井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

井財野友人 : 渡海鳴響

2013-05-25 00:40:14 | オーケストラ

井財野作品にはオーケストラ用の教育作品がいくつかあり、これもその中の一つ。

弦楽器を始めて数年でも弾けるように配慮されている。

ここに公開するのは、今年の授業の一こま。見るからに初心者という風情の者も少なからずいるが、とりあえず曲になっている、これがオーケストラのおもしろいところだ。

曲は2008年から2009年にかけて作られ、本ブログでも紹介したことはあるが、韓国の旋律二つ(「トラジ」「密陽アリラン」)と日本の旋律二つ(「ふるさと」「越天楽」)が組み合わされている。海をはさんで、日韓双方の旋律が響きあうという趣向である。

特に「トラジ」と「ふるさと」を半ば無理やり組み合わせた「クオドリベット」に注目していただきたい。意外と「合う」ので。

それに作って再認識したのが「越天楽」はやはり大陸(中国・韓国)的な旋律だということ。「密陽(ミリャン)アリラン」との相性が良くて、組み合わせているうちに区別がつかないくらい融合してしまった。

日韓関係もこうなってくれないかなぁ、という淡い期待もはいっての本作品である。


寄せ集めのグループの良し悪し

2013-05-16 23:42:15 | オーケストラ
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福岡に居ても、時々東京や大阪の状況を知らせてくれる人がいて、たまに聴く分にはなかなか興味深い話もある。

最近は東京と大阪を行き来する若手プレーヤーもいるそうで、以前より関西のことが東京でも話題になるようだ。

そして、どこかのとあるオーケストラについて、ああだこうだ言っているらしい(盛り上がる話題は大抵悪口)。

曰く、若手だけを集めたオケより、やはり長年固定したメンバーのオケの方が味のある音がする、とか。

私に抵抗があるのは、寄せ集めのグループより、固定メンバーのグループの方が良いという意見。

確かにウィーン・フィルの音は寄せ集めでは出せない。でもあの音は、同じメソードで教育を受けたメンバーが同系列の楽器を使って出すからあの音になるのであって、結果的に固定メンバーだが、メインの理由にはならないと思う。

一方ベルリン・フィルは受けた教育、使う楽器は様々だけれど、最高の演奏をする。これは固定メンバーだから、と言いたくなるかもしれないが、やはり、それがメインの理由ではないと思う。一番の理由はうまい人が集まっていることだろう。

「うまい人が集まったからといって、最高の演奏ができる訳ではない」と言う人がある。これは「うまい人」が曲者で、私に言わせればアンサンブルができない人は「うまい人」ではない。

例えば「ルツェルン祝祭管弦楽団」や「バイロイト祝祭管弦楽団」は寄せ集めだけれど、最高クラスの音が味わえる。

もちろん指揮者の良し悪しは影響する。

前述の若い人のオケの指揮者が、いわゆる「チャッカマン」タイプだと、なかなか良い演奏には結びつきにくいかもしれない。チャッカマンはアンサンブル能力が高いオケで本領が発揮できる。寄せ集めでアンサンブル能力が育っていない場合は、やはりビルダータイプがふさわしい。

実際には、なかなかそうならないことが多いから大変である。

室内楽でも、やはり「うまい人」を集めたら、そうでない固定メンバーが何日もかけてできるようになることを一回でやり遂げてしまう。

なので、演奏上、固定メンバーと寄せ集め、どちらが良い・悪いということは「ない」というのが私の持論である。


食足りて・・・

2013-05-13 23:25:37 | アート・文化

昔に比べて九州から東京へ出ていく学生の数は減ったと思うが、人口も減っているので、人口比で考えるとどうなのかはわからない。

今月、推計で福岡市の人口が150万人を突破したとのこと。京都を抜き、政令市で大きい方から6番目。流出より流入が多いらしい。これも良い事か悪い事かわからない。恐らく、福岡は良い所だというイメージが少しはあってのことだとは思うが…。

少なくとも「食」に関しては日本一の座を狙えるところにある。これは明白に良いところだ。

「食」足りて、さぁどうする? ここからが福岡の貧しさ物語である。食文化以外、構造的に、地の文化が発展しないようになっている。地場産業がなく、支店経済の地である福岡市。東京・大阪の資本が投入され、文化面でも超一流がかすめ通っていく。

それでも昭和の頃は、たまにかすめ通っていたものが、平成になると頻繁にかすめ通るようになった。享受する側は、それを待っていれば良い訳だ。地元で地道にがんばっても、もちろん超一流に太刀打ちできる訳はないので、そのうちやる気がなくなり、誰もやらなくなる。

超一流と同じことをやっても存在意義がないので、オリジナルな活動に活路を見出し、そこそこ成功することはある。が、一般市民にはそれを評価する力がない。「早く東京で評価されてきて下さいよ、そしたら安心して歓迎するから」のような見方が混じるので、やはり地元が盛り上がることはない。

と、半ば絶望視しているところがあり、先日そのような原稿を提出したら「あまりにも胸が痛くなるので、もっとみんなが元気になる提言を二つ三つ出してまとめてください」と書き直しを要求された。それもごもっとも。

それで、無い知恵を振り絞って思い出したのが、富山県が作った「逆さ地図」。日本と周辺諸国の地図なのだが、南北が逆で上が南になっている。こうすると、富山は北の果てではなく日本の入口に見えるという、まさに逆転の発想なのだが、その伝でいくと、福岡はさらに正真正銘の入口だ。

その「入口」でおいしいものを食べて、とりあえず満足すると、ほら、何かもう少し面白いもの、やりたくなりませんか?やりたくなるでしょ?やりましょうよ・・・

とは書かなかったが、それに類することを、やっとの思いで書いた。

食文化の充実は、もちろん大きなプラス要因だ。でも人はパンのみにて生くるにあらず、と言い古されたことをまた言いたくなるのである。



オーケストラビルダーとチャッカマン

2013-05-10 00:29:50 | オーケストラ

指揮者の仕事は何か、どんなことを指揮者に望むか、いろいろ考えると二つのタイプに行きつく。

・パートの交通整理から始まって、基礎アンサンブル能力を育成していき、一つの有機体へまとめていく。

・メンバーの自発性を引き出し、音楽全体を燃え上がらせていく。

どちらも必要なのだが、時と場合によって必要な割合が変わっていくのが普通。前者を指す言葉に「オーケストラビルダー」というのがある。最近あまり聞かなくなった。単純にトレーナーと言った方がわかりやすいかもしれないが、そう言ってしまうにはかなり重い仕事である。

後者には適当な言葉が見当たらないので、とりあえず適当に「チャッカマン」と呼んでおこう。メンバーに火をつける仕事だから。これだって、そうそう簡単には燃えてくれないのだから重責なのだが。

ビルダーとして名をはせた人は多くいるが、代表例としてカラヤン。カラヤンは本番ではチャッカマンだったけれど、リハーサルを見た人の話によれば、見事なビルダーと言える。

特別に聞けた話では一言で言うと「ツボ」を押すとのこと。決して長くないリハーサル時間なのに、特定の部分にかなりの時間を割くらしい。そこができるようになるとあら不思議、他の部分も全て(練習していない箇所も)できるようになっていくのだ。

「だってベルリン・フィルでしょ?」と言うなかれ。ベルリン・フィルだからこそ、ツボを押す前からできあがっているのだ。それがさらに輝いてくる、という話として理解していただきたい。

チャッカマンの代表としてクライバーとバーンスタイン。

旧聞に属するが、クライバーが生きていた頃、ウィーン・フィルは何度となく共演している。聴衆を熱狂の渦に巻き込むことにかけては人後に落ちなかったが、ウィーン・フィルの人達からの評判は決して良くなかった。

余談だが、ウィーン・フィルの人達は文句が多い。本当に良くも悪くもウィーン・フィルは世界最高のアマオケだ。

蛇足ですが、ウィーン・フィルのメンバーはウィーン国立歌劇場管弦楽団で働く国家公務員、その人達が「シンフォニーも演奏したい」と作ったのがウィーン・フィル。メシのタネは歌劇場であり、ウィーン・フィルで食っている訳ではないので、彼らは言わば「趣味」でやっている。そういうおじちゃん達は実にうるさいのだ。

彼らに言わせると「クライバーは確かに熱狂を作るが、全部彼が持っていってしまい、俺達には何も残らない」。

ではバーンスタインはというと、こちらはあまり悪く言われないのだな。それは

・デビューの段階ですでにメジャーだった。

・ヨハン・シュトラウスとオペレッタの伝統をも持つウィーンとすれば「ウェストサイド物語」の作曲家というだけでOK!ウェルカムWillkommenよ。

・おまけに「バラの騎士」のワルツだったかな、「これは君達の方が良く知っている」なんて持ち上げちゃったりして、プライドをくすぐるのもお上手。おだてられ天まで昇るウィーン・フィル。

のようなことがあったからではないかと推測する。

一方、バーンスタイン自身はカラヤンのビルダー能力をうらやましく思っていたという噂も耳にした。(確かにバーンスタインはニューヨーク・フィルを有名にしたがアンサンブル能力は低下させたかもしれない。)

やはり一流オーケストラでも自らをビルドアップしてくれる指揮者を歓迎する傾向が強いと言って良いだろう。ましてやアマチュア・オーケストラではなおのこと、チャッカマンよりビルダーを、と思うところが多いと察する。

オーケストラビルダー、これが重要だと認識している人は残念ながら少ない。指揮者側もオーケストラ側もである。

ビルドアップするための指揮法は単純明快。棒の通りに演奏したら、曲の構造が浮かび上がるような振り方・・・やはり難しいか?


鯛やヒラメの舞い踊り

2013-05-06 21:44:17 | 音楽

数カ月前になるが、大学は水産学部を出て水産関係の研究所に就職し、鯛やヒラメを育てていたような立場だった人が、紆余曲折を経て、現在オイリュトミーの専門家で舞い踊っているという、かなり数奇な人生を歩んでいる方の話を聞いた。

鯛やヒラメの舞い踊り、でなくて「鯛やヒラメから舞い踊り」ですね。

と、驚くやら感心するやらでひとしきりだったのだが、それからしばらくして「そう言えば、鯛やヒラメの舞い踊りなんて久しぶりに聞いたな」と思った。「若い人たちは知っているだろうか?」

それから手当たり次第に訊いてみた結果、知っているのは50代以上、40代半ばで既にあやしく40代後半がグレーゾーンであった。え?若い人って40代?

これは文部省唱歌「浦島太郎」の2番の歌詞である。

乙姫様のごちそうに 鯛やヒラメの舞い踊り

というのがあるのだ。私だって3番になったら歌えないので五十歩百歩と言われればそれまでだが。

ちなみに1番は子供でも知っていたので、今のところ伝承が途切れる心配はない。

なんて、伝承が続くか途切れるかばかり心配していることが多い今日この頃。

これはひとえに、日本に元気が足りないからである。

元気があれば伝承の代わりに新しいものが生まれる。浦島太郎の歌なんてせいぜい明治の歌だ。江戸時代の歌を駆逐して生まれたものである。

新しく生まれたものがマルマル・モリモリ程度ではなぁ。もう今年は誰も歌っていないでしょ。

「マルモの掟」は我々の世代で言えば「ニッキ・ニャッキ」だと思っている。

「ニッキ・ニャッキ」それこそ「鯛やヒラメの舞い踊り」を知っている世代の若い方10年くらい限定で知っている歌。

「ニッキ・ニャッキ」は到底「浦島太郎」に及ぶべくもなく消え去った。今日44年ぶりに思い出した方がほとんどだと思う。

ところで「ニッキ・ニャッキ」はEPレコードのB面曲。ひっくり返してA面曲はというと

黒猫のタンゴ

こうなると、先ほどの条件だった「若い方10年くらい限定」が外れる。当時の老若男女、全てに普及した。不朽の名作、かどうかは分からないが、これは後世に伝えて良い歌だと思う。チャップリンの、ある映画音楽に似ているけれど、題名わからないし…。(知りたい方はこちらの4'43"以降を聴いてください。)

この44年前、由紀さおりがその年の歌だけでアルバムを出すほどの元気のあった1969年なのである。こういった「力」のある歌が次々と生まれ、人々の生活を元気づけていた時代。これが完全に昔話になっている平成男女に、別の形でいいから何か元気づけたい。

伝承は、その模索の方法だ。与作はヘイヘイホーだ。(これは40代以上かな)

30代以下の皆さん、これじゃ元気が出ないと思いましたよね。話が難しくてごめんなさい。