井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ファンタジア神戸

2012-03-29 22:42:37 | 井財野作品

昔から音楽で食っていくのは大変だったが、現在ますます大変になっていると思う。

商業音楽の分野であっても、お金が回っていかない。それなのに、演奏家ばかり増えている。

クラシック音楽も同様。特に補助金なしでは成立しないオーケストラは危機的で、事業仕分けの前から補助金カットが相次ぎ、事業仕分け、震災と泣きっ面に蜂である。国がお金を出さないなら地方公共団体が出す訳がない。右にならえで、これまた補助金カットである。事業仕分けほどの悪政は無いのではないか、と言いたい。

と、文句を言うだけでは能がない。

聴きたいと思わない人に聴いてもらうのは至難の技だし、場合によっては有難迷惑にもなりかねない。

やはり聴きたいものを聴いてもらう、を基本にした方がスムーズだ。

聴きたいものの基本は昔から決まっている。

「知っている曲」

「新しい曲」

これに則って考えれば、聴いてもらうのは難しくない。

先日、神戸でお子さんを中心とした発表会にアドバイザーとして招かれたのだが、数分だけの演奏も同時に頼まれた。

条件として、ピアノ伴奏がない。これが辛い(とクラシック系の頭は反射的に思ってしまう)。

クライスラーみたいな楽しい無伴奏曲ができると良いのだけれど。

いや、天満さんは「からたちの花」でも堂々と無伴奏でメロディーだけ弾いていたな。あれでも良いと言えば良いわけだ。

しかし私が退屈だな。ハイフェッツ編曲の「故郷の人々」が頭をよぎる。ハイフェッツといえどもフォスターみたいなのを弾いてくれと頼まれた訳だ。平凡が嫌いなハイフェッツ、できたものは絢爛豪華なフォスター。こういうのがいいな・・・。

でも、神戸でなぜフォスターなんだ?

神戸と言えば・・・神戸だろ?

一つの歌しか思い浮かばない。

うん、これを豪華絢爛にやろうではないか。

いやはや、しかし、ええ歌やな。気持ちが入るで。この気持ちの入り具合は三重音の連続や。

会場にはヴァイオリンを練習しているお子さんも一杯やから、ついでにヴァイオリンの曲の引用をしこたま入れたろ。

という次第でできあがった「ファンタジア神戸

自分で作ったものなので暗譜は簡単かと思いきや、さにあらず。次が何だったか、しょっちゅう間違えそうな状況の連続で、本人の出来としてはあまり良くないのではあるが、誰も今のところ弾いていないし、やはり何と言っても、「こういうことをもっとやろうよ」という提言でもあるので、敢えて公開にふみきった次第である。ヴァイオリンに詳しい方は、何曲引用されているか数えてみて下さい。



精神の成長

2012-03-29 21:56:34 | アート・文化

なぜ音楽をやっているのか、考えない日はない。考え、書籍を通して知識を増やし、また考えと続けていくごとに、人間が人間として生きていくのに欠かせない存在だと確信する。

が、日本においてはまだまだその認識が浅いと思う。だから啓蒙活動が常に必要なのだ。

ここでは一言だけ。

「音楽は魂を成長させるのにうってつけである。」

そのことは、古くから知れ渡っている。古代ギリシャでは、だからこそ数学と共に研究されてきた歴史がある。

優れた音楽は優れた人間を作り出す。

それも為政者は昔から知っていた。優れた人間が増えるのは為政者にとっては都合が悪い。

かくして精神の成長を妨げる音楽がはやるように世の中をリードする人達が出てくる。


小中学校の成績はあくまで中間発表

2012-03-25 13:34:16 | 日記・エッセイ・コラム

昨年に書いた「感動の定量評価」、その元となったEメールを書いてくれた元同級生、ならびに、その感想と付随情報を提供してくれた先端医療の研究員の方と、相次いで先日会うことができた。

特に、その同級生はざっと28年ぶり、その間の時間を埋めるがごとく、6時間弱、しゃべくり通した。こんなことも人生そうそうないような気がする。

医者としての彼の専門は心臓だそうで、現天皇陛下の手術についても興味深い話が聞けた。

心筋梗塞の手術の場合、風船のようなものをふくらましてやるのが、一番効率的。ところがこれは1000人に2,3人の割で失敗するんだ。だからあの使える血管をつないでやる方法をとったみたいだけれど、あれはまた梗塞を起こす可能性が高い。関西だったら9割以上風船だけれど、関東は半々だな。

手術の方法に地域性があるとは初耳だった。

というような専門的な話もあったが、私にとって最大の関心事は、彼の現在の片鱗が、かつての中学生時代には全く見られなかったことである。私の印象は社会と美術ができる人、であった。どうしてこうなるの?ということ。

すると、いろいろユニークな事例が出てきた。

小学校時代は、全く勉強をするタイプではなく、特に算数は小学校4年から4年間、全くしなかったという。なぜかというと「りんごが何個、ミカンが何個」の類の文章題になると、頭がもやもやして、全く受け付けなかったから。それが数学の連立方程式になって、初めてすっきりと頭に入っていったそうだ。抽象的な思考の方が合うタイプという訳だ。

また数学も微積分が出てきて、ようやく全てが理解できるようになったらしい。全てというのは数Ⅰなどに留まらない。三角形や平行四辺形の面積を理解するのも人より5年くらい遅かったような話ぶりだった。

そんなこんなで、小学校のブランクの4年間からスタートして、高校を卒業する時の成績は学年で2,3番まで上り詰めた。とにかく成績が下がったことがほとんどないという、それだけみると実にうらやましい人生だ。

で、並行して野球をやっている。東工大時代にまで野球部に所属。その頃、東京大学との試合があって、初めて「あ、東大ってのはいい学校だ」と思ったのだそうだ。

こうやって書くと非凡ぶりが強調されるが、ちょっとそれとも違う。

本当に非凡な人の話も聞いたが、それらを聞いて強く感じたのは、現行の教育システムに合致できると成績は良く、合致しなければどれだけ非凡であろうと成績は良くない、ということ。

彼のうろ覚えだが、クラスメイトで、恐らく最低の成績だった男が九州工業大学かどこかの大学に行った話も出てきた。

それから限りなくポジティブだということ。

やりたいことをそのまま続け、しかも「何とかなるだろう」と思い続けて、何とかなった歴史を目の当たりにした思いだ。

本人としては優柔不断という自己分析で、さらに強い決断力が欲しそうだったが、上には上があるということだろう。

彼の中学校時代の頃を考え、現在に照らし合わせると、学校の成績はあくまで一側面だし、ましてや小中学校ともなると、単なる中間発表でしかないという思いも強くした。つまり成績が良くなかったからといって、それほど案ずることはない、ということ。

それより、自分の進みたい道を見極めることが重要、ということだろう。そこでようやく勉強の必然性が生じる訳だ。平成生まれの皆さんには、そのために勉強していただきたい、と昭和生まれのおじさんは強く思う。






演奏会はいかにして「すし屋」に勝つか?

2012-03-22 00:16:30 | アート・文化

この大変興味深いテーマを提示したのは、知り合いの音楽学者さんである。

そのブログ記事にも書いてあるが、福岡は実においしい飲食店が多く、しかも比較的安価。大阪の食い倒れを実質凌駕している。

そのテーマを考え続けて一年以上になった。

昨年は大学生のオーケストラに「あなた達、入場料千円とるなら、千円のランチよりイイ音楽にしなきゃ」と言ったことがある。それ以来、そのオーケストラからは呼ばれなくなったが・・・。

さて、今、学校は卒業の時期だ。先日、ある小学校を卒業する6年生が、将来何になりたいかを垣間見る機会があった。

我々の頃と同じような「お医者さんになりたい」「警察官になりたい」「電車の運転手になりたい」というのもあったけれど、かなり違うものの方が目についた。

・野球の選手よりもサッカー選手になりたい子の方が多い。

・学校の先生になりたい人が増えている。

・漫画家、という子も少しいたけれど、昔と比べるとかなり減っている。

・ピアノの先生になると、全80名中わずかに一人。

・昔の花形と思われていたパイロット、スチュワーデスは皆無。

いやはや、かなりの堅実路線。

そして、レストランのシェフとかパティシエなどという子供が結構何人もいたのである。

芸能関係はというと、これも一人。かつて福岡からは芸能人があふれるほど出てきたものだったが、今は韓国人でないとダメだと小学生も思っているのかな?

それはともかく、憧れの職業から音楽関係はほとんどはずれ、代わって外食産業がその地位にあるのを象徴しているようだった。

さもありなん。福岡で千円出せば、かなり美味しい物が食べられるし、二千円出せば「贅沢なモノ」にありつける。一方、千円の演奏会は、前述のようなアマチュアの演奏会の値段、二千円の演奏会には当たりはずれがある。「贅沢な音」が聴けることは稀にしかないかも。

ここで宣伝です。

九州・沖縄作曲家協会主催「春の音楽展2012」を3月31日14時から福岡市中央区の大名MKホールにて開催します。

昨年発表した井財野友人のピアノ曲「寝台急行 日南」の再演のほか、モンゴルに取材した作品「天馬降臨」(14人の合奏曲)も発表します。

原田大志も演奏者として半分以上に出演します。入場料2000円ですが、これは二千円の料理に負けないはずです。都合のつく方は是非お越しください。

小学生の出した答えは、少なくとも現状で見た限り、音楽屋さんは料理人に負けている、ということ。すし屋に勝つのは容易ではない。音楽屋さんは、すし屋に行く度に、どうすれば勝てるか考えるべきではないだろうか。

ただし安価な「回転ずし」はダメ。ものの本によると、安くで提供できるのは、痛んだ魚を出しているからなのだそうだ。回転ずしならばあまり見分けがつかないから、とのこと。道理でおなかを壊すことが多い訳だ。

本当は「勝つ」ではなく、良い演奏を聴いて、その後に美味しいものを頂いて、が一番良いのだけれど。




続・感動の風車 ~戦前から残る現役の音楽会場

2012-03-19 00:52:17 | アート・文化

戦前から残っている建物というのは、どれもそれなりの風格がある。それが空襲をくぐりぬけて生き残ったとなると、やはり感動物だ。

村野藤吾という昭和の代表的な建築家がいる。日比谷の日生劇場や読売会館(以前有楽町のそごう、現在ビックカメラ)などを設計した方だが、その出世作が山口県宇部市にある渡辺翁記念会館だ。

名前からして何やら由緒ありそうだ。調べてみると、宇部市の企業7社に関わっていた渡辺祐策を記念して、昭和12年に建てられたそうだ。

ここで注目すべき事実は、音楽ホールとして設計されているということ。これは宇部興産の初代社長、俵田明、その娘婿の寛夫が音楽好きだったことが影響している。俵田の自宅にも欧米の音楽家を招き入れるほどで、そこにはメニューインやコルトーも含まれている。そして俵田寛夫は「宇部好楽協会」という音楽愛好者の団体を組織して、驚くべきことに、その好楽協会は現存している。

戦前の規格なので、現代の音楽ホールと同列に論じることはできない。楽屋で練習している音が舞台にもよく聞こえたりするなど、使い勝手も良くない部分はあるが、それでも同じ戦前にできた日比谷公会堂などよりは、はるかに良質な音がするし、特に2階席で聴くと、とても良い音が聴けるので、私は大変好きなホールである。

先日、その2階のロビーに初めて入った。そこで建設の頃から開館当初の様子などの展示に接したのである。

当時のプログラムもあって「戦闘曲」などという、今では考えられない曲目も掲載されていたりして、甚だ興味深い。

また、当時は冷暖房もなかったそうで、舞台に電気ストーブのようなものが足もとに置いてあり、弾いているのはシゲティ、という写真を見た時には、思わず背筋が伸びた。

実は、今でも場所によってかなり寒いホールなのである。ところによって暖房も故障していたりして、「渡辺翁=寒い」というイメージもある。

それでも、暖房の入っている場所も一応ある訳だ。

一方、暖房は足もとのストーブだけで演奏しにはるばるヨーロッパからいらしたシゲティ。ヴァイオリンは右手が常に宙を切るし、左手は心臓より上にあるから、どれだけ動いてもちっとも暖かくならない。どちらかと言うと、寒くなる一方のような状態で、満員の聴衆の前で演奏するシゲティの写真。

頭が下がると同時に、それと同じ舞台に立てる喜びも湧きあがってきたのも事実。

ここで思い出したのが、前記事で書いた「心の風車がカラッと回る瞬間」の話。

まさに渡辺翁記念会館は、そのような感動に包まれる場所なのだ。

このような場所を持つ市民は、本当に幸せだと思う。

実際、宇部市で演奏している宇部市民オーケストラは、見るからに宇部市民から支えられている感を強くする。プログラムを見ると、後援に前述の好楽協会以外に「宇部音楽鑑賞協会」というのもあり、「渡辺翁記念文化協会」や「宇部文化連盟」などの名称も掲載されている。

人口17、8万の市で、こんなに文化の香りが強い所はそうそうないだろう。

これはやはり俵田家の力が大きい。街の経済をリードする人達が「文化ってのはいいもんだ」と思うことで、街全体がそう思うようになるからだ。

同時に、音楽ではオーディトリアムの存在が大きい。渡辺翁記念会館に入って「音楽ってものはいいなぁ」と思う感情は一生残る。これが戦前に形成されたとしたら、かなり強力だ。例えば、残念ながら九州には、一つもそのような場所はなかったと思う。

それでも1980年代にできた熊本県立劇場は影響が大きい。現在、熊本市の合唱、吹奏楽、管弦楽、全て九州他県に比べて盛んなのは、このオーディトリアムの存在抜きには語れない。

1990年代には、他県にも相次いでできた。しかしデフレの時代にできているので、これが文化の繁栄にはなかなか結び付き難いものがあるように感じる。

とは言え、少しずつ繁栄の道を探るのが、我々の使命であろう。そのためにも宇部は良いモデルになると思うし、宇部のこれからの発展も祈るところである。