あるBOX(改)

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追悼:アンディ・フレイザー(11)

2015年03月30日 | 英国ロック
「アンディの腕が戻れば、あの頑ななヴォーカリストの考えも
 変わるかも知れない」
「インタビューでも『弾きすぎないギタリストがいれば』と
 柔軟なことを語り始めたし」・・・と、私の希望は膨らんだ。

元々、FREEの再結成は無くてよいと私も考えていた。
金のために再結成して老残を晒したバンドもあるからだ。

それにポール・コゾフの代わりは誰もおらず、
※コゾフのギターは「泣く」だけではなかった。震え、叫び、
 吼えたりもした。そんなギタリストは空前絶後だ
コゾフのいないバンドがFREEと名乗るのには多くのファン・
関係者が違和感を覚えるのは間違いなかった。



それなら、「ロジャース、フレイザー&カーク」としてゲスト・ギターを
迎えてステージを踏めば良いでは無いか。
そんな事を本気で考えた。それでも充分すぎるライヴが期待できた。

2010年バッド・カンパニーで来日したロジャースの声も衰えていなかった。
最終日にFREEの曲「ビー・マイ・フレンド」を歌ったロジャースだったが
それは熱唱を超越した凄まじいものだった。
一曲だけではあったが、それは全盛期のアルバム「FREE LIVE!」に
勝るとも劣らない歌唱だった。

アンディのベース・プレイも復調してきた。
カークの「ヘロヘロになるまで叩く」姿勢も健在だった。

もし、「ロジャース、フレイザー&カーク」の日本ツアーが実現し
東京・横浜・名古屋・大阪の公演なんて決まったなら、私は仕事を休んで
全公演を追いかける!
・・・そんな夢を見た2013年の終わりだったが



まさか、その2年後にアンディの逝去ニュースが飛び込んで来ることに
なろうとは、思いもよらなかった・・・。

実のところアンディはHIVだけでなく、癌も克服していたと後から知った。
克服といっても再発の可能性が付きまとうのが癌という病だ。

最晩年の彼は、その事も考えつつ音楽活動を活発化させたのかも
知れない。
ステージでもファンや後進が望むFREEの曲を演奏し大いに
沸かせてくれた。

晩年の彼はカリビアン・ミュージックの演奏を楽しんでいたそうだが
自らが最も輝いていた頃の曲を、その頃を知るファンに届けて
くれたのだろう。



ありがとう、アンディ。
あなたが演奏する「Mr.Big」を、数メートル先で見る事が出来たのは
私にとって大きな感激だった。

私の「夢」は永遠に潰えてしまったが、あなたの名曲と名演は永遠に不滅です。
R.I.P. Andy Fraser