井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

遠隔教育

2020-05-17 00:24:27 | 大学
大学は遠隔教育になる、と数十年前にピーター・ドラッカーが言われた。

その準備を少しずつ進めていた大学もあったが、予算の少ない大学は何もしていない。

それが、この5月から一斉に遠隔教育を始めた。
正直言って、たった数週間で全大学が遠隔教育の準備ができるとは思っていなかったのでびっくり。

なんて他人事ではない。

連休明けたら、さあやってくれ、ソフトウェアは入れたから、と言われて面食らった。
私など2大学で非常勤講師もしており、そちらも一斉にきたから、3大学分突然遠隔教育が始まって、いやはや大変。

マニュアルは渡されるものの、そもそも遠隔教育で何ができるのかという説明がろくにない大学もあった。

おまけに各大学で違うシステムを導入している。ふーん、こういう方式もあるのか、と感心している場合ではないのだが、さりとて先に進み方もわからず、あちこちで立ち往生の日々だった。

でも10日くらい格闘すると、ようやく遠隔教育の基本が見えてきた気がする。

まあ、これで良いなら先生は不要だ。AIでできる。

それを見越して、文教予算を削っているのか?

一方、USAでは医療の次は教育、と言われているらしい。
有り体に言えば、今から儲かるのは教育産業、だそうだ。

マス教育はそろそろ終わり、人々は自分にぴったりの物を求めて教育を受ける時代になりつつある、ということだろう。

さしずめ学校の先生は数十年後に不要になる。今から予算削っとけ、ってことか。

時代の変わり目は大変だ。

今日は卒業式、の予定が中止に

2020-03-25 21:58:40 | 大学
私が小学生の時の話(多分1973年)。
戦争でできなかった卒業式を、28年経ったその時はできるから、やりましょう、ということになって、在校生がいないのは寂しいから、5年生が在校生として参列してくれ、などということがあったことを思いだした。
クラスメイトのお母さんが卒業生だったりして、妙な気分だった。

それ以来、卒業式が中止などという事態にお目にかかったことがない。戦争の時は生まれる前だから、正確には「生まれて初めて」だ。

卒業証書は卒業生に郵送された。

これでいいのかぁ。
これまた、妙な気分だった。

しかし、当の卒業生達は盛装して大学に三々五々集まってきた。式がないなら今日でなくても良いはずだが、やはり今日が都合が良いのであろう。

しかも郵送された卒業証書を、わざわざ持参していた。
この日のために袴をレンタルしてきた者も多かった。なんでも、キャンセルするとキャンセル料が何割かかかるそうで、それはもったいないから、ということもあるようだ。

まあ、経済活動は停滞しない方が良い。

しかし、式がなくて、その後のお別れ気分だけ、という妙な気分の1日だった。

ドレミは知っているがハニホは知らないかも

2017-11-16 18:31:00 | 大学
学習指導要領は改訂されたが、ドレミは相変わらず教えないことになっている。
というと語弊があるが、正確には「移動ド唱法」の時に教えることになっている。
移動ド唱法は、どの調でも主音をドで歌うやり方。相対音感を育てるのに良いと言われている。

本当にそうなのだろうか。精度低めの絶対音感を持っている私には、全くわからない。

ただ、移動ド唱法ができると楽譜に強くなるのは確実だ。移動ドができればハ音記号を何の苦も無く読める。大学に入った時、移動ドをまともにやっておくのだった、と後悔したものだ。

それはともかく、ドレミは幼稚園児でも知っている。それは半世紀前の幼稚園児もそうだった。多分「ドレミの歌」が普及していたからだと思う。
その後もドレミファ列車とかおジャ魔女どれみとかいろいろあったはずだ。

だからもうそろそろ義務教育でドレミを教えて良いのではなかろうか。

興味深いことに、教科書には鑑賞教材としてミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」が取り上げられ、「ドレミの歌」等と書いてある。

「みなさーん、これはハニホの歌という意味なんですよ~」という授業をする先生がいるとはとても思えないのだが。

ひのまる

2017-11-04 10:59:29 | 大学
学習指導要領というものが改訂されて、多分教科書会社は改訂作業に目下大わらわだと思う。

その学習指導要領の中に共通教材というものがある。小学校の歌唱教材だと1学年につき4曲ずつある。

そういうことを教える授業の中、とりあえず数曲歌ってみようと教科書をあけたら「ひのまる」という歌があったのだ。

ヴァイオリンの教材で、その昔「日の丸変奏曲」というのを見たことはあったものの、歌ったことは小学校の授業以来一度もない。

ちなみにこの曲を知っているか学生に尋ねたら9割は知らなかった。さもありなん。

しかし、日本人としてのアイデンティティ確立のために歌え、というようなことになっている。

それも一理あるので、みんなで歌ってみた。

「白地に赤く 日の丸染めて
ああ美しい 日本の旗は」

歌詞はこれで良い。
しかし旋律のなんと平凡なこと!
ちっとも美しく感じない。

「ああ」はバロックの昔から6度上げることになっている。「川の流れのように」も「大都会」もちゃんとそうなっている。「昴」に至っては8度上げている。そうやって感動を伝えるレトリックが発達してきたのである。

試しに、昴の旋律に「ああ美しい 日本の旗たちよ」を乗せて歌ってみると良い。じーんとくること受けあいである。

そのくらいのことをやってくれないと、感動的な音楽の授業はできない、少なくとも現行の「ひのまる」では、と思った。

そろそろ文部省唱歌を作りなおそうと文部科学省は思ってくれないだろうか。

きっと勝つ

2017-01-15 22:01:07 | 大学
センター試験の昼休み、食堂でカツカレーを食べていたら、少し離れたところに受験生がやはり食事をしていた。

そこへやってきた高校の先生。取り出したのはKitKat。
これを欧米人のように「キッカッ」と呼んではいけない。
九州弁を強調して「きっとかつと」と呼ぶべきである。

それを受験生達に配っていた。
良か先生ばい。
ちょっとうらやましかった。

みんな良い成績だと良いですね。