学生時代、一度だけN響のエキストラ奏者を、と言っても3週間、十数回の本番をこなしたことがある。
セカンド・ヴァイオリンの一番後ろで弾くのだが、様々なことが面白く、そして辛かった。
辛かったことの一つに「音が出せない」ということがあった。それは見事に、皆さん、あまり音を出さないのである。
先輩曰く、フルに出すより、数割り引いたくらいの音の方が、全員の音が溶け合って美しいから、だそうである。
それも理屈だけれど、曲はドボ8(ドヴォルザーク作曲の交響曲第8番)ですよ。こんなに盛り上がらないで弾くのが良い訳?と、欲求不満がたまる一方。
幸か不幸かわからないけど、隣席のシンボリさんはN響を定年退職されたばかりの団友さん、周りの団員さんと違って、結構大きな音で弾かれていたので、私も便乗して、時々大きな音で弾かせてもらった。
後で「セカンドの一番後ろのプルトは、音がデカかったな」と言われたけど、聴衆にはこの方が良いはずだという信念のもとにいた私だった。
(こういう人はオケには向かない)
という当時の「N響奏法」、これがカイルベルトの発言から始まったことが、そのFM番組で紹介されたのである。
時のコンサートマスター、ウンノ先生が書かれた文章が紹介されたのだが、要約すると「そんなに全力で弾いては溶け合わなくて汚いから、何割か力を抜いて弾くようにカイルベルトから言われ、そうしたら驚くほど音が美しくなった」というような話。
そうか、この一瞬でN響の音は変わったのか。
カイルベルトの在任期間はとても短い。にもかかわらずこれがデュトワと出会う1990年台まで、約30年間続くのだから、ものすごい影響だ。
だが、カイルベルトが振るから、という側面も確実にあるはずだ。
また、当時の技術レベルもあるだろう。現在のN響で、それを考えているとは思えない。そして、もしカイルベルトが現在のN響を振ったら、同じことは言わなかったと思う。
いやはや、そのカイルベルトの一言に苦しめられていたことがわかった今、カイルベルトととの深い縁を感じたのであった。
NHKFMの「N響ザ・レジェンド」という番組は、歴史の証人である。時々、本当に衝撃を受ける。
先日のカイルベルトの放送、一般的には、まあ普通の放送なのだが、そこで紹介された内容は一生忘れない類いのもの。
正直言って、カイルベルトの演奏の録音は、多分初めて聞いた。生はもちろん、レコードも何も聞いたことがなかった。
それでも名前を記憶しているのは、ある時期、N響の名誉指揮者だったからだ。そして、名誉指揮者は時々来日してN響を振るものだが、ただ一人、すぐにお亡くなりになり、全く聴く機会がなかったのである。
だが、指揮者の故岩城宏之さんはカイルベルトの真似をして怒られたと、本に書いてあったり、我々が世話になったウラカワ先生は「カイルベルトに認められてバンベルク響のコンマスになった」という噂と共に芸大にいらっしゃる等、何かの折りに出てくる名前だったのである。
それで、忘れられない内容とは、実は演奏自体ではない。
演奏自体はオーソドックスで、当時のN響として名演の誉れ高いことも充分想像できる。平たく言って、良い演奏、と偉そうに言わせてもらう(私の先生が何人も演奏しているというのに)。
そのリハーサル時に出した言葉を、コンサートマスターのウンノ先生が記録していたことが衝撃だったのだ。(続く)
先日のカイルベルトの放送、一般的には、まあ普通の放送なのだが、そこで紹介された内容は一生忘れない類いのもの。
正直言って、カイルベルトの演奏の録音は、多分初めて聞いた。生はもちろん、レコードも何も聞いたことがなかった。
それでも名前を記憶しているのは、ある時期、N響の名誉指揮者だったからだ。そして、名誉指揮者は時々来日してN響を振るものだが、ただ一人、すぐにお亡くなりになり、全く聴く機会がなかったのである。
だが、指揮者の故岩城宏之さんはカイルベルトの真似をして怒られたと、本に書いてあったり、我々が世話になったウラカワ先生は「カイルベルトに認められてバンベルク響のコンマスになった」という噂と共に芸大にいらっしゃる等、何かの折りに出てくる名前だったのである。
それで、忘れられない内容とは、実は演奏自体ではない。
演奏自体はオーソドックスで、当時のN響として名演の誉れ高いことも充分想像できる。平たく言って、良い演奏、と偉そうに言わせてもらう(私の先生が何人も演奏しているというのに)。
そのリハーサル時に出した言葉を、コンサートマスターのウンノ先生が記録していたことが衝撃だったのだ。(続く)
ここのところ、新幹線もよく事故が起こる。10月などは23時頃に博多に着こうとしていた人が、翌日の2時40分頃になってしまったという話を聞いたことがある。
それに比べたら大した時間ではないのだが、11月9日も事故で30分ほど事故で遅れたらしい。
30分ではなかったのかもしれないが、とにかく、その「待たされた」乗客の中に指揮者のアシュケナージがいた。
おかげで、アシュケナージは福岡の本番に遅刻してしまった。
が、その空白になったかもしれない時間、ピアニストの辻井伸行氏が30分ピアノを弾き、「待たされた」はずの聴衆は大喜びだったとか。
いろんな思いがよぎる。
指揮者はそんなにギリギリの移動で良いのか?
ピアノでいきなり30分弾けるのは、さすが。
お客様は得した気分で良かったのか?
ハプニングのサプライズだから良かったのか?
無伴奏で30分弾くヴァイオリニストはいるか。
いたとして、聴衆は喜ぶか。
他人事なので、面白い出来事だった。
それに比べたら大した時間ではないのだが、11月9日も事故で30分ほど事故で遅れたらしい。
30分ではなかったのかもしれないが、とにかく、その「待たされた」乗客の中に指揮者のアシュケナージがいた。
おかげで、アシュケナージは福岡の本番に遅刻してしまった。
が、その空白になったかもしれない時間、ピアニストの辻井伸行氏が30分ピアノを弾き、「待たされた」はずの聴衆は大喜びだったとか。
いろんな思いがよぎる。
指揮者はそんなにギリギリの移動で良いのか?
ピアノでいきなり30分弾けるのは、さすが。
お客様は得した気分で良かったのか?
ハプニングのサプライズだから良かったのか?
無伴奏で30分弾くヴァイオリニストはいるか。
いたとして、聴衆は喜ぶか。
他人事なので、面白い出来事だった。
学生時代、ミュージック・シンセサイザーに興味津々で、ピアノやヴァイオリンの音を、VCO(オシレーター)とVCF(フィルター)の合成で、何とか作りだしたいと、躍起になっていたことがあった。現在主流のディジタル・シンセサイザーが発明される数年前のことだ。冨田勲が初期に使っていた、いわゆるアナログ・シンセサイザーである。
しかし、どうしてもできない。
先生からは「あのカツンというノイズを入れないと、ピアノの音にはならないよ」と、何度も言われた。
そうかもしれない、と頭では理解しても、雑音をわざわざ入れるのはとても抵抗があった。
日頃、雑音をできるだけ入れないようにと訓練されている身としては。
しかし、アタックの雑音成分が全くないと、我々はその音をピアノとして認識できない。
昔はテープレコーダーを逆回しに再生という芸当ができた。そうやってきくと、ピアノの音はオルガンのように聞こえる。
もう少し新しいところだとMDを使って実験ができた。長い音価の音符を弾いて録音し、出だしのアタックだけをカットしてしまう。すると、やはりオルガンのような音になる。
いかに最初の雑音成分がピアノを特徴づけているかという証拠である。(今、これらの実験が難しくなったのは残念)
この雑音成分は、わざと鳴るように作られているそうだ。そしてタッチ如何で、限りなく減らすこともできる。
ピアノを弾く方々には、それを認識して、自由自在に雑音成分を入れたり無くしたりしてほしいものである。
しかし、どうしてもできない。
先生からは「あのカツンというノイズを入れないと、ピアノの音にはならないよ」と、何度も言われた。
そうかもしれない、と頭では理解しても、雑音をわざわざ入れるのはとても抵抗があった。
日頃、雑音をできるだけ入れないようにと訓練されている身としては。
しかし、アタックの雑音成分が全くないと、我々はその音をピアノとして認識できない。
昔はテープレコーダーを逆回しに再生という芸当ができた。そうやってきくと、ピアノの音はオルガンのように聞こえる。
もう少し新しいところだとMDを使って実験ができた。長い音価の音符を弾いて録音し、出だしのアタックだけをカットしてしまう。すると、やはりオルガンのような音になる。
いかに最初の雑音成分がピアノを特徴づけているかという証拠である。(今、これらの実験が難しくなったのは残念)
この雑音成分は、わざと鳴るように作られているそうだ。そしてタッチ如何で、限りなく減らすこともできる。
ピアノを弾く方々には、それを認識して、自由自在に雑音成分を入れたり無くしたりしてほしいものである。
全開か半開かを問題にするのは、本来弦楽器とフルートだけのはずだが、他の管楽器の方々が時々問題にしていることがある。これは時間の無駄だから、問答無用で「全開」以外を考えないでいただきたい。
それで、なぜ弦楽器とフルートで問題になるかというと、もちろん音量のバランスがとれないからなのだが、本当は「とれる」はずだ。ピアノもフォルテも出せる「ピアノフォルテ」という楽器なのだから。
なぜバランスがとれないか、それはピアニストがソロ曲を弾くのと同じ感覚で、アンサンブル曲を弾いてしまうからだ。
アンサンブルをする前に「ピアノを鳴らせ、鳴らせ」という指導をずっと受けていたのだから、無理もない。ピアノに限らず、楽器の技術習得では、まず鳴らすことを目指すものである。
しかしアンサンブルのことを考えると、多分それまであまり考えたことのない視点を持たざるを得ない。
つまりピアノが「低音(バス)」を担当する楽器になるということだ。
協奏曲以外、他の楽器が低音を担当してピアノが中高音を担当する、という曲は「無い」。
なので、まずピアノパートの低音(左手)と他の楽器で一部分合奏してみる。これだけでも音楽の骨格が出来上がることがわかるはずだ。
次に「その骨格を崩さない」よう注意して、同じ箇所を内声(右手)を入れて弾いてもらう。
耳をよく使ってもらえば、これで大抵は理想のバランスにかなり近づく。
屋根を全開にすることは、このように音楽作りにも密接に関わりがある。
それで、なぜ弦楽器とフルートで問題になるかというと、もちろん音量のバランスがとれないからなのだが、本当は「とれる」はずだ。ピアノもフォルテも出せる「ピアノフォルテ」という楽器なのだから。
なぜバランスがとれないか、それはピアニストがソロ曲を弾くのと同じ感覚で、アンサンブル曲を弾いてしまうからだ。
アンサンブルをする前に「ピアノを鳴らせ、鳴らせ」という指導をずっと受けていたのだから、無理もない。ピアノに限らず、楽器の技術習得では、まず鳴らすことを目指すものである。
しかしアンサンブルのことを考えると、多分それまであまり考えたことのない視点を持たざるを得ない。
つまりピアノが「低音(バス)」を担当する楽器になるということだ。
協奏曲以外、他の楽器が低音を担当してピアノが中高音を担当する、という曲は「無い」。
なので、まずピアノパートの低音(左手)と他の楽器で一部分合奏してみる。これだけでも音楽の骨格が出来上がることがわかるはずだ。
次に「その骨格を崩さない」よう注意して、同じ箇所を内声(右手)を入れて弾いてもらう。
耳をよく使ってもらえば、これで大抵は理想のバランスにかなり近づく。
屋根を全開にすることは、このように音楽作りにも密接に関わりがある。