井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

IT革命でゆっくり歩く?

2008-01-28 09:55:00 | まち歩き

 東京の人たちが、ゆっくり歩くようになったと思う。東京の人は誰もそう思っていないが。以前は、頻繁にぶつかるし、こちらもかなり早足で歩くことを心がけた時も度々あった記憶がある。私だけが言っていたのではない。福岡や長崎から東京へ出て行った友人は異口同音に言っていた。でも、今それをやると確実に人を追い抜いてしまう(ような気がする。なかなか東京に住む九州人に確認できないのだが。)

 最初に気づいたのが暑い日だったので、「やっぱり暑いとそうそう速くは歩けない」だけだと思った。

 しかし、冬になってもやはり人々はゆっくり歩いていた。で、気づいたのが「スイカSuica」。改札口にスイカが置いてあって、人々はスイカカードでそれを触るだけで改札を通り抜けていく。私のような「お上りさん」だけが自動券売機の前でもたついている。一昔前の券売機前の行列は全く姿を消しているのである。

 このような次第で、人々は止まることなくプラットホームへゆったり?歩いていく。最近では私鉄も乗れるようになったようで、とにかくかなりの様変わり。

 と、スイカのせいだと思っていたのだが、もう一つ考えられる原因があった。
「携帯電話」

 4年前、久々に東京へ出て唖然としたのは、鉄道路線がすごく増えていたこと。だから電車の混み具合がかなり緩和されていた。同時に目的地へのルートが複数存在し、人々はそのルートと時刻を携帯電話で調べるようになっていた!こんなことは世界広しといえども、東京(大阪、名古屋も?)に限られる光景ではなかろうか?ロンドンやニューヨークでも見られないような気がする。(どなたか海外事情をご存知の方は教えて下さい。)

 この携帯のルート探し、慣れると大変便利。また、余裕のある乗り換え時間を教えてくれるのもありがたい。これで、また人間の能力は退化したなぁ、と思わないではないが、表面上はゆとりのある「ゆっくり歩行」が実現したと言えるだろう。ストレスが減るから「良いこと」だと考えたい。

 と、いささか「風が吹けば桶屋が儲かる」式の話になってしまったが、スイカも携帯もIT革命の産物であろう。今年のセンター試験の問題に、IT革命のお陰で就職口が変わったという話が載っていたが、私の見るところでは町の風景も変えてしまった、と思っている。

 ところでITは一体何の省略か?

 高校の倫社の先生が教えてくれた。
「イタレリ、ツクセリ」のイニシャルだそうである。


江藤俊哉先生

2008-01-23 13:07:50 | 音楽

 昨年夏,私の師匠がお見舞いに行った時の話では,すでに口をきくこと能わず,とても外を歩ける状態ではなかったという。なので,来るべくして訃報に接した感がある。

 私達の世代では,物心ついた時には江藤先生がスターだった(辻久子さんや諏訪根自子さんの活躍ぶりは知らないので)。NHKの「バイオリンのおけいこ」のお陰で,ヴァイオリンを弾く人間にはテレビを通しておなじみでもあった。先生のお父上が熊本出身だということもあり,熊本には時々いらしていたから,私も熊本在住の子供時分に聴きにでかけたものだ。

 残念ながらレッスンを受けることはできなかった。だから,ここで云々する筋合いではない。それでも先生にまつわる思い出が,弟子でもないのに「ある」ということ自体,偉大さの証明ではないだろうか。とにかく一時代を築いた方であるのは間違いない。

 弟子ではないからこそ,客観的に見えるものも少しはある。
 大学を卒業して,ヴァイオリンの仕事をすると,江藤先生の門下生だった人たちとの仕事も多くなる。仕事の合間にレッスンの様子をきいてみたこともしばしばあった。彼らの話によると,まず楽譜を渡され「写しなさい」。江藤先生はずっとピアノを弾かれていて,そこから「つかみなさい」。あまりに日本人的な教え方に驚いたものだ。

 とても私にはついていけないと当時は思った。今考えると,必ずしもそうでもない。必死になって「つかむ」可能性もあるかもしれない,と思うからだ。

 必死になって「つかんだ」人たちが,現在キラ星の如く活躍中の皆様,ということになるのだろう。

 現在,江藤先生の一回り二回り下の世代で大変優れた指導をされる方が国内でも増えてきた。このこと自体,日本の成熟の証であるから,とても歓迎すべきことだ。これは一見,江藤先生でなくても,という時代になったという風に受け取られるかもしれない。もちろんそのような側面は存在する。

 しかし,私が江藤先生に個人的に感謝しているのは,レッスンの友社から出ている「江藤俊哉校訂・指導によるレッスン・シリーズ」を遺して下さったことである。多分,直接の生徒さんに渡されていたものと中身が大同小異であると考えられる。なぜならば,その通りに弾くと一通りの形が出来てしまうからである。

 昔から,レッスンの友には「誌上レッスン」というのがあり,他の先生も書かれていた。しかしその頃は,「いくら紙の上に書いてあったってねぇ」と疑問視していたのである。

 確かにこれが全てということはあり得ない。一方で紙に表記できるものも少なからず存在するのも事実。(だから,各ソリスト皆さん何か書いて遺してくれるとありがたい。)

 先入観なしで,この譜面に接すると,また別の面も見えてくる。つまりこれが,実際の豊富な演奏経験に裏打ちされてのアドバイスであることだ。演奏会のレパートリーは,現実ではかなり限られており,ヴァイオリニストが必ず練習するスペイン交響曲やサンサーンスの協奏曲は,チャイコフスキーやメンデルスゾーンに比べて,ガクンと演奏頻度が落ちる。

 なので,このあたりのレパートリーのサジェスチョンは貴重である。(同時に,往時は江藤先生にソリスト依頼が殺到していたのだなぁ,ということを感ぜずにはいられない。)これができる方は今後もそう現れないかもしれない。

 という訳で,このシリーズは注目されて良い。全てがお勧めという訳でもないのだが,やはり群を抜いておもしろいのは「スペイン交響曲」!(私は,毎回読んではニヤけてしまいます。)

 心からご冥福をお祈りします。


オーケストラのヒヤリ・ハット

2008-01-15 12:08:49 | 指揮

 Aさんという指揮者がいらして、よくわかる指揮で何の問題もなくリハーサルが進み、本番も無事故で終了する。オーケストラもストレスをほとんど感じないで帰途につく。

 Bさんという指揮者がいらして、よくわからない指揮で多々の問題を起こし、リハーサル時間は不足、本番ではヒヤリ・ハットの連続で終了する。オーケストラは飲まずには帰れない。

 当然のように、オーケストラ側からの評価はAさんが高く、Bさんが低い。それで事務局に、Aさんの出番を増やしてもらえないか、と尋ねてみる。
「それがー、Aさんは、お客さんからの印象が薄いんですよ。」
「……」
「Bさんの方が断然お客さんからの印象が良いので…」
 そういえば、Bさんは国際コンクールで「聴衆賞」をもらっていたなぁ。

 それを仲間に話してみる。
「確かに、事故がおこりそう、という意味でBさんの時の演奏は良く覚えているけど…」

 一般的に、大事故の陰には「ヒヤリ・ハット」の件数が数百件あると言われている。しかし音楽の場合は「必要悪」なのだろうか?

 結論は「Aさんにキンキラの服を着せて、カツラでもかぶってもらおう」となった。


加藤登紀子さん

2008-01-13 09:50:35 | 音楽

昨日は大宮ソニックシティで東京室内管弦楽団の公演だった。一昨日が、そのリハーサル。

加藤登紀子さんは小柄な方である。だが、やはり一流は違うということを見せつけられた二日間だった。

やはり東大、と言ってはいけないと思うが、頭の良さと冷静さは、並ではないものを感じざるを得なかった。

今回、譜面の不備が多かったのである。クラシックが基本の演奏者としては譜面通り以外はありえないと言って良いだろう。譜面の不備は致命的である。

そのことに演奏者が対応しきれていなかった。加藤さんとしてはキレていて当然、の瞬間も時々あった。

でもぎりぎりまで感情的になることなく、頭をすばやく切り換えての対応は、我々にとってありがたいものだった。(指揮者は本番の最中に「一瞬」叱られていたが。)

それに、聴衆の引き付け方は見事。プログラム順、トーク、振り付け、照明、編曲等、歌の周辺にもかなり手間隙かかっているのだが、実際の舞台では有効でないこともある。 (今回も井財野が譜面に手を入れる必要が生じた。) その変更すべき点は、周りのスタッフから出ることもあるが、いずれにせよ対応がすばやく、それらが舞台の成功につながっていく。

一流は違うなぁ、ということを感じさせた一日だった。

今日は、筑波のノバホールで幼稚園生に「絹のはしご」やベト7を聴いてもらう。 では、いざ出陣。


滋養豊富・風味絶佳

2008-01-07 20:45:29 | 食・レシピ

明けましておめでとうございます。

七草がゆを食べないで(?)この「滋養豊富・風味絶佳」を食べた。何故か無性に食べたくなって数十年ぶりに買った。

昔はどこにでも売っていたように思うが、今、近所のコンビニやスーパーには売っていなかった。

駅のキオスクで見つけた。私のイメージでは7、80円なのだが120円だった。そうか、高くて買えないものだったのだ。風味絶佳だからなー。チョコレートより高いのだ。

箱に栄養成分表が印刷されていた。なんとビタミンAとBが含まれている。本当に滋養豊富だったんだ…。 では、封を切って中身を出す。昔は半透明の紙だったのに、今は銀色の紙に包まれている。これが高級感というものだろうか?私としては半透明であってほしいのだが。

しかも、こんなに小さかったかなぁ?やはり高級品なのか、これが私の成長の証なのか?

そんなことを考えると、肝心のお味を楽しむのは二の次になってしまった。 味は意外と淡白か?

爺さんになっても、まだ売っていたら、もう一度買ってみようっと。森永ミルクキャラメル。