人にものを教えていると考えが整理されて、そのまま自分の勉強になるものだ。時には、その中で発見してしまう事実もある。そうなると本当に愉快である。
毎年、この時期に「ハ音記号の視唱」というものを学生さんにやってもらっている。ハ音記号で書かれた楽譜を目で読んで歌う、それだけのことなのだが、ト音記号とヘ音記号しか読んだことがない学生にとっては、なかなか易しいことではない。
なのでハ音記号の楽譜をいくつか用意して、それを読んで歌ってもらえば、それで所期の目的は果たせる。が、せっかくだったらクラシックの名曲を例題に使えば、その曲にも親しみがわくかもしれない。そう考えて用意したうちの一つがチャイコフスキーの交響曲第4番第2楽章のテーマ。
これは8分音符がずっと続く旋律だ。どこかで息継ぎをしなければならない。そうだ、ついでにフレージングの教材にしてしまおう。さあ、どこでフレーズは切れるか?
これが意外とできない。これできないと、楽譜を読めたことにならないのだけれど・・・。
それで、ある年から、考えるための手掛かりを最初に言うことにした。
・西洋音楽はロジカルにできている。
・アウフタクトで始まったフレーズは、その後もずっとアウフタクトで始まる形を取り続けるのが一般的である。
・「バールBar形式」という詩の形式がある。1:1:2に分かれるものだが、それを踏襲した音楽はとても多い。日本の「三・三・七拍子」も然り。モーツァルトも半分くらいは、この形式に依っている。
・チャイコフスキーはモーツァルトを敬愛していた。
このくらい言っておくと、ほとんどの者が正解を出す。こんな答を教えてしまうような方法で良いのかね、とも思うが、それでもわからない者もいるので、まぁ良いのであろう。
ただ、毎年同じ説明では、こちらが退屈してしまうので、今年はなぜアウフタクトで始まったらずっとアウフタクト型が続くのかを説明した。
それはロジカルだから、で終るのだが、フレージングには、古典派の時期に「モチーフ」というのを積み重ねて作曲する方法も影響してくる。
試しにこのテーマを構成するモチーフに分解して歌ってみる。最初の四つの八分音符を歌い、続く八分音符をピアノで弾く。また続きを歌い、弾き、と繰り返していくとあら不思議、二つのモチーフがきちんと浮かび上がってくるではないか!歌ったモチーフは下向きか上向きの順次進行、弾いたモチーフには跳躍進行と同音反復が含まれていた。
「見事に二つのモチーフの組み合わせでできていますね」と、さも前から知っているかのように説明したのだが、実は説明した本人が一番びっくりしていた。こんなに徹底していたなんて、今まで気づかなかった。
「実は、チャイコフスキーはベートーヴェンをかなり勉強していたようなのです」(と、これも数年前に仕入れた知識。)
つまりチャイコフスキーはモチーフを積み重ねて作曲する方法をかなり勉強していた(これは中学生の頃から知っていた)けれど、本来の自分と合わない部分があって、かなり苦しんでいた。でも、この交響曲第4番でようやく「動機労作」と自分の接点を見つけることに成功し始める(とスコアの解説に書いてあったと思う)。
そうだったのかチャイコフスキー、と池上さんになった気分だった。この二つだけのモチーフで、この甘美な旋律はすごいよ。と改めて感銘を受けたのであった。
しかし、どうして今まで気づかなかったのだろう。やはり伴奏のせいだと思う。伴奏はきっかり小節の頭で音が鳴る構造だ。そこをきっかけに音楽を感じてしまうと、モチーフとずれていても全くそう思わなくなるものだ。モチーフの最後の音が不協和音程(アッポジャトゥーラ)で、次の解決する音から次のモチーフだなんて、あまり聞いたことがない・・・
ベートーヴェンだったら、やらないだろう・・・いくつかの曲を思い浮かべ「ほら、小節の頭でアッポジャトゥーラなんか使わないよね?」・・・あれっ、あった・・・
交響曲第9番、いわゆる「第九」の第3楽章、第2主題である。毎小節1拍めがアッポジャトゥーラだ。これ、そうやって聞くとベートーヴェンなのにチャイコフスキー的に聴こえるなぁ。
と、アウフタクトの説明以下は本日即興的に思いついたものだ。今日はたまたま思いついたものがほぼ正鵠を得ていた。これはラッキー。こういうことは、頻繁にあることではないが、非常に幸福を感じる瞬間だ。そうやって教師はさらに学生よりも成長してしまうのである。