NHKFMで「アイザックスターン変奏曲」という特別番組を5日間にわたって放送していた。
そこでこの曲が放送されたのだが、これは特別に懐かしいものだった。
その音源、LPレコードは私が高校生の時の新譜で、やはりNHKFMでその頃放送された。それをカセットテープに録り、何回となく聴いていたからだ。
それだけでなく、クラシック好きの同級生が「ダビングしてもいいか」と言われて貸し出しまでした。
その友人が言っていたことも忘れない。「サン・サーンスって冗談音楽の作曲家かと思っていたよ」
そのように、付随する思い出も含めて、さまざまなことを思い出させ、同時に当時聞き取れていなかったディテールまで共に迫ってきて、感慨深い録音の放送だった訳だ。
同時に「アイザックスターンは過去の人」という今の認識が、当時の「現在の人」という認識に重なる感激も味わってしまった。
不思議なことに、そこで今演奏しているような錯覚まで感じてしまったのである。
一体、この音源、LPだかCDだかわからないけど、この40年間に何回放送されたのだろうか。5年に1回、放送か試聴かされたとしても10回も聴かれていないことになる。実際は多分それ以下ではないだろうか、などということも考えてしまった。
スターン50代の演奏、改めてその素晴らしさに触れ、それが長い間眠っている現実にも、感じるところ大だったとでも言っておこうか。
サン・サーンスの曲は、ほぼ全ての曲のメトロノーム表示があてにならない。大体速すぎる。そして、一定のテンポではなかなか音楽的な表現ができない曲が多い。
なので、楽譜に書いてない緩急をつけるのが通例である。特にユダヤ系ヴァイオリニストはその傾向が強い。
他方、グリュミオーなどは、その緩急をほとんどつけずに素晴らしい演奏を遺している。
私などは「フランス系の本流は、やはりこちらだろう」と思ってしまう。
そういうことを考えていくうちに、スターンの演奏は全く聴かなくなってしまった。
多分今回、数十年ぶりに聴いた。
そして私の認識が、いつの間にか歪んでいたことに気づかされた。
確かに第1、2楽章は緩急が少しついているが、本当に少しだった。そしてスピード感溢れる第3楽章は、ほぼ一直線の演奏。
まさにサン・サーンスの意図をストレートにくみ取って表現したと言って良いのではないだろうか。
まだまだ血気盛んなアイザックスターン、やはり永遠の憧れの存在だと改めて思った時間であった。