箕輪城跡は榛名山の東南麓に広がる
独立丘陵上の中心部に位置します。
1987年に群馬県の戦国時代を代表する
城郭跡として国史跡に指定、
2005年に「日本百名城」に選定されました。
城の西側を流れる榛名白川や城の南側に存在した
椿名沼と呼ばれる湿地帯など自然の地形を
巧みに利用した構造になっています。
城域面積約36haと戦国時代の上野国において
屈指の規模を誇る城郭だったそうです。
発掘調査をし、最後の井伊直政期を中心に
門跡、石垣、石組の排水溝、土塁、堀、
掘立柱建物跡が見つかりました。
箕輪城を象徴する城門の一つであったと
想定される郭馬出西虎口門が2016年に復元。
(一番上の写真)
瓦の出土がなく屋根は板葺と推定されました。
伝統的工法で復元を行うため、
多くの工程があり、2年の歳月をかけて
最初の写真の郭馬出西虎口門が完成しました。
巨大な堀と土塁、巧緻な縄張りの堅固な
土造の城でしたが、最後に入った徳川家康の
譜代井伊直政によって石を多用した
近代城郭に大改修されています。
見どころの一つ二の丸から鍛冶曲輪の
南側に掘られた大堀切です。
幅30m、深さ20m、
城を南北に二分しています。
本丸から御前曲輪にかけて東側は土塁で防御、
土塁の右側は深い空堀です。
搦手口から二の丸を望みます。
長野氏・武田氏の時代はこちらが
大手口だったようです。
長野氏は武田氏の西上野侵攻の際、
この箕輪城を本拠に最後まで抵抗するも
武田信玄に落とされ、後に、武田氏、織田氏、
北条氏、徳川氏といった戦国大名の拠点として、
各大名の有力家臣が配属されました。
1598年、井伊直政は城を高崎に移し、
箕輪城は廃城になりました。
別名:ー
種別:山城⇒平山城
築城者:長野業尚
築城年:1587年
主な城主:長野業正、北条氏邦、井伊直政
群馬県高崎市箕輪町
訪問日 2022.9.24