都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

Once Upon A Time(ワンスアポンアタイム)

2025-02-24 | 台東区  
Once Upon A Time(ワンスアポンアタイム)
所在地:台東区 上野1-3-3
構造・階数:煉瓦・2
建設年:明治時代初期
解体年:2023(令和5).10
備考 :1976(昭和51)頃、改装してバーになった
Photo 2011.10.9

 明治時代初期に建てられた煉瓦蔵。1965(昭和40)年発行の東京都全住宅案内図帳では隣(上写真の手前側)に池田ビルがあって、蔵はその別棟とされている。また、下記「ぼくの近代建築コレクション」の記事には、酒屋の倉庫だったとある。

 改装されて1976年頃にバーになったそうで、それから40年以上営業していたことになるが、一昨年秋に解体された。
 写真の時は屋根にブルーシートが掛けられている。2011年秋の撮影なので、東日本大震災で瓦が落ちたりして応急措置がとられていたタイミングだったのではないかと思う。解体少し前の頃に撮られた他の方の写真では瓦屋根が復活していた。

 煉瓦造の蔵は都心では数えるほどになっているのではないだろうか。明治時代の建物はやはりかなり少なくなっている。

Once Upon A Time/上野1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 台東区  #倉庫・蔵  #飲食店 
ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンヂェラス

2025-02-21 | 台東区  
アンヂェラス
所在地:台東区 浅草1-17-6
構造・階数:木・2+屋根裏3
建設年:1946(昭和21)
解体年:2019(令和元)
Photo 2016.11.29

 浅草、オレンジ通りに面してあった老舗喫茶店。2、3回しか入ったことがないし、店内の様子は撮らずじまいであまり覚えていない。ただ、天井や窓の位置が低い場所があったりする少し変わった空間だなとちょっと思った記憶はあった。

 今回改めてチェックしたところ、その感覚はこの建物の経緯と関係があったようだ。下記、J-CASTニュースの記事によれば、創業時は平屋で建てられたが、内部に2階を造り、屋根裏を3階としたのだという。

 外観はハーフティンバーぽい洋風建物。内部は濃いめの木を多用した山小屋調の雰囲気。

 老舗喫茶店として有名だったが、建物の老朽化により2019年3月に閉店して解体された。レトロな喫茶店は都内にまだ残っているが、見ておかないとそれらもそのうちなくなってしまうのかもしれない。

浅草の名物喫茶店「アンヂェラス」70余年の歴史に幕へ
 街の復興夢見た創業者・澤田要蔵さんの功績: J-CAST ニュース【全文表示】

浅草 喫茶 アンヂェラス(閉店) - レトロ絵日記 de 街さんぽ
さようならアンヂェラス | 村井美樹オフィシャルブログ「村井美樹のつれづれ日記」 Powered by Ameba

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 文京区  #飲食店 
ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玉川電機商会

2022-09-09 | 台東区  


 玉川電機商会 Photo 1998.5.16

所在地:台東区 東上野3-37-7
構造・階数:木・2(屋根裏3F)
解体年:1998〜2000
所在地:台東区 東上野3-37-6
構造・階数:木・3?
解体年:2006〜07

 トタン張り、ギャンブレル屋根の屋根裏3階建て事務所。トタンが錆びてしまってめくれたりしてボロボロだったが、そのため逆に存在感のある姿になっていた。

 右側の3階建て?も同社の建物だったようだ。瓦屋根なので恐らく木造で、木製の引き戸や窓枠などからすると、こちらもそれなりに古い建物だったはず。左端に見えているのは、軽食喫茶おかもとの建物。

 古い住宅地図を見たところ、写真中央の建物は2001年版で既になく、右側の建物に玉川電機商会は移転している。2006年版ではその右側も仕舞屋となり、更に2008年2月のGoogle ストリートビューでは、それも無くなっている。


2022.12.21追記
 1953(昭和28)年発行の火災保険特殊地図では、中央が玉川電気商会(電機でなはく電気と表記)、右側(南隣)は北村電池KKと記されている。

玉川電気、宝運道具製作所/東上野3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 台東区  #商業系  #看板建築 
#ギャンブレル屋根   ブログ内タグ一覧
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛隣保育園・東京愛隣教会

2022-09-06 | 台東区  
愛隣保育園・東京愛隣教会
所在地:台東区 根岸5-15-1
構造・階数:RC・3(4F増築?)
建設年:1924(大正13)?
解体年:2012〜13(平成24〜25)
Photo 2010.12.4

 『日本近代建築総覧』では3階と記されているが、訪れてみたら4階建てだった。デザイン的には1〜3階と4階がほぼ同じだが、窓のサッシ割などが少し違う様子なので、4階は後年の増築だったのかもしれない。

 関東大震災後に建てられた建物らしいが、装飾がほぼないモダンな建物で、当時としては清新かつ斬新に見えただろうなと思う。大きく明るい窓はいま見ても清々しい。避難階段の増設などは仕方ないが、敷地外の電柱や電線がなければもっときれいに見えただろうにと思われる。

東京愛隣教会/根岸5丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 台東区  #学校  #教会  #近代建築 
ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴木食品工業

2022-09-03 | 台東区  
鈴木食品工業/宮本不動産
所在地:台東区 根岸3-16
構造・階数:木・2
解体年:2020(令和2)
Photo 2010.12.4

 かつては都電が走っていた金杉通りに面してあったモルタル看板建築。奥行きはあまりないが通り沿いの間口が広い建物で、中央の半円型に立ち上がったパラペットと、コーナー部などにある角柱状の装飾が印象的だった。


 Photo 2012.12.18

 「ぼくの近代建築コレクション」には、「1966(昭和41)年の住宅地図では「大丸中華」とあった。」とある。奥行きがあまりないカウンターのラーメン屋とかだった時代もあったようだ。それなので、1階は何度か改築されてオリジナルの様子は残されていなかったが、2階部分は昔からあまり変わらなかったようだ。


 Photo 1995.6.17

 90年代までは南側半分ほどが宮本不動産、残りが鈴木食品工業だったが、後に全てが鈴木食品工業になった。同社は安政年間創業といい、以前は北隣のモルタル看板建築を中心としていたようだ。

 また、金杉通りから西北側に入ったところ(写真左)には国分製本の2階屋があり、こちらは現存している模様。


 Photo 2013.11.3

 2階の窓は縦長で3分割された形。よく見ると下見板状に重なっているように見えるので、3枚のガラスがそれぞれ斜めになる突き出し窓だったのかもしれない。

 鈴木食品工業は現在も営業しているが、残念ながらこの建物も2020年に解体された。

鈴木食品工業
宮本不動産/根岸3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
【×】鈴木食品工業 - ずぼら堂懐古録
【鈴木食品工業】〜台東区の看板建築 - 台東区

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 台東区  #商業系  #モルタル看板建築 
#看板建築   ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガスライターサービスセンター・平坂ビル/旧 菊屋テーラー

2022-08-31 | 台東区  
ガスライターサービスセンター・平坂ビル/旧 菊屋テーラー
所在地:台東区 台東3-38-6
構造・階数:木・3
解体年:2015(平成27).10
Photo 2012.4.4

 木造モルタル塗り3階建てのいわゆる看板建築だが、初めて見たときはちょっと声が出てしまった。建物の大きさや用途に不釣り合いなほど派手な装飾は、下町のさほど広くない通りにあるとかなり違和感があり目立つものだった。

 建物の両隅部分はコリント式風の柱頭がある付柱がモルタルで造られているが、その内側、窓の両側にも付柱状の装飾が付けられている。この装飾柱は下部が半球状で壁から飛び出すようになっていて、また上部も柱頭で終わりになっていて、何をも支えていない。ちゃんとした様式建築では見掛けないデザイン。
 作者は正式な西洋建築デザインを学んでいなかったのかもしれないが、見よう見まねで洋風デザインをこしらえたお陰でこの特異なデザインの建物ができたわけで、その奇妙さが魅力的だった。

 1階は改築されて当初のデザインは残っていなかったが、この感じだと最初はどれほどだったのだろうと思ってしまう。派手なモルタル塗りファサードが残っていたのはある意味奇跡的だったのかもしれない。ただ残念ながらこの建物も数年前に取り壊されてしまった。

 私がこの建物を見たのは最後の頃に近く、ガスライターサービスセンターという店舗で、ビル名は平坂ビルだったが、昔の住宅地図では別の店だったりする。いつも見ている「ぼくの近代建築コレクション」によれば、1966年の住宅地図では「不二写真製版社」だったという。80年代の住宅地図では「今本ビル・平塚商事(株)」だった。
 いつ頃建てられたものなのか、また最初の用途や屋号は把握できなかったが、力の入ったデザインが記憶に残る。


2022.9.26 追記
 1953(昭和28)修正作図の火災保険特殊地図には「菊屋テーラー」と記されていた。第二次大戦の空襲では幸運にも焼失を免れた地区なので、戦前の建物だった可能性もあるが、戦後の時点では洋服の仕立屋だったようだ。

平坂商事/台東3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Jun-Jun on Twitter:「ガスライターサービスセンター」

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 台東区  #商業系  #モルタル看板建築 
#看板建築   ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶯谷アパート

2022-08-28 | 台東区  
鶯谷アパート
所在地:台東区 下谷2-3
構造・階数:木・3
建設年:1932(昭和7)
解体年:2020(令和2)
備考 :ギャンブレル屋根、屋根裏3階
Photo 2008.10.14

 下谷2丁目、言問通りの北側裏の通り沿いにあったアパート。大型のギャンブレル屋根が全体に載り事実上3階建てだったが、内部の間取りなどについては調べていなかったので詳細を知らず。


 Photo 2012.12.18

 屋根上のドーマー窓は7ヶ所、これに対して2階の窓は5ヶ所。食い違っているわけではないが、メゾネットタイプだとしたら部屋によっては上階に複数の窓があることになり、ないとは言えないがちょっと珍しいことになる。腰折れ屋根の屋根裏とはいえ、その部分の階高(天井高)もそれなりにありそうなので、やはり完全に3階建てだったのだろう。

 だとすると3階の廊下はどこにあったのか? 妻面の窓の位置から考えると道路とは反対側だったのだろうか。しかしこれだと陽当たりの良い南側が廊下だったことになる。もしかすると3階には廊下はなく、2階の廊下からそれぞれ階段で上る形だったのかもしれない。


 Photo 2004.12.25

 ギャンブレル屋根の屋根裏3階建ての集合住宅じたいが東京では珍しい存在だったので、内部は想像がつかない。解体された後になってから、写真を見ていろいろ気になり出したのだが、こんなことを考えるなら存在していたときにいろいろ見ておけば良かったのと思うのだった。


 Photo 2010.12.4

 下記「ぼくの近代建築コレクション」によれば、2000年頃に外装が改修されたそうだ。同サイトの記事で扱われている改装前の写真と、拙ブログ記事の改装後の写真を比べてみると、屋根の色、玄関わきのタイル壁、玄関扉などが改装の前後で異なることが分かる。

 最近まで入居者を募集したりしていたが、2020年末に解体されたそうで、現在はマンションが建設中らしい。なお、Google ストリートビューでは、2020年3月時点の写真が最新で、鶯谷アパートがまだ写っている。

鶯谷アパート/下谷2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
下町のラ・ボエーム 鶯谷アパート | Souvenirs de la saison

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 台東区  #集合住宅  #ギャンブレル屋根
ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柴田科学

2022-08-25 | 台東区  
柴田科学器械工業(株)分室
所在地:台東区 池之端3-2
構造・階数:RC?・3
解体年:2010(平成22)
Photo 2007.2.3

 池之端の住宅地内の角地にあった建物。道の南側には同社の工場もあったようだが、そちらは見ないまま数年前に両者とも無くなった。

 柴田科学は理化学関連の機器を製造販売している会社で、現在も本社は池之端2丁目にあり、草加市に工場があるそうだ。創業は1921(大正10)年とのことだが、同社の沿革で池之端(旧上野花園町)が出てくるのは1940(昭和15)年に工場を建設したときなので、この建物もそれ以降のものだったのだろう。

 3階建てだが、RC造だったのか木造だったのかは判別しにくい外観だったため不明。コーナーを丸くして立ち上げているあたりはちょっと古めなデザインだが、ほかの部分があまり古そうではないので、やはり戦後、昭和30年代頃までに建てられたのではないかと思う。

 2010年頃に解体され、2011年には跡地にマンションが完成している。

柴田科学

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 台東区  #オフィス   ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草橋ビル(第31イチオクビル)

2021-12-18 | 台東区  
浅草橋ビル(第31イチオクビル)
所在地:台東区 浅草橋1-1-14
構造・階数:RC・5/6
設計 :曽禰中條事務所?
建設年:1928〜29(昭和3〜4)
解体年:2014(平成26)
備考 :1967(昭和42)、2005〜07(平成17〜19)に改築
Photo 2005.3.27

 神田川に架かる浅草橋の北西詰の角地に建っていたビル。鈍角のコーナーを持つビルで、橋詰めの角地だったこともあり存在感を放っていた。
 1階は道路から直接入る店舗。上階へは西端(写真左側隅)の入口から入るようだった。「浅草橋ビル」の文字もこの西端の入口上に付けられている(ルの字は既に脱落していたが・・・)。
 また下記リンク先でも触れているが、1967年に改築されたそうで、恐らくこのとき6階が増築されたのだろう。ただ上写真の頃には1階の店舗もなく、全体にくたびれた状態だった。


 Photo 2009.5.30

 ところが2009年に通り掛かった時には、6階の増築部分が撤去され、窓も直されて外壁もきれいになっていた。コーナー部屋上の軒先にある装飾もシンボリックに見えるようになり良い感じになっていた。
 また、この日はお休みだったが1、2階には服飾店も入居していた。一方で、西端の入口上にあった「浅草橋ビル」の文字は取り外されていた。この頃は「第31イチオクビル」という名だったようだ。


 Photo 2005.3.27

 コーナー部分を下から見上げると、壁面自体はカーブを描いていたことが分かる。窓台が逆三角錐型に張り出しているのでエッジのあるコーナーのように思っていたのだが。よく見ると、ギザギザデザインの窓台は、段々が高いものと低いものが交互になっている。細かいところが妙に手が込んだデザインだった。

 改築されてきれいにもなっていたので、また当分存続するのだろうと思っていたが、その後5年ほどでこのビルも解体されたようだ。Google Street Viewで確認したところ、2014.6には存続していたが、2015.4時点では既に更地になっていた。ネット検索によれば2014年8月から解体が始められたそうだ。
 橋詰交差点に面した角地建物で、目立って街の雰囲気を創るものにもなっていただけに惜しい。

浅草橋ビル、東屋商店/浅草橋1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
本日も建築散歩日和 第31イチオクビル
WinterGarten・二十面相の館 浅草橋ビル(現・第31イチオクビル)

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 台東区  #近代建築  #オフィス  タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギャラリー藍染

2021-12-15 | 台東区  
ギャラリー藍染(小野田・宮沢邸)
所在地:台東区 池之端4-14
構造・階数:木・2
建設年:1931(昭和6)
解体年:2019(令和元)
Photo 2007.2.3

 白色の塗りと黒色の板からなる塀で囲まれた立派な和風住宅。住宅地図で確認したところ、90年代はまだ個人宅だったようだ。その後、2000年代にギャラリー・カフェとして活用されるようになったらしい。

 Google Street Viewで確認したところ、2019年6月時点では存続していたが2020年2月には更地になっている。この界隈には木造の和風住宅や洋風住宅が何軒かあったが、やはり次第にかなり少なくなっている。

東京ノスタルジア

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 台東区  #住宅系  #戸建て住宅 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする