井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

本日の授業「チャイコフスキーを視唱」

2011-05-26 23:19:31 | 大学
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人にものを教えていると考えが整理されて、そのまま自分の勉強になるものだ。時には、その中で発見してしまう事実もある。そうなると本当に愉快である。

毎年、この時期に「ハ音記号の視唱」というものを学生さんにやってもらっている。ハ音記号で書かれた楽譜を目で読んで歌う、それだけのことなのだが、ト音記号とヘ音記号しか読んだことがない学生にとっては、なかなか易しいことではない。

なのでハ音記号の楽譜をいくつか用意して、それを読んで歌ってもらえば、それで所期の目的は果たせる。が、せっかくだったらクラシックの名曲を例題に使えば、その曲にも親しみがわくかもしれない。そう考えて用意したうちの一つがチャイコフスキーの交響曲第4番第2楽章のテーマ。

これは8分音符がずっと続く旋律だ。どこかで息継ぎをしなければならない。そうだ、ついでにフレージングの教材にしてしまおう。さあ、どこでフレーズは切れるか?

これが意外とできない。これできないと、楽譜を読めたことにならないのだけれど・・・。

それで、ある年から、考えるための手掛かりを最初に言うことにした。

・西洋音楽はロジカルにできている。

・アウフタクトで始まったフレーズは、その後もずっとアウフタクトで始まる形を取り続けるのが一般的である。

・「バールBar形式」という詩の形式がある。1:1:2に分かれるものだが、それを踏襲した音楽はとても多い。日本の「三・三・七拍子」も然り。モーツァルトも半分くらいは、この形式に依っている。

・チャイコフスキーはモーツァルトを敬愛していた。

このくらい言っておくと、ほとんどの者が正解を出す。こんな答を教えてしまうような方法で良いのかね、とも思うが、それでもわからない者もいるので、まぁ良いのであろう。

ただ、毎年同じ説明では、こちらが退屈してしまうので、今年はなぜアウフタクトで始まったらずっとアウフタクト型が続くのかを説明した。

それはロジカルだから、で終るのだが、フレージングには、古典派の時期に「モチーフ」というのを積み重ねて作曲する方法も影響してくる。

試しにこのテーマを構成するモチーフに分解して歌ってみる。最初の四つの八分音符を歌い、続く八分音符をピアノで弾く。また続きを歌い、弾き、と繰り返していくとあら不思議、二つのモチーフがきちんと浮かび上がってくるではないか!歌ったモチーフは下向きか上向きの順次進行、弾いたモチーフには跳躍進行と同音反復が含まれていた。

「見事に二つのモチーフの組み合わせでできていますね」と、さも前から知っているかのように説明したのだが、実は説明した本人が一番びっくりしていた。こんなに徹底していたなんて、今まで気づかなかった。

「実は、チャイコフスキーはベートーヴェンをかなり勉強していたようなのです」(と、これも数年前に仕入れた知識。)

つまりチャイコフスキーはモチーフを積み重ねて作曲する方法をかなり勉強していた(これは中学生の頃から知っていた)けれど、本来の自分と合わない部分があって、かなり苦しんでいた。でも、この交響曲第4番でようやく「動機労作」と自分の接点を見つけることに成功し始める(とスコアの解説に書いてあったと思う)。

そうだったのかチャイコフスキー、と池上さんになった気分だった。この二つだけのモチーフで、この甘美な旋律はすごいよ。と改めて感銘を受けたのであった。

しかし、どうして今まで気づかなかったのだろう。やはり伴奏のせいだと思う。伴奏はきっかり小節の頭で音が鳴る構造だ。そこをきっかけに音楽を感じてしまうと、モチーフとずれていても全くそう思わなくなるものだ。モチーフの最後の音が不協和音程(アッポジャトゥーラ)で、次の解決する音から次のモチーフだなんて、あまり聞いたことがない・・・

ベートーヴェンだったら、やらないだろう・・・いくつかの曲を思い浮かべ「ほら、小節の頭でアッポジャトゥーラなんか使わないよね?」・・・あれっ、あった・・・

交響曲第9番、いわゆる「第九」の第3楽章、第2主題である。毎小節1拍めがアッポジャトゥーラだ。これ、そうやって聞くとベートーヴェンなのにチャイコフスキー的に聴こえるなぁ。

と、アウフタクトの説明以下は本日即興的に思いついたものだ。今日はたまたま思いついたものがほぼ正鵠を得ていた。これはラッキー。こういうことは、頻繁にあることではないが、非常に幸福を感じる瞬間だ。そうやって教師はさらに学生よりも成長してしまうのである。




検証「スケルツォ・タランテラ」

2011-05-24 22:19:13 | ヴァイオリン

シェフチークが作った「スケルツォ・タランテラ」のためのエチュード、昨年の10月に記事を書いて以来、その効果がいかほどだったか、少し書いてみたい。

4人の学生に練習してもらった。時間の都合で二組に分け、週一回一緒に練習する時間をとり、私も一緒に弾きながらチェックするという方法をとった。つまり私は週二回は弾いた。

このエチュード、そんなところまで分解するの、という所もあり、週に3ページ進んでも一通り弾き終えるのに10週以上かかった。しかもその3ページを通して弾くだけで20分以上かかる代物。特に最初の方に、かなり難しいものがあって、学生たちは最初で「メゲて」いたようだった。

そんなこともあろうかと、ペアを組ませたのである。一人で弾きとおすには本当に強靭な意志が必要だ。

おかげで、以前にも述べた通り、指の力はかなり強くなった。

ただ、スケルツォ・タランテラがスラスラ弾けるようになったかというと、そうだとは言い難い。なぜならば、このエチュードを弾けるようになってから次に進んでいたのでは膨大な時間が必要なので、弾けても弾けなくても次に進んだ。つまり必要な力がついていない可能性が大である。これはエチュードそのものに問題があるというよりは、使い方が悪いということになろう。

しかし一つ一つできるのを待って次にいったとすると、恐らく一年がかりである。一年間「スケルツォ・タランテラ」という訳にはいかない。普通に練習した方が、早く弾けるようになるのではないか・・・私も練習している時に、つくづく思った。

なるほど、廃刊になる訳だ。

でも、辛抱強く取り組めば、強靭な技術が身につくのでは、という誘惑にもかられる。少なくとも「何を練習すれば良いのかわからない」場合にはうってつけ。

同時に「メンデルスゾーンの協奏曲」のためのエチュードも出ている。これをさせたものかどうか・・・。




年下の男の子

2011-05-18 22:31:47 | 音楽
キャンディーズの曲として優れていると思うものは他にあるのだが、まず、私はキャンディーズのファンではない。なのでファンとしての立場からの見解ではない。この曲には、とても「人間臭さ」を感じるのだ。そこがとても気に入っているので、そこをご紹介したいのである。
興味があるのは歌手ではなく、バックバンドである。(キャンディーズ・ファンの皆さん、ごめんなさい。)
21世紀の今、ビッグ・バンドと言われるジャズ・バンドの形態は、ひょっとしたらオーケストラ以上に風前の灯かもしれないが、当時はまだまだ元気があり、歌謡曲の伴奏はビッグ・バンドの主たる仕事だったはずだ。
この曲はメロディーに若干の「ブルー・ノート(ハ長調で言うミが半音下がる)」を含むところもあり、ジャズとの親近性がもともとある。
冒頭の短いドラムのフィル・インの直後、サックス・セクションが「ベーッベレベベー」といった調子で鳴り響く。クラシックでは絶対使ってはいけない音色、だからと言ってジャズでも魅力的かと言われるとちょいと首をひねる音色、要するに「何も考えていない」無造作な音色でスタートする。
これを聴いて私はこんな光景を思い浮かべずにはいられない。
いきなり譜面見させられて、これがヒットするかどうかも当然わからないけれど、「書いてある音符は吹いて帰らなきゃ」、という義務感のみの音色。来る日も来る日も仕事に追われてきっと忙しかったのだろう。本当は「むせび泣くサックス」を吹いて帰りたかったな、という気持ちを押し殺して「お仕事、お仕事」の日々をおくるスタジオ・ミュージシャン・・・。

ところがどっこい、歌が始まると様相が一変する。

エレキギターによる「ごきげんな」プレーが始まるのだ。当時はやりの16ビートでキューチャカピカチャカ、といった具合に。

そして極めつけはドラムスである。サビの後ろの部分「私のこと、好きかしら」と歌うところの伴奏に注目。ホーン・セクションは単純に「パァッパー」とやっているだけだが、ドラムスはタムをボコボコ叩きまくる。この音が今ではほぼ聞くことができなくなってきた「アナログな音」なのである。(現在のドラムスはシンセ・ドラムが多く、ドコドコボコボコという音はしない。)

サックスの無表情に対して、このエレキギターとドラムスのノリは好対照。世間が注目するのはあくまで歌手だけれど、このような職人芸が光るレコードは嬉しい。これぞミュージシャン魂がさく裂した瞬間だろう。音楽家たるもの、こうでなきゃ、とさえ思う。

ドラムスは最後のリフレイン、「あいつはあいつはかわいい」のところでまた大活躍する。このドコドコボコボコはなかなか聞けるものではないので、本当に楽しくなってしまう。皆さまにもいつか聞く機会があれば、ぜひ注目していただきたい。


もっと音楽

2011-05-14 08:03:32 | 音楽

音楽の教科書だったかノートだったかに「もっと音楽、さらに音楽、つねに音楽」のような言葉が誰かの言葉として書かれていた。何だかわからないけれど、凄味がある。

「もっと音楽しましょうよ。」

昔、ある指揮者が言った言葉だ。これは正直言って抵抗がある。何だかわからなくて、具体的などうすれば良いのか不明だからだ。

それでも全然わからない訳ではない。音から音楽になるのは、どういうことなのか。それをずっと考えていると、ある程度その境界線がわかってくる。もっと音楽するとは、その境界線を超えて、さらに向こうへ行こうという意味だ。

では、音から音楽になる瞬間は・・・

一つは人間の意志が働いているかどうかだろう。

そして聴き手の心が動くかどうかにも関わってくる。

この両方が備わっていれば、大抵音楽は感じてくるものだ。(ならば最初からそう言ってよ、と昔の自分なら思ったであろう。そう言うなかれ。その指揮者はそう思ったかどうかわからないからだ。)

そのために、演奏者は音楽の形を様々なところで整えるのである。音の高さ、長さといった、結構原始的なレベルから、音色、強さ、それらの組み合わせ方という高度なレベルまで。

その辺で様々な考え方が出てくるから、なかなか難しいのである。(だから面白いとも言える。)

最近考えさせられたのは、たての線を合わせることの必然性。リズム的な問題、時間軸の問題だが、それが合っていないと音楽を感じられない人と、それを合わせることにエネルギーを注ぐと音楽が無くなってしまう人、この両者が演奏者にも聴衆にもいるようなのである。

たての線が揃っていない音楽、いくらでも見つけることができるから、常にそろう必要は全くないはずだ。一方、揃わないと気持ち悪い箇所というのは厳然と存在する。

その両者の認識がみんな一致していれば何の問題もないのだが、割と一致しないことがある。この状態で「もっと音楽」とは言っていられない。

またいつか考えよう。


ガーデ : ジェラシー

2011-05-03 23:04:10 | 音楽
「今日は一日タンゴ三昧」というNHK-FMの番組を一部聞くことができた。
ヴァイオリン弾きにとってタンゴはかなり縁のあるジャンルである。番組でも語られていたが、アルゼンチンが元々ドイツっぽい国だそうだ。そして即興演奏をあまり許容しないという点でクラシック音楽に良くも悪くも近い。タンゴ演奏家はクラシック音楽出身者が多く、バンドネオン奏者も家での練習ではバッハを弾いていたりするそうである。
その上、タンゴにおける「オルケスタ・ティピカ(標準楽団)」はバンドネオンとヴァイオリンが同数という決まりがある。ヴァイオリンはタンゴにとって不可欠な楽器なのだ。
そして即興があまり無いということは楽譜にちゃんと書いてあるということだ。クラシック音楽と同じである。我々にとって入りやすい要素を持っている。
ただ、タンゴ特有の奏法というものはあるし、あのリズムに乗れないと似て非なるものになるので、簡単だという訳ではない。私も数度タンゴの仕事をやったことがあるが、特に弓の元で弾くことが多くて、全弓使いたい症候群に陥ったものだ。ただ、まだ有名になっていないピアソラの作品にふれた時の衝撃は忘れられない。その意味でタンゴ仕事はとても貴重な経験だった。
番組ではバンドネオン奏者の小松亮太氏による解説で実に様々な興味深いタンゴが流され、私にも大いに勉強になった。特にピアソラの演奏スタイルの変遷や、他人の曲の編曲は、かなり面白かった。
タンゴにはアルゼンチンとコンチネンタルとあって、アルゼンチンの人達はコンチネンタルは演奏しないのかと思いきや、ピアソラの「ジェラシー」などというものがとび出して、正直びっくりだった。「ジェラシー」はデンマーク人のガーデが作ったコンチネンタル・タンゴの名曲である。見事にピアソラ味になっていたのにも感心。
小松氏によると、日本のタンゴブームは昭和30年代までで、ビートルズが出てくるまでとのこと。また、フォークとロックが出てくるまでの日本のミュージシャンは全体にレヴェルが高かったのでは、という説もゲストK氏から披露された。(これについては、ちょっと条件つきだと思うが。)
ただ、例外的に1987年に一年だけタンゴ・ブームがあったのである。それはその年公開された映画の影響だそうだが、確かにその年はタンゴをあちこちのオーケストラで演奏した記憶がある。
その年「ジェラシー」も演奏した。冒頭に無伴奏の短いヴァイオリン・ソロがある。ソロだから自由に弾いて良いかと思いきや、指揮者から事細かに指示があるのだ。もっと速くとか遅くとか・・・。いやな指揮者である。
あまりうまくいったとは言い難い本番が終ってから、あるトゥッティ・ヴァイオリン奏者の方から聞かされた。「我々はボストン・ポップスのイメージがあるんだよ。だからさ・・・」
それから大分たってアーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団のレコードを聴く機会があり、なるほど、と思った訳だ。私が弾いた編曲は、これのコピーだったのだ。それはともかく、この曲はフィードラーを語る上で欠かせないものだったようで、ボストン・ポップス・ファンの私がこれを知らなかったこと、大いに恥入ったのであった。
私の「ジェラシー」原体験は中学2年生、メニューインとグラッペリの二重奏なのだ。このアレンジも後できくとボストン・ポップスの影響を感じるが、グラッペリを先に聞いてしまうと、ボストン・ポップスは大仰に聴こえてしまって、少々受け付けないものがある。でもメニューイン+グラッペリが一般的ではないのは当然だ。
ということで、この曲はかなり好きなのだが、ちょっと苦い思い出と共に存在している。コンサートマスターを視野に入れるヴァイオリニストはボストン・ポップスも視野に入れておきましょうね。