いに苦しみ、
「弱いから辛い」とコメント。

そこで北島康介に「強いから辛いんだ」とフォローしてもらい。

翌日のメドレーリレー前の調整中に瀬戸大也の金メダル獲得を知って
サブプールで感激のあまり大泣き!

そして、最後のメドレーリレーでは、第一泳者としてチームの3位入賞に貢献。
すべてのレースを終えた安堵もあってか、北島康介と一緒に銅メダルを
獲得した事もあってか、最後は笑顔を取り戻していた。

もうね、婦女子の皆さん
2次元に気を取られてる場合じゃないですよ。

「自分はエースにならなきゃ」
「もう背泳ぎ王子とか言われてる場合じゃない。勝つ“男”になるんだ」とばかりに
日本競泳界を牽引しようと頑張りつつも

やっぱり顔を見せたのは「涙を見せてしまう少年っぽさ」

イイじゃないですか。
自分らしく泳いで自分らしく振舞えば。

エースの重圧を被せられる事も、自身が自覚しすぎる事もない。

見てるこっちも、入江陵介が最後に見せた笑顔で救われました。
本人の今後にとっても収穫と言えるでしょう。

結果の良くないレース後、選手はナーバスな事を発言したりします。

気持ちを切り替えて、コンディションを整えて、また復活して欲しいと思います。
それだけの選手だと思うし、日本水泳界もそう考えているでしょう。