ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

慰安婦問題のウソを論破:河野談話を撤回せよ!?松木国俊 AJER2012.1.19(1)

2012年02月29日 | 読書
慰安婦問題のウソを論破:河野談話を撤回せよ!?松木国俊 AJER2012.1.19(1)


反日の連係プレーで今のような状況になったことを、順序立てて説明。
強制連行はなかったとハッキリ言うべきだった。
日本の態度を見た韓国は日本に迫ってくる。
ついに河野談話、・・・。
そのあまりにもひどい内容に驚いた・・・。
是非ご覧下さい。
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今日買った本

2012年02月02日 | 読書

読書した感想を書いてみようと思っていたが、まだ読めていない。
それで今日、買った本から少しだけ・・・。

「金正男独占告白」五味洋治著 文藝春秋 1400円
 ・・・・・最近、書店でブックカバーをお断りしているけれど(どの本か読む時にわからなくなるので)さすがにこれはカバーを頼んだ。
あんまりだ、この表紙、内容は面白そうだ。まだ読んでいないので書かない。

「漱石詩注」吉川幸次郎著 岩波文庫 800円
・・・漱石は英文学専門だけれど、漢文は専門家以上ときいていた。
それでこれを書店で偶然に見つけ、ふとひとつの漢詩を見た。

訳だけを書く。

画龍に向かってみだりに睛(ひとみ)を点ずるをやめよ

画龍の躍る処 妖雲横たわる

真龍は本来面目なく

雨黒く風白くして空谷に臥す

通心あまねくもとむるも爪牙を失いうるならば

忽然と復た活きて魚蝦(ぎょか)を友とす


ここで吉川幸次郎氏の解説である。
どの詩も、「推測のひとつ」とされていて、読者に冷たい・・・

魚蝦とは雑魚、
点睛・・・ひとみを最後に書きいれるのが、龍の絵の完成である。
真龍・・・画の龍でない本物の龍
無面目・・・一定の姿はない
通身・・・体中

則天去私・・・芸術よりも自然をよしとする方向を含意とするならば、妖雲を伴う芸術の「画龍」は、自然の「真龍」に及ばぬとする気持ちがあり、しかしそれと共に芸術の「爪牙」を持たぬ自然は「魚蝦」の凡愚を友としつつ生きるのを、運命とせざるを得ぬという気持ちが、同時に動いているのではないか、と注釈者。これも「推測」のひとつである。
これって深い!!
さすが漱石、よくわかるよような気がします。
「推測」とは吉川氏、謙虚なこと。
文はむずかしいけれど感覚でわかる。

今日はこれだけ、ね。   質問は受け付けませんのでよろしく♪ 漱石もこれで終わり。
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ドナルド・キーンの「百代の過客」序にある日本の兵士の日記

2012年01月20日 | 読書

まだ「序」しか読んでいないけれど、この序に書いてあることに悲しい感動を受けた。
ドナルド・キーンはオペラ評論を書くとその言葉の美しさ・的確さなど絵巻物を観る思いに近かった。
たとえば、マリア・カラスが歌うヴェルディ「トラヴィアータ」で、高級娼婦だったヒロインが、アルフレードという田舎出身の青年に愛され、幸せな生活をしていたが、その青年の父親が彼女に「息子とは別れてくれ」と言ってくる。
ヴィオレッタは、アルフレードとその家族の為に自分は身を引く決意をするところ、「別れる」とは言わずに「アルフレード、あなたを愛しているわ」と歌って去る、大変悲しい場面、これを名歌手マリア・カラスがどう歌ったか、それを観ていない人々にもひたひたとその感動を伝えてくる書き手であった。

「音盤風姿花伝」にはこう書かれている。


・・・ときどき人々は、日本文学研究者のこの私が、日本の伝統的な価値基準である余情とはまったく対照的と思われているオペラに夢中であることに、驚きの気持ちを表明することがある。
確かに「アイーダ」のラダメスの勝利の帰還は、「熊谷陣容」の熊谷直実の勝利の(と思われている)帰還とはまったく異なった印象を生み出すものである。
しかし、われわれには人間が生まれつき持っている、変化を求める気持ちがあるから、パルテノン神殿と桂離宮の両方に感嘆することができるのである。
だが、それは別にしても、芸術にはどこか深いところで、互いに理解しあえる要素が確かに存在しているのだ。
六條御息所が光源氏の愛と、現世という「火宅」を捨て去る前に、鳥居の前でためらう瞬間は、「椿姫」(ヴェルディ「トラヴィアータ」)で、ヴィオレッタがアルフレードを追い払う前に「私を愛して、アルフレード、私があなたを愛するのと同じくらいに・・・さようなら!」と最後の愛の言葉を発する瞬間と、実はそれほどに違っていないのだ。
私はいまだにそう叫んだ時のマリア・カラスの声を聴き、カラスの身ぶりを見ることができるのだが、それは最高のドラマと忘れ難い音楽の見本として、わたしの六條御息所の思い出と溶け合っているのである。

これを読んだのは私の10代後半、ヴェルディを歌いたいと思っていた時であった。
でも、私はこの恐ろしい女のサガというのを歌うのを、特にこの「トラヴィアータ」については、数あるヴェルディのオペラの中で歌いたくない作品になってしまったのだ。
私にはとても・・・という気持ちがあった。ただ華やかに歌う曲ではない。
そして私はマリア・カラスという稀有なソプラノの実演をおおいに期待した。
彼女の歌はひとつひとつが最高だったし、あがめてしまうような存在になった。
しかし、彼女は衰えもはやく、私が実演(多分彼女の最後)を聴いた時は、もはやホールに声が響くような状態ではなかった。
そしてその尊大なステージマナーは、反感を持つようになったのだった。

以上が私が知っていた「ドナルド・キーン」だった。
しかし、今日、「百代の過客」の序を読んで、いたたまれない気持ちになってしまった。
ドナルド・キーンは戦時中、日本人兵士の遺した「日記」を読んでいた。


「例えば船体の中で自分の船のすぐ隣を航行していた船が魚雷を受けて目の前で沈むのを見たようなとき、その兵隊が突然経験する恐怖、これはほとんど読み書きができないような兵士の筆によってさえ、見事に伝えられていた。
特に私は部隊が全滅してただの7人生き残った日本兵が、南太平洋のある孤島で正月を過ごしたときの記録を覚えている。
新年を祝う食物として彼らが持っていたのは、13粒の豆がすべてであった。彼らはそれをわけあって食べたのだという。
太平洋戦争の戦場となったガダルカナル、タラワ、ぺリリュー、その他さまざまな島で入手された日記の書き手であった日本兵に対して、私は深い同情を禁じ得なかった。
たまたま手にした日記になんら軍事的な情報が見当たらない時でも、大抵の場合、私は夢中になってそれを読んだ。実際に会ったことはないけれども、そうした日記を書いた人々こそ、私がはじめて知るようになった日本人だったのである。
・・・こうした日記の中には、自分が戦死した後、拾って読んでくれるアメリカ兵に宛てた英語のメッセージを書き記したものもあった。

そしてそれらの日記は沖縄戦で誰かが持っていったと嘆いていられる。
私は、涙がでなかった・・・喉の奥でこらえた、涙を流すよりも苦しいときにそうなるのである。
「花の金曜日」であるが、私はケーキを買わなかった・・・(青字はベッラ記す)
コメント (6)
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