近頃「音源ありませんか?」と、よく聞かれる。所謂録音物のことだ。10年前は「CD(又はMD)」だったし、20年前は「(カセット)テープ」だった。 今は媒体も増えて「音源」、音源本来の意味とニュアンスが違うような気もするが、それは良しとしよう。
私達は、初めての曲を練習する時、録音物を聞いてから練習してはいけない、と育てられた。猿まねになってしまうし、楽譜を読む力も付かないからである。
その後、時代は変わった。参考にすべき録音物が増えたのである。先人の成果を研究するのは、一般的には常識だし、学ぶはマネブ、つまり真似るが語源だから、真似ることが悪かろうはずがない。
ところで、楽譜を読む訓練は、いつするのかい?
あまりにもあっけらかんと「音源ありませんか?」と言ってくる学生達、彼等に罪はないのだが、音源がなかったら何もできないというのでは、そのうち困るのではないか、と思わずにはいられない。
実際、今年の8月には井財野友人の「渡海鳴響」を福岡教育大学管弦楽団が初演する。創立40周年の記念作品だ。練習もかなりしており、おおよそのところは全員把握しているはずだ。
それが、この期に及んで「音源ありませんか」と何人もの学生が尋ねてくる。 自分達の録音ではダメで、お手本がほしいということなのだろう。
初演なのだから、間違ってもわからない。その分気楽にできるし、ある程度自由にやれる喜びがあると、こちらは思う。
全体像でないにせよ、耳にはしているのだから、スコアを眺めれば、頭に理想の音楽が流れてこようってなもんだ。
一般大学を出ても、スコアを雑誌のように読んでしまう人もいるのだから、もうちょっと「音源」などに頼らないで、音楽作りができるようにはならないのかねぇ…。