私が子供の頃は「レコードを聴いて勉強してはいけません。楽譜が読めなくなるから」と言われていた。
その頃、すでに鈴木メソードは(全盛期を過ぎていたのかもしれないが)かなりの普及を見せていた。そして、鈴木メソードで学習すると譜面が読めないままヴァイオリンを弾く事になり、そういう人が続出していると既に言われていたのだった。
鈴木メソードは音楽教育というよりは人間教育だ。鈴木で育った子はリーダーシップが育つ、という別の報告もある。音楽家を育てようとする教育ではないので、楽譜が読めないからダメという論法も鈴木メソードにとってはいい迷惑だ。
それ以上に・・・
昔から指揮者・作曲家のレナード・バーンスタインに憧れていて、バーンスタインが学生時代、古典派の交響曲程度ならば、スコアを初見でピアノで弾いたという話を聞いた途端、とにかくそれができるようになりたかったのである。
また同時期に、日本人の指揮者・作曲家、外山雄三氏が「基本的に、まずスコアを読むことが先で、レコードは最後に参考程度に聴くこともある」と話されていたのを、どこかで知った。やはり、そうでなければならない、と思い込んだのである。
一方同じ頃、指揮者の岩城宏之氏が「岩城音楽教室」という新書を出した。デビューの頃「運命」を振るにあたって20数枚のレコードを聴いて、自分の好みに合わないものを排除しながら、消去法で自分の個性を発見していった旨の文章が載っていた。これはかっこ悪い、と思い込んだのである。
楽譜から直接音楽を読み取れるようになるには、もちろんかなり長い時間がかかった。短くみれば3年、長く見積もれば数十年かかったと言える。
それでも完全に読める訳ではない。しかし、7割から9割読めれば、演奏のための準備としては充分役に立つから、それで良いのではないかと思う。
なので、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタのCDを何か貸していただけませんかと学生から言われて、はたと気付いた。ほとんど持っていないし、それ以上に聴きたいと思わないからだ。
聴いたら、どこかに不満が出そうなのが嫌なのだ。それより楽譜を眺めている方が愉しい。自分の頭の中で理想の演奏が流れるから。
なので、録音を聴くより楽譜から音楽をくみとれることができるようになることを「目指す」のをお勧めしたい、というのが今の心境である。