井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

盛り上がらない新世界、幻想

2015-05-29 08:13:40 | オーケストラ

先日、久しぶりにドヴォルザークの新世界を演奏した。
実にユニークな解釈で、オーケストラ側は徐々に不満がつのり、ひょっとしたら最悪の事態かも、と私を含め多くの人間がそう感じた。

しかし、

本番前日になって、急に面白くなってきた。デフォルメした部分が、ようやく様になってきた感じがした。

相変わらず、抵抗を示す人が大半だったけど、
「盛り上がっているじゃない。だから良いよ。」
「新世界で盛り上がらないってありますか?」
あるんだなぁ、これが。

1回だけあった、盛り上がらない新世界。今となってはある意味貴重な体験だが、その時の聴衆には迷惑な話かもしれない。

とは言え、これはアマチュアオケの話。

さすがにプロオケでこういうことはない、と思うが、私が子供の頃は若干あったのである。

昭和40年代中頃、世界文化社というところが豪華装丁の名曲全集みたいなものを出していた。

名曲の解説、背景を中心にグラビア写真をたっぷり使った贅沢な作りで、その文章から得た知識が、今日の私の基礎になっている。

それに1枚のLPレコードが付いている。出版社のキャッチフレーズだとモントゥーやミュンシュ、ギレリス、シェリング等の世界の一流の演奏をご家庭に届ける、とか何とか書いてあったように思う。

その20数年後にはカラヤン、バーンスタインがもっと安い値段で家庭に入り込むことになろうとは、当時想像もつかなかったはずだ。

それでミュンシュの「幻想交響曲」が聴けるのなら万々歳なのだが、そのような世界の一流が演奏しているのはシリーズの范文雀、ではなくて半分弱。残りは日本人演奏家によるものになっているのが、いかにも「昭和の企画」という感じがする。(そうやって日本人は仕事を作ってきたのだ。)

そしてベルリオーズ作曲「幻想交響曲」を演奏しているのは若杉弘指揮読売日本交響楽団(だったと思う)。

おっ、なかなか素晴らしい演奏者ではないか、というのは1980年代にはいってからの評価、1970年の若杉=読響は、

大阪万博ではグレの歌を日本初演していたりするのだけれど・・・

一言で言えば「かゆい所に手が届かない」演奏。別の表現をすれば「盛り上がらない」のである。そしてミュンシュ=ボストン響などを聴くと、日本人って全然及ばないんだな、などと生意気な中学生はため息をついたりした・・・。

そのわずか10年後には、自他共に認める名演として三石=読響が幻想のLPを売り出したりするのだ。その頃はすでに「本番で燃える読響」になっていた。

経済だけではなく、文化も高度成長を遂げていた、それがあの時代だった訳だ。

「幻想で盛り上がらないってあるんですか?」

あったんです、ちょっと昔。そういうことを訊いてくる人がいるほど、日本は成熟した、と考えよう。


ラヴェル:ボレロとトスカニーニ

2015-05-23 13:05:30 | 音楽

ラヴェルのボレロ、日本版スコアの解説を久しぶりに読むと、なかなか興味深いことが書いてあった。

初演の時、作曲家のフローラン・シュミットは演奏が始まってしばらくすると、廊下に出てしまった。
誰かが、どうしたのかと問うと「転調するのを待っているんです」
確かにシュミットの曲は、移り変わる調性が重要な魅力だ。ダフニスとクロエの作曲家が一つの調に留まるなんてあり得ない、とシュミットは思ったのだろう。多分悪口でも皮肉でもなさそうなところが、かえって笑わせてくれる。

トスカニーニはこのボレロがとても気に入って、各地で演奏したそうだ。
そして、意気揚々とラヴェルの前で演奏したが、ラヴェルは全くその演奏が気に入らなかった。演奏終了後、トスカニーニは客席にいるラヴェルを聴衆に紹介しようとするのだが、ラヴェルは全く席を立ちあがろうとしなかったという。

その後、二人で大喧嘩。
あげくのはてにトスカニーニは言った。
「あなたは自分の音楽がわかっていない。こう演奏するしかないんです!」

いやはや、何とも愉快な話だ。
あっぱれ、トスカニーニ!

同じ話を1975年、NHKの教養特集で聞いたことがある。ラヴェル生誕100年の記念番組、しかし白黒放送。

語り手が、ラヴェルの弟子、ピアニストのヴラド・ペルルミュテールだったので、ぐっとラヴェル寄りの見方になる。
トスカニーニのテンポは割と早めで、こうだった、と歌う。
ラヴェルが意図したのはこうだった、と歌う。結構遅め。

ちなみにトスカニーニは途中でテンポアップして、演奏時間は約14分。
ラヴェルも録音を遺していて、演奏時間は約17分。

ペルルミュテールは、この話を引きあいに出して、ラヴェルの作品には、絶対的にこのテンポ、というのが各曲にある、という主張だった。
ソナチネのメヌエットを弾きながら、遅ければサラバンドに、速ければワルツになってしまう、と戒めたのだった。

これは私にとって、絶対的な指針になった示唆だった。(ただボレロに関しては遅さに閉口するが。)

1975年当時、トスカニーニの真似をしたのか、トスカニーニ風に途中でテンポアップする演奏が時々あり、評論家の批評の対象になっていた。
それから40年、多分今、そのように演奏する人はいないだろう。
逆に論争の対象になり得ることを驚く方が多いのではないだろうか。

それにしても、作曲家を前に、あんたはわかってない、と言い切る姿は感慨深い。
そして、そういうことがあることを頭に入れた上で、ラヴェルの先生のフォーレ、そのまた先生のサンサーンスの作品に接すると、また新たな見方が見えてくるのだ。


ロッシーニ : 歌劇「セヴィリアの理髪師」序曲の「弓先で」

2015-05-10 09:17:51 | オーケストラ

この連休の初めに伝説のプリマ・ドンナ「マリア・カラス」の記録映像を観た。

1958年パリ・オペラ座ガルニエ宮でのライブ、大統領を筆頭に各界の著名人、ブリジッド・バルドーやチャーリー・チャップリンまで観客に含まれている、文字通り伝説の公演記録である。

第一部はベルリーニの「ノルマ」やロッシーニの「セヴィリアの理髪師」に含まれるアリアが中心、第二部はプッチーニの「トスカ」第二幕をそのまま上演するという構成。

何せモノクロ・フィルムなので、どこまでカラスの魅力を伝えきれているのか、よくわからないところもあるのだが、大きな瞳を活かした一瞬の表情の変化には、観客が吸い込まれていく力を感じた。

カラス以前の歌手の記録を見ていないので、推測に過ぎないのだが、ある歌い方はカラスが創始して、みんなが真似するようになったのかも、と思わせる瞬間もあった。

有名なアリア「今の歌声は」で、楽譜には書いていないけれど、誰もがそうする箇所がある。この映像を見て、初めてその必然性を理解した。演技と密接に結びついていた表現だったのだ。

もっともフィガロのアリア「私は町の何でも屋」の方にも、楽譜通りには歌わない箇所があるので、もっと以前からそのように歌われていた可能性も充分にあるのだが・・・。

と、一例を挙げればこのような感じで、魅力にあふれた映像。カラスの魅力については、これまでも多くの方がたくさん語り継がれていることなので、私がここでそれを繰り返さなくても良いだろう。


 

こちらが注目してしまったのは、それを支える合唱と管弦楽。(こちらはあまり語られていないと思う。)

公演が始まる前に、ちらっと映った集団があった。舞台裏で働く人も一応正装するのは、さすがオペラ座、と思いきや、こちらは合唱団だった。

これがなかなかパッとしない。

暗譜していないし、曲間にはおしゃべりしていたりするし、フランスのオケ同様、あまり美しくない光景に映る。

オーケストラはピットの中なので、今回そういう問題はもちろん起きなかった。

それで、興味をひいたのは“プンタ・ダルコ”

アリアの曲間に、標記の曲がはさまれた。これの序奏に punta d'arco (弓先で)の指示がある。

日本のオケでは全く無視されている指示である。弓先で弾いたら、あの軽快なサウンドが出ないからだ。

ところが、このオペラ座管弦楽団は弓先で「跳ばして」その軽快なサウンドを出していた。

この技術、日本のオケには「存在しない」と言って良いだろう。多分、やってもできない。コンマスが要求してもメンバーから一斉に反発を喰らうのがオチだろう。

同様の指示はチャイコフスキーの「金平糖の踊り」にもある。ロシアのオケはできるのかな。

日本のオケは十分世界の一流、と思っていたけど、まだこんなことがあったねぇ、と思いながら鑑賞した「伝説の公演」であった。