この日は、「日本橋・京橋まつり 大江戸活粋パレード」が
中央通り(京橋三丁目~日本橋室町三丁目)で行われていました。
通行止めになっていたためこのイベント会場を
横切って日本橋船着場へと向かいます。
(このイベントも気になるところですが…)
ここに日本橋船着場があります。
1923年、関東大震災で築地に移転するまで
右手の岸には魚河岸があったのです。
佃島の漁師たちが幕府に魚を上納し、
その残りの魚を船板の上に並べて
売るようになったのが始まりだったそうです。
(それにしても豊洲移転問題はどうなるのでしょうか?)
乗船するのは、はとバスがチャーターした運河船。
屋根がないので、景色は堪能できますが、
暑さ寒さの対応は自身で調節しなければなりません。
荒天時には中止になりますので、
この日の天気がずっと気になっていました。
日本橋の下を潜り抜けていきます。
架橋100周年(2011年4月)を記念し、洗浄再生され、
新しい橋のように綺麗ですが、1911年に完成したものです。
現行の日本橋は国の重要文化財でもあります。
東京都中央区の日本橋川に架かる国道の橋である日本橋は、
日本の道路元標があり、日本の道路網の始点となっています。
石造二連アーチ橋で橋の長さ49m、幅27m。
橋柱の銘板にある「日本橋」の揮毛は
徳川慶喜公のものだとか。
三菱倉庫がある江戸橋、証券取引所がある鎧橋、
日本橋川に掛かる橋の9割は高速道路の下、
景観が悪い橋が多いのですが、
湊橋は高速道路の下ではないのでスッキリ
江戸の川は昭和に入ってほとんど消滅、
こうして残っている川があるだけで良いのかもしれません。
東京大空襲の後、残土で埋め立てられ
土地を造成してきたのです。
1964年の東京オリンピックの際には、
高速道路が必要になり、日本橋川の上を蓋をするように
道路が造られたたために空も半分程しか見えません。
ミツカンのマークより1本線が多いと見せてくれています。
川沿いにはミツカン、白鷹、白鹿などのビルなどが並んでいます。
川沿いに遡上して荷揚げし、すぐに馬車などで運んだために
奥行があまりない建物になっています。
愛知県のミツカンですが、ミツカン酢の祖である中埜又左衛門が、
江戸での早ずしの流行を聞き、米酢の売り込みを図ったことが、
全国ブランドへ発展の礎となったのだそうです。
江戸時代後期の大航海ネットワークは、
モノの流通を拡げ、庶民の衣食住を大きく変えました。
江戸時代にあっては最速の輸送手段だった舟運は、
日本橋界隈まで荷物を運んでいました。
さて、そろそろ隅田川へと向かって行きます。
東京都中央区
2016.10.23