あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

グレン・フライ逝去に際し・・・

2016年01月20日 | 洋楽
NHKニュースでは取り上げられ、スポーツ新聞でも
記事となった。
※D・ボウイより小さかったが・・・

紙面を割いてくれたのはディリー・スポーツかな。
ただし、功績を讃えながらも「ホテル・カリフォルニアを
共作した元メンバー、ドン・フェルダー(68才)の自伝で
ヘンリーとの専横ぶりを痛烈批判された事もあった」と書かれ
ている。



作曲の権利分配で揉め、それとは関係ないところで解雇を
申し付けられたフェルダーの恨み節・・・。
ヘンリーとフライの専横は、好人物のランディ・マイズナーへ
向けられる事も増え、結局ランディも脱退し、ティモシー・B・
シュミットに交替。

※イーグルス再結成盤「ヘル・フリーゼズ・・・」の後、
 フェルダーはクビにされ、最終的にオリジナルメンバーは
 ドンとグレンの2名だけになった・・・と。



アメリカのショービズ界でノシ上がるには、それぐらいの
性根が無いとダメって事か?

CSN&Yに憧れた素朴な青年たちが、その対象よりも持ち上げられ
金銭的にも成功した事へ戸惑い、次作へのプレッシャーに
潰されかけた中での悲劇なのか?

そしては仕舞いにはトップ2も仲違いして解散・・・。
※英ブルースロック・バンド FREEを思わせるなぁ

ソロになってからは、TVドラマ「マイアミ・バイス」の
数曲を担当したG・フライ。
スーツにネクタイで「政治家にでもなるの?」といった風情で
シーンに再登場、やっぱり私を戸惑わせてくれたもんです・・・。



別な意味での「洋楽全盛時代」に活躍したとも言えるでしょう。

そんなフライさんだから。
お悔やみツイートも各方面から送られています。

近いところでは、
ドン・ヘンリー、J.D.サウザー、リチャード・マークス、
ドゥービー・ブラザーズ、ヒューイ・ルイス。



さらに、ブライアン・ウィルソン(ビーチボーイズ)、
ロビー・ロバートソンらロック界の重鎮。

英ロックからは、
ジュリアン・レノン、クイーンのブライアン・メイ、
ウィッシュボーン・アッシュ。

HR畑からは、
デイヴィッド・カヴァデール。マーティ・フリードマン、
ザック・ワイルド、ヴィンス・ニール(モトリー・クルー)、
テッド・ニュージェント、ラット、クイーンズ・ランチ、
セバスチャン・バック(元スキッド・ロウ)。

米ロックからは、
スティーヴ・ルカサー、ポール・スタンレー、
ナイト・レンジャー、ミート・ローフ。

新し目では、
フー・ファイターズ、デイヴ・ナバロ、リッチー・コッツェン、
マイク・ポートノイ(ドリーム・シアター)、ニッケルバック。

ポピュラー系では、ベット・ミドラー、キャロル・キング、
同様に女性アーティストでは、シェリル・クロウ、ウィルソン・
フィリップス、オリヴィア・ニュートン・ジョン・・・。



イーグルスという存在、G・フライという存在が、時代と
ジャンルを超え、深く深く浸透していたんだなぁ・・・と
感じ入る。

70年代ロック黄金期に現れ、爛熟期にピークを迎え、
過渡期に空中分解したイーグルス。
しかし、G・フライはソロ活動にてミュージックビデオ全盛期に
順応しヒット曲と人気ビデオクリップを連発した。

70~80年代の洋楽に関わった者・・。
ファン、関係者、音楽家、そしてミュージシャンを志した者たち。

全てがグレン・フライの声に、演奏に(彼は鍵盤も弾けた)
触れ、彼の逝去に感傷を覚えているのだ。
※メタルやHRのミュージシャンでさえ!

それは物凄い事だ。



個人的に事になるが、私と同い年だった従兄弟は、70年代
イーグルスの来日公演を見に行っている。

既に亡くなった従兄弟は、イーグルスやドゥービーらウエスト・
コースト・ロックが大好きだった。
※あと、シカゴも好きだったなぁ・・・。



昔の私は南日本の地方都市に在住していて、洋楽コンサートに
行くなんて夢のまた夢。
※一応、県庁所在地だったんですがねぇ・・・

TVもラジオも2~3局。東京の半分以下の数だった。
その反動か、東京在住となった今、機会があればイベントや
コンサートに出掛けているってワケだ。

でも、やっぱり70年代に行けた人が羨ましいよ。
従兄弟は天国でグレン・フライの歌声に触れていられるのかな?

グレン・フライへの追悼ツイートで誰かが呟いていた。

「死神よ、もう少し休んでくれ」

本当に、そんな気分だ。

イーグルスのグレン・フライも死去

2016年01月20日 | 洋楽
なんという事だ!!

グレン・フライまで!
しかも、まだ67歳じゃないかよ!!



1月18日、イーグルスの創設メンバーにして、シンガーで
作曲家、ギタリストのグレン・フライがニューヨークで
亡くなった。
発表はバンドの公式サイトにて。
原因は関節リウマチと急性の潰瘍性大腸炎、肺炎の合併症。

腸の疾患を抱えていたグレンは、昨年11月に手術も受け、
「長期の療養が必用」としてイーグルスの活動は停止されて
いたとの事。



「ホテル・カリフォルニア」の驚異的ヒット、同時期に
発売されたベスト・アルバムも相乗効果で売れまくり、
結果的にイーグルスは、アルバムとシングルの売り上げ合計が
1億枚を超える怪物バンドになった。
グラミー賞を6回受賞し、最も成功した70年代グループとも
言われた。

しかし、捨て曲なしの怪物アルバムを出したプレッシャーで
次回作は遅れ、そのあげくバンドは解散。

それぞれソロに転向したフライとドン・ヘンリーが競うように
シングルヒットを発表。

80年代に妥協したような曲調や、長髪をバッサリ切った彼らの
「変節」に寂しい思いもさせられたもんです。
「ユー・ビロング・トゥー・ザ・シティ」なんて、サックスが
むせび泣くアーバン・ポップだもんなぁ・・・。
※いや、何だかんだ言って好きなんですがね

しかし、あのムサ苦しかったイーグルスのメンバーが随分と
イメチェンされたもんだ・・・と。


※「ならずもの」のジャケです


※その頃のフライさんです。
 目の周りが真っ暗な写真もあって「何なんだ!」と思い
 ましたが、異常に彫りが深いために影になっていたのでした。

イーグルスの代表曲はヘンリーのハスキーでハイトーンな
声で歌われるものが多かったですが、フライの甘い中域声を
好むファンも多かったですよね。

私も両方好きなクチで、「ニュー・キッド・イン・タウン」
なんて当時すごく愛聴しておりました。

再結成を望む声も多いなか、トップ2は「絶対に有り得ない」と
頑なに拒否していたのですが。

しかし、1994年に突如として再結成。
変則アルバム「ヘル・フリーゼズ・オーヴァー」と、それに
関連するツアーは大ヒットを記録。



2011年3月1日から6日にかけ、5度目の来日を果たし、ドーム
ツアーを成功させた。

ちなみに、この数日後に東日本大震災が発生。

実は3/5観に行った私は、例によってダラダラと日記を書いて
いるうちに地震の影響で それどころじゃなくなってしまい、
イーグルス2011年東京ドームの感想は中断してしまったのだ。

※震災当日から暫く分の日付けは後から書き足したもの・・・

J・ウォルシュの「ウォーク・アウェイ」も聴けた。
「ホテル・カリフォルニア」も聴けた。
なんと、「ユー・ビロング・トゥー・サ・シティ」も!

ブルーグラス調の曲も、コーラスだけの「Seven Bridges Road」も、
カントリー調の曲も、すこしファンク・ディスコ入った曲も、
ハードロック調の曲も・・・あらゆる曲が詰まったショウだった。

まるでイーグルスの歴史を披露してくれたような、そして60年代
からの米国(白人層)のポピュラー音楽を網羅したかのような、
それらを東京ドームに提示してくれたような、そんな風にさえ
受け取れた、凄いコンサートだった。

ありがとう、グレン・フライ。



『呪われた夜』で「次はどんなアルバムが作られるんだろう?」と
ドキドキし、そして『ホテル・カリフォルニア』が来た時の衝撃、
感激・・・そして、感動。

リアルタイムで味わえた私は最高に幸せでした。
本当に、ありがとう。

天に召されたグレン・フライに祝福を・・・。