あるBOX(改)

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再録:思い出の名勝負「大蔵秋彦vs中山貴史」

2013年08月30日 | ボクシング
大蔵秋彦vs中山貴史 

1991年9月5日 後楽園ホール Jバンタム級10回戦

ノーランカーvs日本1位。
3勝2敗で初10回戦の大蔵vs日本タイトル戦間近の中山。

しかもKO勝ちが一つも無く、直前の試合でパッション内山(武蔵吉山)に敗れた大蔵に、勝ち目ありと考えた関係者は殆ど皆無だっただろう(大蔵が所属する帝拳以外は)。

第1ラウンドから中山(ロッキージム)が前に出て、大蔵がかわす展開。

国内トップランカーに上り詰めた中山なれど、他の選手の転落に乗じてのランク上昇の印象が強く、上位ランカーに圧勝した記憶が無い。

単調な攻勢を続ける中山に対し、勝率の悪い方の大蔵が上手くジャブを出鼻に叩いている。
決してスマートとは言い難い体型だが、足も使え相手に的を絞らせない。

「意外に上手いな、この選手」と感心している内に、スコーンと大蔵の右ストレート。
中山のボディ攻撃が続かない。ますます大蔵のカウンターが冴える。

第3ラウンド、完全にタイミングを掴んだ大蔵が、真っ直ぐ入ってくる中山の顔面に右ストレートを迎え撃ち!ダウン!

必死に立ち上がり、なおも前に出る中山だが
ダメージは明らかで、またしても大蔵の右カウンターで四つん這いダウン。

レフェリーストップで、番狂わせのノーランカーTKO勝利となった。

勝利者インタビューを受ける大蔵、中大時代のアマキャリアが花咲いた見事な勝利を淡々と語った。
「大蔵秋彦の名を憶えていて下さい」・・・彼の言葉が印象深い。
顔もどこか田舎臭く、竹原慎二を野暮ったくして、ホクロから毛が生えてると言ったイメージであった。

26歳の彼に残り時間は少ないと思ったのか、彼のボクシングが完成の域に近付いたと考えたのか。

阿部真一・福本博章に連勝した大蔵に、帝拳ジムはG金山との日本バンタム級タイトルマッチを用意した。
私も大蔵は勝てるかも知れないと思った。

事実試合は大蔵ペースだった。
しかし李東春はシタタカで勝負強かった。最終回2分35秒、起死回生の右を叩きつけられ大蔵は後楽園のリングに沈んだ。

ダメージは深く、帝拳は引退を勧めた。しかし大蔵は1年のブランクを経てカムバックを狙った。
相手はジュン・ピート日立。大蔵はKOで敗れ、病院に運ばれた。

左フックを浴び、後頭部をキャンバスで強打。一時は危篤状態に陥ったが、開頭手術で一命を取り留めた。

あの李東春もリング禍で亡くなった。リングには神も宿るが悪魔も蠢いていた。
大蔵が順調に回復したというニュースが、せめてもの救いだった。

大蔵秋彦氏、死去していた

2013年08月30日 | ボクシング
ボクシングビートに載っていました。
1991年~1992年に日本バンタム級の上位選手として活躍した大蔵秋彦さんが亡くなったとの事。

寂しいですね。
また、思い出の選手が逝ってしまいました。

当時日本1位だった中山貴史(ロッキー)と戦い、番狂わせのTKOで勝利した試合が思いおこされます。

実は
私のHP「あるBOX」の思い出の名勝負コーナーにUPした同試合の記事をみた方から
大蔵さんの晩年の話は知らされていました。

メールで届いたその内容は

「大蔵さんは飲食店に勤めていた2008年、自転車で走行中に居眠り運転の車に
 追突され、サイドミラーで後頭部を痛打し入院、開頭手術を施され、
 現在は高次脳機能障害者として第二の人生を歩んでおいでです」
・・・というものでした。

グループホームで穏やかに生活し、選手時代の経験を聞かれても
鮮明な記憶をもとに返答されていたそうです。

ただ、専門誌の記事などスクラップは取っていなかったようで
施設関係者の方から「どの雑誌を参考にされたのか」尋ねられたのです。

当時の試合が掲載されたボクシング専門誌を返答する程度の協力しか出来なかったのですが

引退試合でKO負けして開頭手術しながら、日常生活をおくれるまで回復しつつも
また交通事故で手術する事になっていたのか・・・と
運命の残酷さに言葉を失いました。

グループホームでの衣食住に渡る生活全般は、スタッフの方々に支えられ、
過不足なく送り、性格も温厚で他とトラブルを起すような人ではなく、
本当に静かな生活を楽しんでいるようだったそうです。


しかし、
今年7月29日に大蔵さんの同級生だった群馬在住の方から
「大蔵秋彦さんが一昨日、ご逝去なされました」というメールが届きました。

やはり私の「大蔵秋彦vs中山貴史」の記事をお読みになっての連絡でした。

「小さい頃から運動神経が凄くよかった、あいつの活躍がわかりました」という言葉もいただきました。

交通事故の後遺症があったとはいえ、49才という年齢は若すぎます。
あのグレート金山をテクニックで苦しめた日本タイトルマッチも素晴らしい熱戦でした。

日本1位の中山を倒したあとも、噛ませではない日本選手を破って堂々と金山に挑みました。

※阿部真一など、葛西裕一にこそ倒されましたが、
 元アマ高校王者で2連覇した島本和博(帝拳)を強烈な左ストレートで
 KOしたサウスポーの危険な強打者でした。

大蔵選手のプロボクサー生活は
中大のアマを経験して、遅いプロ入りと言うこともあり、短いキャリアでありましたが
私には多くの感動を与えてくれました。

大蔵選手、ありがとう。
こころより御冥福をお祈り致します。


大蔵秋彦 1964年12月22日生 
バンタム級 帝拳ジム所属

戦績10戦6勝 (1KO)4敗(2KO敗)

1989-11-30 4回戦でデビュー 判定勝ち
1990-07-06 小泉秀司に判定勝ち
1990-10-18 北沢鈴春に6R判定負け
      8回戦の判定勝ちをはさみ
1991-06-03 大阪でパッション内山と対戦し、
      8Rマジョリティ・デジションで敗北
1991-09-05 日本1位の中山貴史を3RでTKO
1992-02-01 阿部真一に10R判定勝ち
1992-06-03 福本博章に10R判定勝ち
1992-10-03 グレート金山の日本バンタム級タイトルに挑み、
      最終回2分35秒でKO負け
1993-10-02 ジュンピート日立に5RでKO負け
      引退