約20年前、東京のあるオーケストラにてエキストラ奏者の仕事をしていた頃の話。 ロシア人の名誉指揮者A.ヤンソンス氏が振りに来た。このA氏が振る時、このオーケストラは格段に良い音を出すのは周知の事実であった。
プログラムはチャイコフスキーの悲愴。展開部で2本のトロンボーンが交互に吹くところがある。2本目のトロンボーンがどうしてもパンチに欠けていた。そのため、なかなかきれいにつながらないのである。 A氏は何度も何度もやり直させた。でも良くはならなかった。
練習は数日あり、その度にそこを繰り返した。でも良くならない。オーケストラのリハーサル時間は限られているから、効率という点では極めて悪いことになる。オーケストラ・メンバーの心境も複雑だ。
「でも、あれを途中で止めたらクサっちゃうよ」と、ある方がおっしゃった。なるほど、そういうものかと、その時は思った。しかしオーケストラメンバー全員の時間を使っている。そこまでして良いのかどうか判断に迷うところだ。
一方、このオーケストラの常任指揮者は、とてもあっさりしている方であった。何度かやってみて出来なければ、それ以上追求はしない。 このやり方の方が現実的であろう。限られた時間の中で、一定水準以上の出来に仕上げるのがプロの仕事。少々キズがあっても全体のまとまりが良ければ、それで良いことになる。
しかし、その結果が、置き去りにされたトロンボーン奏者と言えなくもない。技術水準の向上を考えるとこの方法のデメリットも見えてくる。 つまり両者ともに一長一短、そのバランスを上手くとれる人こそ一流と言われるに値する、ということだろうか?