井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

アーロン・ローザンド讃

2009-10-26 00:31:12 | ヴァイオリン

アーロン・ローザンドが所有していたグァルネリ・デル・ジェス「コハンスキー」を,約9億円でロシア人が買ったというニュースを聞いた。

様々なことが頭をよぎった。

そうか,ローザンドのグァルネリはコハンスキーの使っていたものなんだ・・・。私にとってコハンスキーは名演奏家というより名編曲家として,なじみがある。

ストラドより高いグァルネリかぁ・・・

高すぎて,思考が働かない。

そして,何より・・・

売るってことは「引退」ってことかなのだなぁ・・・

これが,一番の感慨にふける事項。

本名,ローゼンクランツというユダヤ人と聞いているが,ずっとアメリカとスカンジナビアで活躍していたため,少なくとも日本では50才過ぎるまで全く知られていなかった。

それで,1981年に初来日した時,全くの無名だったので,我々音大生に招待券が回ってきた。会場は新宿文化センターだったかな。東京交響楽団をバックにショーソンの「詩曲」を聴いたのだが,その圧倒的に高貴な音の輝きに我々は圧倒された。

「すごいよ,すごいよ!」

今と違って,当時はプロモーターが来日させるとか,レコード会社や放送局が紹介するとかがないと,海外の演奏家に触れる機会はなかった。(同じ頃,ギトリスも初来日のはずだ。こちらも無名。)

すごいと思ったのが我々だけではなかった証拠には,翌年には東京交響楽団やNHK交響楽団の定期演奏会にソリストとして招かれたことを挙げて良いだろう。

私も早速,演奏会場でローザンドのレコードを買った。輸入版ではなかったということは,一応売られてはいた訳だ。しかし,変わった曲ばかり。ヨアヒムやフーバイの協奏曲,イザイの「冬の歌」・・・

今にいたるまで,他の演奏を聴いたことがない,いわゆる「珍曲」。

ローザンド曰く「ヴァイオリニストが作った曲こそ,ヴァイオリンの真価を一番引き出せる」とのことで,当時すでにヴァイオリン協奏曲のレパートリーが百数十曲あったはずだ。

「百数十曲!」皆さんはヴァイオリン協奏曲を何曲数えられるだろうか?

20曲数えられれば,プロ並みと言って良いだろう。一般的なプロ演奏家は20曲くらいのレパートリーを持っているのが標準だと思う。この中には,例えばサン=サーンスの第3番も含められる。ヴァイオリンを勉強する人は必ず弾く曲だ。しかし,演奏会で聴く機会は滅多にない。これでさえ「珍曲」に近い。(脱線:ヴァイオリンを弾く人間でもなかなか気付かないが,第3番があるということは第1番と第2番があるということ!私は第4番!のレコードを持っていたが,第1番を聴いたことは未だにないし,聴きたいとも思わない。)

つまり,大半のソリストは四大コンチェルトと,モ-ツァルト3曲,シベリウスばかり弾かされ,聴衆もそれを望んでいる実態は,昔から変わらない。その中にあって,この孤高の存在は際立っている。

買ったレコードのレーベルもVOXというなじみのない物。

いや,なんだか見た記憶がある,もしかして,と家のレコード棚を探したら1VOXレーベルが出てきた。

「母と子の・・・」とかいう,ヴァイオリン小品集。幼稚園の時,お手本に聴け,と与えられた類いのものである。あまり気に入らないものだった。ジャケットの写真では欧米人少女二人がヴァイオリンを弾いていて,欧米人のおばちゃんが弾く電子オルガンも一緒に写っていた。幼稚園生としては当然,そういう音が録音されていることを期待するのだが,出てくる音はヴァイオリンとピアノなのだ。それが気に入らない原因。

演奏者の写真など,全くはいっていないレコード,当時はそういう啓蒙的な物も多かったのかもしれない。

気に入らなかったけど,何度となく聴いてはいた。

それで,その演奏者は・・・案の定,アーロン・ローザンド。つまり,私はローザンドの録音~クライスラー等の小品~で育ったのである。

ローザンドが一線から退くというのは,私にとって一つの時代が終わったようなものだ。40年間も規範や感動を与え続けてくれたローザンドに心から感謝を捧げたい。


練習時間はどのくらい必要?

2009-10-11 22:41:31 | ヴァイオリン

練習を20回,という先生の発言にはオリジンがあると推測している。イスラエル・フィルの祖,フーベルマンの言葉:

「つっかえることなしに20回は繰り返し弾けるところまでテクニックを鍛えるべきである。」

つっかえたら,またそこから1回めの練習として数えるという,かなり厳しい基準。

ちなみに,ヴァイオリニスト志望の学生は一日に4時間は練習しなさい,とも言っている。時間について大家の発言を集めてみると,これは長い方に属する。ここがピアノとかなり様相の違うところだ。

もう一人,長い方の代表は,ダヴィド・オイストラフ。

「最良のアドバイスは,一日中ヴァイオリンとともに暮らすということです。」

朝,ヴァイオリンを手にして,おいて,昼,再度手にして,おいて,夜,また手にして,おいて,寝る前に最後に手にする,ということらしい。

「午前中に4時間も練習して,午後や夜にはしないというのは最良の方法とは言えません。」

ここから察すると,そうは言っても,一日累計45時間を考えていたのかもしれない。

逆に短い方の代表はクライスラー。

「一般的な意味での練習は,生涯したことがない。」

ギトリスのは冗談。

「やりたくないことはやるな(笑)です。それが一番。」

あとの大家は,その間のどこかになる。

エルマン「一日,3時間以上はやらなかった。」

DVD「アート・オブ・ヴァイオリン」の実に優雅な練習風景を御覧になった方も多いだろう。)

ミルスタイン「テクニックの上達ということだけで言えば,一日に23時間もやれば充分だ。」

ミルスタインの先生,アウアーの見解が,現在に至るまでの代表的な考え方になるだろう。

「正しい練習というのは時間の問題ではない。最大限4時間が適当。集中力のない8時間の練習より,集中力のある2時間の練習がよい。」

ヴィオラの名手,プリムローズの見解も,書いてしまえば至極当たり前,だが,迷った時には思い出すと有効。

「自分が満足できる進歩が得られたと思うまで,次のレッスンに持っていけると思うまで,勉強しなければなりません。一日数時間でできる人もあれば,もっとずっと努力が必要な人もいるでしょう。私は練習しすぎは良くないと思います。」

このように大家の発言を並べてみると,おおよその見当がつくというものだ。

最後にシゲティ。

「毎日2時間の練習で充分だと考えている。しかしその集中的な練習の前に【頭での練習】をやらねばならない。」

この【頭での練習】とは,楽譜をみて,どう演奏するかの計画をしっかり作ることだ。これはシゲティに入門した日本人達にはしっかり受け継がれ,その弟子である私達,少なくとも重要性は理解している。こう述べてきて,ひ孫弟子である私の生徒には,きちんと伝えているか,はなはだ心もとない・・・。

一方,孫弟子は別の情報も持っている。シゲティが日本人何名かを含む教育をスイスで行っていた頃の話。シゲティは近所に住んでいる弟子達の住まいを監視しており,ヴァイオリンの音が聞こえないと,練習するように言って回ったらしい。これは毎日2時間の話とどうつながるのか?

思うに,これはシゲティのみならず,これまでの大家の発言全て,このような矛盾をかかえている可能性があると考えるべきではないだろうか。

 それでアウアーの見解に戻ってしまうのだが,要するに時間で云々するのは,本来意味がないことなのである。でも何らかのよりどころがほしい時もある。その時は,再度上述の各発言を読むことをお薦めする。少しは落ち着くだろう。