ピーターバラカン氏をして、
「70年前後のブリティッシュロックで1番ファンキーなベーシスト」と
言わしめた男、アンディフレイザー。
彼の道程を各メディアや書籍「ヘヴィロード」から抜粋しながら
書き連ねて行きたいと思います。

Andrew McLan "Andy" Fraser。
1952年7月3日ロンドン生まれ。
祖父はスコットランド出身、英領ガイアナでサトウキビ農園を経営。
祖母は、その農園の労働者。
混血の父親ジョン・エドガー・フレイザーは、ロンドンの
法律事務所に勤務。
母バーバラは、ロンドン生まれでブロンドの白人女性。
2人の間には4人の子供がおり、アンディは上から2番目で長男。
フレイザーが6歳の時、両親が別居。母親に育てられる。
子供の頃からピアノを学び、12歳までのレッスンで音楽の
素養を身に付けた。
両親が離婚するまでは父が聴くカリプソ・ミュージックに馴染み、
グラマースクールに入った頃には、ロックやモータウンも耳に
していたアンディーは、ギターを手にするようになる。
P・マッカートニーやJ・ブルース、スタックスの演奏を肌で感じ
「自分はベース・プレイヤーに向いている」とベースに転向。
当時、姉のボーイフレンドだったビンキー・マッケンジーの影響もあった。
ビンキーはアレクシス・コーナーのバンドにも在籍するベースマンで
八方破れのプレイヤーとして注目されていたという。

驚くべきことに、アンディは13歳の頃、既にイーストエンドのスカ・バンドに
加入し、“プロ”として活動を始めていたという。
※カリビアン・クラブと言いつつ、ウィルソン・ピケットやサム&デイヴ、
オーティス・レディングの曲をコピーしていたそうで。フレイザーの
腕前はめきめき上がっていった事は言うまでもない。
なお、チンピラ的性格だったビンキー・マッケンジーは、殺人事件を
起してしまい無期懲役となってしまったそうな・・・
長髪のため学校を退学となったアンディは、ハマースミス美術学校へ入学。
そこで、アレクシス・コーナーの娘サッフォーと同級生となる。
お付き合いする事になった両者、アンディのエキゾッチックな魅力に
サッフォーちゃんはコロっといっちゃったんでしょうか。
そして、コーナー宅に出入りするようになったアンディ。
コーナーを父親のように慕ったんだそうな。

この頃、コーナーは自分と同じく英国ブルース界のアニキ的存在だった
ジョン・メイオールから「ベーシストを探している」と聞かされており、
「では!」と白羽の矢があったのがアンディ・フレイザー。
たった15歳。1968年の事でした。
そのバンドこそ、クラプトンやミック・テイラー、ピータ・グリーンら英国の
錚々たるミュージシャンを輩出したブルースブレイカーズだったのです。

しかし、メンバーチェンジが多い事でも有名な同バンド。
フレイザー参加の2ヶ月後にドラマーのジョン・ハイズマンが加入し、
ハイズマンが旧友のベーシスト=トニー・リーブスを誘い込んだ事で
アンディは解雇されてしまう・・・。
「70年前後のブリティッシュロックで1番ファンキーなベーシスト」と
言わしめた男、アンディフレイザー。
彼の道程を各メディアや書籍「ヘヴィロード」から抜粋しながら
書き連ねて行きたいと思います。

Andrew McLan "Andy" Fraser。
1952年7月3日ロンドン生まれ。
祖父はスコットランド出身、英領ガイアナでサトウキビ農園を経営。
祖母は、その農園の労働者。
混血の父親ジョン・エドガー・フレイザーは、ロンドンの
法律事務所に勤務。
母バーバラは、ロンドン生まれでブロンドの白人女性。
2人の間には4人の子供がおり、アンディは上から2番目で長男。
フレイザーが6歳の時、両親が別居。母親に育てられる。
子供の頃からピアノを学び、12歳までのレッスンで音楽の
素養を身に付けた。
両親が離婚するまでは父が聴くカリプソ・ミュージックに馴染み、
グラマースクールに入った頃には、ロックやモータウンも耳に
していたアンディーは、ギターを手にするようになる。
P・マッカートニーやJ・ブルース、スタックスの演奏を肌で感じ
「自分はベース・プレイヤーに向いている」とベースに転向。
当時、姉のボーイフレンドだったビンキー・マッケンジーの影響もあった。
ビンキーはアレクシス・コーナーのバンドにも在籍するベースマンで
八方破れのプレイヤーとして注目されていたという。

驚くべきことに、アンディは13歳の頃、既にイーストエンドのスカ・バンドに
加入し、“プロ”として活動を始めていたという。
※カリビアン・クラブと言いつつ、ウィルソン・ピケットやサム&デイヴ、
オーティス・レディングの曲をコピーしていたそうで。フレイザーの
腕前はめきめき上がっていった事は言うまでもない。
なお、チンピラ的性格だったビンキー・マッケンジーは、殺人事件を
起してしまい無期懲役となってしまったそうな・・・
長髪のため学校を退学となったアンディは、ハマースミス美術学校へ入学。
そこで、アレクシス・コーナーの娘サッフォーと同級生となる。
お付き合いする事になった両者、アンディのエキゾッチックな魅力に
サッフォーちゃんはコロっといっちゃったんでしょうか。
そして、コーナー宅に出入りするようになったアンディ。
コーナーを父親のように慕ったんだそうな。

この頃、コーナーは自分と同じく英国ブルース界のアニキ的存在だった
ジョン・メイオールから「ベーシストを探している」と聞かされており、
「では!」と白羽の矢があったのがアンディ・フレイザー。
たった15歳。1968年の事でした。
そのバンドこそ、クラプトンやミック・テイラー、ピータ・グリーンら英国の
錚々たるミュージシャンを輩出したブルースブレイカーズだったのです。

しかし、メンバーチェンジが多い事でも有名な同バンド。
フレイザー参加の2ヶ月後にドラマーのジョン・ハイズマンが加入し、
ハイズマンが旧友のベーシスト=トニー・リーブスを誘い込んだ事で
アンディは解雇されてしまう・・・。