井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

文化芸術活動の継続支援事業補助金

2021-04-23 22:06:22 | アート・文化
ウイルス騒ぎで仕事がなくなった文化・芸術団体等が、文化庁を通して「何とかしてくれ」と訴えたのが1年前。

「何とかします」と当時の安倍首相は言ってくれたのが昨年春。

で、いつの間にか発表されていた「文化芸術活動の継続支援事業補助金」

昨年7月に第1次募集が始まり、私が存在を知ったのが9月。第3次募集開始直前だった。

それからは大急ぎで関係者に声をかけ、ホールや演奏者を確保し、9月下旬の締め切りギリギリに書類を提出。

それからまた急いで何曲か作って、演奏者に楽譜を渡し、10月末の録音録画にこぎつけた。

そこからが大変なのである。

まず「事業計画書」を提出しているのだが、毎日のように、細かい訂正を事務局が求めてくる。

それで交付が決定したのは何と11月中旬。

そこから1か月以内に「事業報告書」を提出せねばならない。
報告書は「証憑書類」と共に出す必要がある。

「証憑書類」という言葉を生まれて初めて知った。領収書の類いのことである。

そして、支払いにクレジットカードでも使おうものなら領収書以外に「クレジット明細書」と、そのお金が引き落とされた「通帳のコピー」が必要になる。

どこまで国民を信用していないのだろうか。

その「超面倒くささ」に辟易していたにもかかわらず、新規募集(いわゆる第4次募集)には、再度応募した。

何故か。

我が国の政府が「演奏したらお金あげます。質は問いません。」などと言ったことは今までなかったからだ。

もし同じ収益を演奏会で賄おうとしたら、4000円のチケットを500枚売らねばならない。
しかも、演奏会の場合、面倒な作業と演奏の準備を同時にこなさなければならない。
客を集めて質を下げる(練習できないので)か、客を集めないで質を上げるか、どちらかの選択を常に強いられてきた。

それに比べると、この面倒な作業は、ほとんどが本番後なので、当然ながら質を下げることにはならない。

なので、どれだけ面倒でもやるのである。

そして新規募集の収録は2月末に行い、その報告書は、ようやく先週(4月中旬)提出した。
そのような訳で、ブログ書いている暇なぞ、全くなかった。

そして、補助金もまだもらえないでいる(道理で最近お金が足りない。)

そうこうするうちに、今年度の募集が始まった。ARTS for the futureという名前がついている。

今度は個人では応募できない。

そんなこともあろうかと、今までいくつかのグループで活動していた。
その内のいくつかに現在働きかけているところだ。

今度はお客様を呼ばなければならない。

だが、数は問わないみたいだし、一応全額補助のように読みとれる。

さあ、頑張ろう。

追悼・安野光雅氏

2021-03-19 18:49:16 | 井財野作品
昨年の12月にお亡くなりになったと、今頃知った。

どんな絵でもさっさと描ける画伯だったらしい。
さらにウィットに富んだ詩作もできる。

その中の「大志の歌」に井財野は釘付けになった。架空の学校に校歌があったらどうなるか、という内容がまる一冊展開されている。

これは付曲するしかない、と出版社を通して連絡した経緯は、以前にも書いたかもしれない。

嬉しいことに返事が来た。やり取りは全て郵便、安野画伯の絵葉書でお返事がくる。

そして返事の内容だが、残念ながら(?)先約があるとのこと。しかも先約者は、昔ニュースセンター9時のレギュラー出演者だった森ミドリさん。

こりゃかなわないと一旦思ったけど、安野画伯曰く「井財野の情熱」に負けて、こちらが申請した曲に限って許可しましょう、という話になった。

とりあえず何とか許可をもらい、福岡のアマチュア合唱団「混声合唱団トニカ」の委嘱作品として演奏される運びとなった。

が、プログラムが決まってくると、この曲の後に、本格的なジャズっぽい曲が演奏されることになってしまった。

当初予定の終曲もジャズっぽい「サバダッテバ」だったので、ここはあっさりそれを引っ込め、新たに「おやゆび姫」を書き下ろした。

よって「サバダッテバ」は演奏されていない幻の曲になってしまった。(だからと言って、他の曲も一回演奏されたきりだが。)

それはともかく、安野光雅氏の画家としての才能と同じくらいに素晴らしい氏の「言葉を操る能力」、その一端に触れ、多少なりとも関われたのは、私の大きな財産である。

改めて、その機会を下さった安野氏、混声合唱団トニカに感謝し、また氏のご冥福を祈る次第である。

文化力は武力に匹敵するはずだ

2021-03-11 20:42:38 | 国際・政治
最近フローラン・シュミットやセブラックの作品を聴く機会があった。
どちらも百年くらい前のフランス人作曲家である。

面白いのあり、つまらないのあり、と全体には興味深いものだった。
それを述べても良いのだが、このようにフランス音楽に惹かれてしまう自分が、最近はちょっと嫌になる。

クラシック音楽だけではない。10代の頃からシャンソンの類い、ポール・モーリアやレーモン・ルフェーブルを聴いていた。

20歳頃にはフランス語の勉強を始め、ファッション・デザイナーやフレンチ料理のシェフが話すフランス語を聞いては「カッコいいなぁ」と思い続けて、現在にいたる。

それが、かなりの部分「幻想」だと気づかされたのが1年くらい前。

本当のフランスは、映画〈レ・ミゼラブル〉に出てくるようなバッチい国だ。
だから感染症もなかなか治らない。

だが、そのような物理的汚さはまだ良い。

フランスには俗に言う「植民地税」というのがある。簡単に述べると、旧植民地の収入の80%をフランスが持っていく、というもの。旧植民地の皆様は働いても自分達の収入になるのは2割だけ。これでは豊かになる訳がない。

日本のODAも、何のかんのでフランスが巻き上げているようだ。

もちろん旧植民地の心ある人は立ち上がるのだが、それは「クーデター」の名で抹殺されてしまう。

この税収たるや40~50兆円、日本の税収と大体同じ額。道理で彼らは遊んでばかりいる訳だ。

こんなに心が汚い国はあるだろうか。チャイナがあるか……。

こんな状況は、全く許せないのだが、にもかかわらずフランスに憧れる自分が、本当に嫌になる。

だから、(途中を端折ります)

日本の「文化」の力を強めるべきなのである。

日本の文化がもっと世界中に広まれば、私がフランスに抱くのと同じような思いを世界中の人が思ってくれる。
しかも日本の心は綺麗だ。
世界中の人が応援してくれる存在になり得る。

だから、ODAの半額でも文化に回した方が、よほど日本や世界のためになるだろう。
我が国の政府、早くそこに気づいてほしいものだ。

福岡も観光をもっと視野に入れよう!

2021-03-05 19:48:55 | アート・文化
やっと緊急事態宣言が解除になった(福岡は)。

この1億人規模の大騒ぎは、後生に盛大なる茶番劇として伝えられるだろうが、渦中の人間としてはたまったものではない。

最近暖かくなったから、まだ良いものの、電車もバスも窓を開けて走るのには参った。その寒さで風邪をひくとは考えないのだろうか。

飲食店が20時で閉まるのも参った。

福岡は観光する場所がない。自慢できるのは美味くて安い食べ物だけなのに、これを案内できなかったら、何のおもてなしもできないのである。

飲食店で感染すると言われて、閉店時間が早まっているのだろうが、実際は家庭内感染の方がずっと危なく、飲食店に行っている方が安全、というのが統計の結果である。

昔、共産圏を旅行した時、店の人がまるで働く気がなく、店が閉まる時間も早かった。まさか日本もそうなるとは……。

それはともかく、飲食店が開いていないと仕事を早く終わらせて夕食の時間を確保せねばならない。
それができれば良いけど、できなければ大変侘しい1日の終わりになってしまう。

東京の皆さんは、平気で(?)「ではコンビニで何か買って」とおっしゃるが、遠方からわざわざ来てもらって、コンビニ食では福岡の名折れである。

なので、緊急事態がとりあえず終わり、やれやれなのだが、その間に潰れてしまった店もある。どうしてくれるのだ、と問いたい。

が、そこは問題が根深いので、ここでは触れない。

昼間が仕事で忙しいならば、飲食店に直行でも良いが、翌日少し時間がある人、あるいは昼間から時間がある人のために、ちょっと面白いものを作る訳にいかないだろうか、といつも思う。
隣町の太宰府だと少々遠いので。

福岡市長は福岡城天守閣の再建案を出したことがある。が、やはり肝心の市民がピンとこないようで、一向に実現しない。
福岡城跡とほぼ同じ敷地に「鴻臚館(こうろかん)」跡地があって、こちらの発掘作業が終わらないのも影響しているのだろうか。しかし、この作業20年くらいやっているけど、まだ終わらないのか……。

そこまで大規模でなくて良いから、金子堅太郎の顕彰碑を建てるだけでも良い。
現在の西鉄グランドホテル近くで生まれ、やはりその近くでお亡くなりになった明治の偉人である。

と言いながら、私もその存在を昨年知ったばかりなのだが。
それはともかく、その碑文を見れば、日露戦争、皇室典範等、重要な足跡を遺した人なのだな、と思いを巡らせることができる。

人々は、そのようなストーリーに惹かれるのだ。極論を述べてしまえば、そのようなストーリーを感じさせさえすれば良いと言える。

福岡を早く観光のできる街にしてほしいものだ。

エスカレーター警察はいないの?

2021-02-09 21:50:15 | 日記・エッセイ・コラム
世の中全て「ちょうど良い」を判断したり、実行したりするのは、とても難しい。

日本人みんなが気をつけたおかげで、感染症が見事に抑えられたことは、とても嬉しい。
毎年ひいていた風邪を、今年は全くひいていない。ましてやインフルエンザなぞ、どこにも見かけない。これはありがたいことだ。

しかし、飲食店が20時で閉まったり、この寒空の中、窓を開けて走る電車などは「ちょうど良い」から逸脱している、と見る。

先日は、電車の窓を開けてまわるおじさんに遭遇した。よほど頑強な体の持ち主なのかもしれないが、少なくとも私は体温が下がり、抵抗力が弱まり、病気になりやすい状態になる(から、やめていただきたい)。

一方「マスク警察」に遭遇したことはないが、寒空の中を歩きまわるには、マスクが暖かいので、とても具合が良い。冷たい空気が、直接のどに入るのを防ぐという意味で、マスクは効果があると思う。ウィルスを防ぐ意味はなさそうだが、それでも意味を見いだせる。

一方、炎天下の夏は、熱中症の危険度が上がるので、基本的にやめたが良いと思う。なのに、昨年の夏は皆さんマスクしていたなぁ。「ちょうど良い」ではない例である。

とにかく、ここまでマスク着用が徹底し「マスク警察」まで出現するとは、感心するやら……やら。

国民に「お願い」するだけで、ここまで徹底した習慣になったのは、生まれてこの方初めてだ。

他方、同じ国民に「お願い」しても、全く見向きもされないことがある。

エスカレーターである。

「二列で」「エスカレーターでは手すりに捕まって」
と、日本エレベーター協会が何年も前から呼び掛けているのに、誰も従わない。

二列の方が輸送量が増え、待ち時間も減るから、混んでいる時は二列の方がずっと良いのに。

「習慣だから」という人がいる。
そうかもしれないが、これは比較的最近の習慣だ。

私が初めてヨーロッパに行った1985年、ドイツの地下鉄のエスカレーターに「Rechts stehen」(立つのは右)と書いてあって、感心したのだ。
話には聞いていたが、その習慣を目の当たりにしたのは初めてだった。

つまり、この時点で日本に「片側空ける習慣」は無かったのである。

だから、長く見積もって30年の習慣だ。

されど30年、ということか?

エレベーター協会の言う事に従うと、「場の空気を乱すヤツめ」という目で見られる変な状況になっている。
エスカレーター警察、誰かやらないかなぁ。