北朝鮮拉致被害者・曽我ひとみさんの夫=元米国兵士
チャールズ・ジェンキンスさんが死去された。
12/11夜、新潟県佐渡市の自宅玄関先に倒れているのが
見つかり、市内の病院に搬送されたが、致死性不整脈で
亡くなったとの事。享年77。
ジェンキンスさんは曽我ひとみさんの故郷である佐渡島の
土産物店で働き、佐渡観光にも寄与されていた。
米ノースカロライナ州出身のジェンキンスさん。
在韓米軍の陸軍軍曹だったが、1965年に軍を離れて、
北朝鮮へ。
その後、北朝鮮当局の指示で曽我さんに英語を教える
ようになり、その年のうちに結婚。
2002年に曽我さんが日本へ帰国を果たしてあと2年後
2人の娘とともに来日した。
その時の夫婦再会と抱擁&KISSには度肝抜かされました。
「やっぱガイジンさんや!ガイジンさん夫婦や!」…と。
米軍法会議で禁錮されながら、模範囚として刑期を短縮
されたジェンキンスさん。
その後、曽我さんの故郷佐渡市内で曽我さんや娘さん2人と
暮らし、地元の土産物屋店で働いていた。
忘れられないのは、電気グルーヴのピエール瀧とスチャダラ
ANIが出演する、スペースシャワーの「アニタキCAMP」。
「バイク買いたいんですけど何がイイっすかね~?」と尋ねる
だけのために、海を渡り佐渡島へ渡った回がありまして。
佐渡島の土産物店であっさり見つかったジェンキンスさん。
子供の頃から好きだったというバイクで通勤する姿が評判で、
オートバイ専門誌の「ミスター・バイク」の2006年11月号の
表紙まで飾られていたのだ。

「ホンダかスズキか」で迷ったのを相談しようと、佐渡島に
会いに行ったアニに、まずジェンキンスさんは、土産物の
営業トーク。
館内で売っていたセンベイを「センベェイ、イチバ~ン!」
「アマクナーイ シカモヤスーイ」と宣伝。
かなり気さくだった。
アニ瀧の来訪を快く受け入れ、格好良くバイクを乗り回す姿も
披露し、バイクの相談にも「こっちがイイ」とアッサリ乗って
くれてました。
マシン部が剥き出しかどうか、見た目&安全性を指摘した彼は
やはりバイク好きの目をしておられました。
少し前には「ファンシー絵みやげ」で有名な山下メロ院長の
訪問を快く受け入れ、昭和の珍しい絵みやげ採集に協力されて
おいででした。
※そこでも名産せんべいの宣伝を忘れない郷土愛…。
晩年は、すごい親しみやすい方という印象でしたよ。
死去について、拉致被害者で妻の曽我ひとみさん(58才)は
12日、佐渡市を通じて悲しみを語られている。
本当に愛し合う夫妻という感じでしたからねぇ…。
喪失感は如何ほどかとお察し致します。
波乱万丈の生涯を生きたジェンキンスさん。
晩年を穏やかに暮らされたのは、せめてもの慰めだったのでは
ないでしょうか…。
心よりお悔やみ申し上げます。
チャールズ・ジェンキンスさんが死去された。
12/11夜、新潟県佐渡市の自宅玄関先に倒れているのが
見つかり、市内の病院に搬送されたが、致死性不整脈で
亡くなったとの事。享年77。
ジェンキンスさんは曽我ひとみさんの故郷である佐渡島の
土産物店で働き、佐渡観光にも寄与されていた。
米ノースカロライナ州出身のジェンキンスさん。
在韓米軍の陸軍軍曹だったが、1965年に軍を離れて、
北朝鮮へ。
その後、北朝鮮当局の指示で曽我さんに英語を教える
ようになり、その年のうちに結婚。
2002年に曽我さんが日本へ帰国を果たしてあと2年後
2人の娘とともに来日した。
その時の夫婦再会と抱擁&KISSには度肝抜かされました。
「やっぱガイジンさんや!ガイジンさん夫婦や!」…と。
米軍法会議で禁錮されながら、模範囚として刑期を短縮
されたジェンキンスさん。
その後、曽我さんの故郷佐渡市内で曽我さんや娘さん2人と
暮らし、地元の土産物屋店で働いていた。
忘れられないのは、電気グルーヴのピエール瀧とスチャダラ
ANIが出演する、スペースシャワーの「アニタキCAMP」。
「バイク買いたいんですけど何がイイっすかね~?」と尋ねる
だけのために、海を渡り佐渡島へ渡った回がありまして。
佐渡島の土産物店であっさり見つかったジェンキンスさん。
子供の頃から好きだったというバイクで通勤する姿が評判で、
オートバイ専門誌の「ミスター・バイク」の2006年11月号の
表紙まで飾られていたのだ。

「ホンダかスズキか」で迷ったのを相談しようと、佐渡島に
会いに行ったアニに、まずジェンキンスさんは、土産物の
営業トーク。
館内で売っていたセンベイを「センベェイ、イチバ~ン!」
「アマクナーイ シカモヤスーイ」と宣伝。
かなり気さくだった。
アニ瀧の来訪を快く受け入れ、格好良くバイクを乗り回す姿も
披露し、バイクの相談にも「こっちがイイ」とアッサリ乗って
くれてました。
マシン部が剥き出しかどうか、見た目&安全性を指摘した彼は
やはりバイク好きの目をしておられました。
少し前には「ファンシー絵みやげ」で有名な山下メロ院長の
訪問を快く受け入れ、昭和の珍しい絵みやげ採集に協力されて
おいででした。
※そこでも名産せんべいの宣伝を忘れない郷土愛…。
晩年は、すごい親しみやすい方という印象でしたよ。
死去について、拉致被害者で妻の曽我ひとみさん(58才)は
12日、佐渡市を通じて悲しみを語られている。
本当に愛し合う夫妻という感じでしたからねぇ…。
喪失感は如何ほどかとお察し致します。
波乱万丈の生涯を生きたジェンキンスさん。
晩年を穏やかに暮らされたのは、せめてもの慰めだったのでは
ないでしょうか…。
心よりお悔やみ申し上げます。