井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

日本は多民族国家

2013-06-10 21:21:56 | ブログ
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三カ国語話せる人は・・・トリリンガル

二カ国語話せる人は・・・バイリンガル

一カ国語しか話せない人は・・・アメリカン

さて、英語を小学生からやらせるべきかどうか、随分昔から議論があった。アジア諸国では議論したかどうかもわからないくらい昔から、小学生にやらせている国も多くある。

そのような国では当然皆さん英語が使えるから、やはり日本もやらせた方が良いのではないかと思う、ということもあろう。

しかし、30年も前の話だが、そのアジア諸国の国民が言っていた。

「日本人が話せないのは、話せなくても用が足りる(先進国)だからですよ。私たちは、話せないと暮らせないので。」

なるほど、そういうものか、ということで英語が使えなくても一先ず安心、したかもしれない。

でも、時代が下って、隣の韓国人が英語をペラペラ話す様子が韓ドラ等を通じて知れ渡ってくると、日本人はまた穏やかではなくなる。やはり小学生からやらせるべきではないか・・・。

今度は文科省も本気になってきた。そうなると私は少々憂鬱になる。そんなにがんばって英語やらないといけないかなぁ、と思うのだ。

かくいう私は、結構英語学習をした方だ。それは好きだったからである。なぜか。万博アワーの鳥飼さんにあこがれたのもあるかもしれないが、昔は英語が夢を運んでくる言語だったからに相違ない。

産業革命以降はイギリスが、第一次世界大戦あたりからはアメリカが世界の覇権国だった。そして21世紀、アメリカ合衆国はどうなる?

普通に考えたらアメリカの時代はそろそろ終わりだ。

それでも「言語」としての英語が魅力的なのであれば、学習する意義はある。しかし、英語という言語はヨーロッパ語の中でも、かなり異端である。

まず語彙の半分がフランス語。難しい論文ほどフランス人が読める、という変な言語だ。

そして「正書法」がない。それこそ議論したのだが決裂したとか。お陰で綴りがでたらめ。ワーチェスター・サウセと書いてウスター・ソースと読ませるとは何事か! こんな下等言語は世界中探しても恐らく無いのでは。

そのオンボロ言語を苦労して学習しなければならない仕組みを作ったアングロサクソンは、一応偉いとしておこう。しかし、その目論見にいつまでも乗っかっているのは、いかにも芸がないように思う。

そんなことよりも、日本政府は海外で日本語の普及を促進することでも考えてくれないかな。

最近の新聞に載っていたのだが、遺伝子からみると、日本人が単一民族というのは大ウソで、大陸よりもバラエティに富んだ人種なのだそうだ。

大きく分けると、アイヌ人、本土人、琉球人になるらしい。柳田国男の「アイヌと琉球が近い云々」のロマンはあえなく消えるにしても、さらに20種類くらいには分けられるという。

一方、沖縄の言葉は、日本語の方言で平安時代あたりから分化して発展してきたというのが定説になっている。

その沖縄から本州まで二十いくつかの民族を束ねた「日本語」は、インターナショナルな存在たり得る、と我が政府は世界に向けて言ってくれんかのう。




気に入らない三つの言い回し

2011-07-28 20:31:22 | ブログ

言葉は生き物だ。年月を経て変わっていくのは当然である。しかし,通じる言い方をしてほしいものだと思う。
私の周りの学生と,しばし話が通じなくなる瞬間がある。

シャコウがあるから・・・
シャコウに行くから・・・

遮光?社交?

シャコウと言えば車高,「シャコタンブギ」などという歌もあったっけ。

でも,それは関係ないようだ。
聞くと,

「昔はジコウと言っていたみたいですが」

事項?時効?

どれも違った。正解は「自動車学校」の略称。

何かイヤなんだよね,この略称。

二つ目は,今日耳に飛び込んできた学生達の会話。

「このご飯,少なくねぇ?」

これは東日本の言い方だ。関東,東北,北海道で使われる表現がいつのまにか浸透している。明らかにテレビの影響。

しかし,ここは福岡なのである。共通語で「少なくない?」と言うか,九州近辺の言い回しで「すくのうなか?」あるいは「少ないっちゃない?(少ねぇっちゃねぇ,は可)」とか言っていただきたい。

とは言え,ここまでは正直,下記のことに比べればどうでも良い。

最も気に入らない言い方が10年前から定着してしまっている。

それは,あいさつが「おはようございます」でも「こんにちは」でもなく「お疲れさまです」になっていること!

こう言ってすれ違う学生の多いこと,ハンパない(これも気に入らない言い方だが,とりあえず許す)。

言われた途端に「あんたと一緒に仕事をしているつもりはないよ」と心の中で叫ぶのだが,相手の顔があまりに屈託ないので,何とかそれを飲み込み「こんにちは」とか「さようなら」でかわしている。

冒頭に述べた通り,言葉は生き物。そのうち国語辞典の「お疲れさま」に「こんにちは,や,さようならの意味として使われる」とか載るのかもしれない。

嫌だなあ・・・。


「耕す」こと

2011-01-02 13:41:04 | ブログ

あけましてめでとうございます。

今年からは、足元を耕すことに、今一度目を向けたいと思います。

実は、20年前も同じ結論に達し、かなり熱心に10年以上耕したつもりなのですが、思ったような結果は得られず、耕すのもペースダウンしていたのが、ここ数年のこと。

その間、日本はさらに思わぬ方向に進んでいったように思います。

同時に、欧米の動き、中国、韓国の動向をずっと見続けていましたが、自分のできることは、やはり耕すことだ、というのが現時点の結論です。

耕すは英語でcultivate、文化はculture、語源は同じだそうです。

何が「耕す」なのか。実際の活動は多岐にわたるはずで、一言では申し上げられません。それに一緒に耕す仲間を増やすことも視野に入れたいところです。様々な状況を通して、これをモットーに生きていきたいと思っています。

本年もよろしくお願いします。

それから、知人の情報により、「耕す」ことを考える以前に作っていた作品が、広島県福山市のデュオ三木のお二方から公開されていることを知りました。この曲については、また別項で紹介したいと思います。関心のある方、ご覧ください。


検索ワード

2009-12-28 23:17:34 | ブログ

 「琉球頌(りゅうきゅうしょう)」の問い合わせが多いので,含まれる楽曲の解説だけ復活させました。

 ところで,このブログがひっかかる検索ワードを見ると,勉強になるものあり,笑ってしまうものありで,なかなか面白いのです。

 不可解なものもあります。
「ブラームス交響曲第4番 終着駅」

 何ですかね?

 「終着駅はヴィヴァルディ」というのは書いたけれど,ブラ4ですか?

 第4楽章の最初の変奏が音階を下行する音型。「終着駅」(浜圭介作曲,奥村チヨ唄,のことだと思うけど)も下行する音型でできているけれど,ブラームスに結びつけるには,ちょっと無理があるのではないでしょうか?

「雨の慕情 コード進行」

 この曲はバッハだと書きました。バッハと似ているのは旋律の動き方で,コード進行だとやや論点がずれるでしょう。しかし,こういう検索をされる方がいらっしゃるのですね。この曲も浜圭介作曲です。浜圭介さんはクラシックの素養がありそうに見えますね。でもそのような証拠は全くありません。恐らく,曲作りを真剣にやった挙げ句の到達点はクラシック音楽と同じ境地だったということなのではないか,と推察する次第です。

「ガ-シュイン ゴーストライター」
 これは可能性が無いでしょう。初期にオーケストレーションをグローフェが担当したことはありますが,ゴ-ストライタ-が必要なことは全くなかった,と井財野は断言したいと思います。

「バイオリン 小学生が弾く曲」
 これは興味深いですね。次の機会で,じっくり検討したいと思います。