井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

クロイツェル第9番

2017-05-27 19:52:00 | ヴァイオリン
ヴィオラのプリムローズの著書に「ヴィオラに良いことがなぜヴァイオリンに悪いことがあるでしょうか」みたいな文があった。

厳密に考えれば、たまにヴァイオリンに通用しないこともあると思うが、大多数のことは共通しているだろう。

その一つに「クロイツェル(42の練習曲)第9番」での指慣らしがある。

プリムローズは「ゆっくり」「中くらい」「速く」でまず3回やり、次に指使いを「2-4-3-4」にして再度上記3テンポで、計6回やるとのこと。

確かにこれだけ繰り返せば指は良く動くようになる。
しかし、時間がかかって仕方がない。

それに、夏場は指が動かない困難を感じることが少ない。

それで、徐々に6回やることは減ってきた。

ところが、最近サンサーンスの協奏曲やロンド・カプリチョーソを練習するにつけ、指のトレーニングを再認識するにいたった。

パガニーニより難しく感じるのは、3-4指を頻繁に使うからではないか。

普通の指慣らしで1-2-3指は、ある程度動くようになる。そこで「指は動くようになった」という勘違いが生じているようだ。

やはり、と思い2-4-3-4のトレーニングも省略せずにやることにした。

すると、サンサーンスが弾き易くなっただけではなく、左手のピチカートも音が出るようになった。
めでたしめでたし。

あのプリムローズがそれを毎日やったのだから、私がやるのは道理である。

ユモレスク / クライスラー編

2017-05-19 08:09:25 | ヴァイオリン

気にそまないユモレスクを何回も弾かされると、そのうち、いつもの第7番ではなく第1番あたりを弾いてみたい衝動にかられる。第1番もそう悪くない曲なんだけどな・・・。

ところで最近、ピアニストから「これを弾いてほしい」と渡されたのがクライスラーが編曲した第7番であった。

ギョッとしたのは、まず原曲の変ト長調であること。つまりフラット6つ。反射的に「こういうことはやめてほしいなぁ」と思ってしまう。ハイフェッツが編曲したサン=サーンスの白鳥も変ト長調だったな、などという事を思い出しながら恐る恐る弾いてみた。

あれ?意外と弾きやすい。

それに、スラーの関係で、例の「ねっとり」ゆっくり演奏は不可能で、私の望む快速テンポでしか弾き得ない。

さすが、クライスラー!

「クライスラー ヴァイオリン名曲集 3」として日本ショットからも出版されているので、皆さんにお勧めしたいところである。


ドヴォルザークのユモレスク

2017-05-17 10:40:17 | ヴァイオリン

ドヴォルザークのユモレスク、ヴァイオリン曲として有名だが、本来はピアノ曲である。まず、この事実が知られていない。
そして、知られているのは「第7番」である。これも知られていない。

私はドヴォルザークの作品が割と好きな方だ。しかし、この曲はあまり好きになれない。なぜならば、ユモレスクの語源である「ユーモア」を感じるのが非常に困難だからだ。

なぜこれがユモレスクなのかと思い、20代の頃、原曲のピアノ曲をあたったことがある。

するとわかった。

まず、この8曲あるユモレスク集は、言ってみればスラヴ舞曲の小型版のような雰囲気で、第1曲目などはかなりダイナミックな曲想である。

そういったスラヴ風味がずっと続き、最後の方に黒鍵主体で弾けるお茶目な曲を配置し、かわいらしく終わる、というのが作曲家の意図、と読めた。

そうだ!エルマンのようにネットリやるからユーモアを感じないのであって、オリジナルの指定通り!にかなり速く演奏すればユモレスクになる!

と、勇んで快速テンポでやったことがある。

ところが、舞台袖で聞いていた後輩共に大不評。
曰く「せっかくの美音があれでは台無し」云々。
口うるさい後輩に恵まれたものである。

だって、作曲家の意図はこうでああで、というアカデミックな説明は後輩共には全く通用しなかった。

世間の好みを変えるのは、ことほどさように難しいことを思い知った。


村の田園交響楽

2017-05-13 07:52:00 | 音楽
デューク・エイセスのレパートリーの1曲。ベートーヴェンの田園交響曲第1楽章冒頭に歌詞をつけ、中間部分はメンバーがそれぞれ動物の物まねをする、というもの。

物まねの部分はデューク・エイセスでしかサマにならない(と思う)。メンバーの芸達者なところに脱帽、という感じ。

一方、前後の部分は、音楽の教材としてとても具合がよろしいのである。
作ったのは、私の記憶によれば山本直純。

しかし、今となってはなかなか調べがつかない。デューク・エイセスのアルバムが手に入らないし、直純さんサイドの情報も見あたらない。

なので、私の記憶を公開すると、歌詞は…

「村の水車はコットンパーラリトーン

今日もパーラリコットン
いつもパーラリコットン
まわるよ コットンパーラリコットン
まわるよ コットン
パーラリコットン パーラリコットン
パーラリコットン…

春が来た 春が来た どこに来た
村じゅう春が来た
コットンパーラリ コットンパーラリ
水車は回る コトコト
コットンパーラリ コットンパーラリ
雀がやってきて チュチュチュチュ
コットンパーラリ チュンチュンチュンチュン
コットンパーラリ チュンチュン
チュチュチュチュチュチュチュ」

このように、テーマに歌詞がついていると、ソナタ形式の「動機労作」を説明するのにとても都合が良い。モチーフを組み合わせて音楽が成り立っていることを、歌詞を使って説明できるからだ。

つまり、「ここはパーラリコットン」「こちらはコットンパーラリ」「ここはコットンコットンの繰り返し」というように。

そう説明すると、あの長い展開部も全て「言葉」として聞こえてくる。

非常に便利な曲で、その昔、高校へ教育実習に行った時に使わせてもらったし、今も大学の講義で使わせてもらっている。
聞いた学生さん達はしばらく頭の中で「パーラリコットン」が鳴り続けているようで、微笑ましい限り。音楽教育としても、十分功を奏している。

ただ、その昔はデューク・エイセスが歌ったカセットテープを持っていた。今はどこにあるのかわからないから、他の音源を探すのだが、ちょっとやそっとでは見つからない。とりあえずは私が歌うのだが…。

この機会に本気でカセットテープを探すことにするか…

それにしても、平成の御代にはデューク・エイセスや山本直純の後継者はいない、ということなのだろうか。ちょっと寂しい。

チャイコフスキーのテノール記号

2017-05-07 15:09:00 | オーケストラ
本ブログのコメント欄に質問があった。
チェロパートの表記に関して「交響曲はヘ音記号とト音記号で書いてあるのに、ピアノ協奏曲では頻繁にテノール記号を使用しているのは何故でしょうか」

正直言って、言われるまで全く気づかなかった。一方、オーケストラのチェロ奏者は常に「何でかな」と思っていたかもしれない。

答がすぐには出てこなかった。高音域のみをテノール記号で表記した訳でもなかったからだ。

私の推測は、チャイコフスキーの時代も「テノール記号が嫌いなチェロ奏者が多かった」である。

テノール記号の利点は、テノール音域ならばあまり加線を使わずに表記できること。これはスコアを書くにはスペースに余裕が生じて、とても書きやすい、ということになる。

デメリットは、テノール記号を読めない人にあたると、悲惨な結果を招くこと。

チャイコフスキーは晩年は自作を指揮しているが、あまりうまくはなかったようだ。あの交響曲第5番の初演は失敗と伝えられている。

ただ、この現場の経験が作品に結構活かされていると思われる。

初期の交響曲や白鳥の湖ではトレモロを乱用しているが、晩年の作品では滅多に出てこない。
ただ繰り返すことも止めるようになった。

全て現場の経験に基づくのではないだろうか。

という次第で推測を論拠にするしかないのだが、テノール記号も「現場では嫌われているな」とチャイコフスキーは感じたような気がするのであった。

答になったでしょうか。