今年の1月4日の毎日新聞夕刊に載った記事を読んで考えたこと。
天安門事件の頃、「この混乱期の中国で演奏はできない」と考え、福岡市の日本語学校に通いながら、各地を巡演する。その一つが佐賀県の多久だった。聖廟近くの公民館でコンサートを開くと、大人、子供が涙を流して聴き入った。中国でもこれほど喜んでもらうことはない。
演奏後、観客たちの言葉に心を動かされたのと同時に、生の音楽に触れる機会が少ない多久の文化状況に驚いた。長春は常に音楽会が開かれ、誰もが音楽を楽しんでいたからだ。「多久で中国音楽の素晴らしさを伝えたい」。すぐに移住を決め、聖廟を管理する「孔子の里」の中国音楽講師に就任。秋には中国から妻子を呼び寄せた。
しかし(中略)なじみの薄い中国楽器に客は集まらず、観客ゼロの舞台に立つことも。祖国では第一級の演奏家としてのキャリアを誇るだけに、何度も帰国を考えたが、使命感が勝った。
この記事を読んで、実に様々な思いが頭をよぎった。
佐賀県の多久にはなぜか孔子を祀った「多久聖廟」というのがある。中国ゆかりの地で中国音楽が奏された訳だ。揚琴というのは数十本の弦が張ってある本体をバチで叩いて音を出す楽器。実は私も揚琴を専門にしている中国人留学生の指導担当をしたことがある。その留学生から聞いた。
「日本の人は、みんなよく黙って聞いてくれるねぇ。中国人は誰も黙っては聞いてくれないよ。」
ここで、まず美しい誤解が生じているかもしれない。ちなみに、その留学生は日本人と結婚し、今でも九州で揚琴奏者として活躍している。
次に、多久に限らず、日本では音楽を聞きにいくという習慣は、まだまだ都会だけのもの、のような気がする。長春は都市圏としては700万を超える人口を持つから、立派に都会であろう。中国でも都会の習慣かどうかはわからないけれど、それだけ人がいたら聞く人もいることは想像に難くない。なので長春と多久を比較することに無理がある。
なじみの薄い中国楽器に客が集まらないのではなくて、なじみがあっても客は集まらないのではないだろうか。前述の通り、音楽を聞きに行く習慣そのものがない可能性がある。想像するに、例えば森進一とか五木ひろしならば客が集まるだろうが、マライア・キャリーとかエディタ・グルベローヴァだと、やはり客は集まらないような気がする。
つまり「音楽を聞きに行くことは楽しいことである」ということ自体の認識がない状態なのではないだろうか。そのように思われてならない。
その状況の中で、使命感に燃え、揚琴奏者としてやっていこうという心意気は大したものだ。本当に頑張れるのかなぁ、という疑問がないではないけれど、本物は生き残ると思う。件の留学生も「本物」だったので、最終的に生き残っている。
実は、その後、この揚琴奏者の活躍ぶりは寡聞にして知らないのだが、ぜひとも理想に向かって邁進してほしいものだ。