井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

信じちゃダメよ!タコ5の一説

2015-04-30 23:49:04 | オーケストラ

ベト7がベートーヴェンの交響曲第7番、ドボ8がドヴォルジャークの交響曲第8番、いずれもよく使われる略称で、その言い方が嫌いな人も結構いるけれど、実際にはかなり一般的な言い方になってしまっている。

しかし、ショスタコーヴィチが「タコ」!?

ロシア三姉妹、チャイ子・プロ子・ショスタ子はまぁかわいいけれど、ショスタコーヴィチ作曲交響曲第5番が「タコ5」というのは、ちょっといただけない。第一言いにくい。実際、あまり普及していないけれど、正直言って、この言い方は止めていただきたい。


さて、先日の「らららクラシック」で、この曲が取り上げられていた。暗号が隠されている、という謎解きつきで。

ショスタコーヴィチに謎解きはつきものだ。重要な作品には全て何らかの意味が隠されている。バッハの方法を20世紀的に最大限に押し進めた作曲家と言って良いだろう。

番組では、4楽章のテーマがビゼーの「カルメン」から「ハバネラ」の引用であり、その意味は「信じちゃダメよ」なのだと紹介されていた。

みのちゃんの解説なので、あたかもみのちゃんの説のような印象を与えるが、実際にはロシア文学者の亀山郁夫氏の説。この番組でも解説者として出演されていたが、5年くらい前だったか、NHKの教養番組でしっかり採り上げていた説である。

第4楽章の第1テーマは、いわゆる「ソドレミ」

バーンスタイン曰く、ヒット曲を作りたくば、ソドレミで始めるべし。昔、NHKの番組でソドレミだけを集めたコーナーがあったし、題名のない音楽会でも「ソドレミ・メドレー」というのをやったことがある。(そのバーンスタインご本人の最大のヒット曲「トゥナイト」はレとミが入れ替わって「ソドーミレー」…さすが!)

あまりにもありきたりの素材、カルメンと同じでも驚くことではない。

私は,以前から第2楽章がカルメンのセギディーリャと少し似ているな、と思っていたから、その点では「なるほど」と思った。

 ただ、件の箇所、元のフランス語のテクストは、

 Prends garde à toi!

村田健司訳では「気をつけろ!」となっている。

英語に Take care of you. という似たような表現があるけれど、多分careよりは強い意味のcautionとかwarningに相当するのが"garde"ではないだろうか(と、フランス語はあまり詳しくないので、違っていたらごめんなさい。)

多分「気をつけろ」という意味で「信じない」とはニュアンスを異にするように思う。

が、ひょっとしたらロシアでの一般的な訳詩が「信じない」になっているのかもしれないし、これが「気をつけろ」だったとしても、同様の警戒心を意味する暗号になっているから、スターリン批判の曲だという説は揺らがない。


非常に説得力のある、興味深い説である。訳し方の違いを除けば、全面的に受け入れるところである。

不思議に思うのは、その昔、亀山氏の説に異を唱える方はいらっしゃらなかったのだろうか。

亀山氏自身、音楽に対する造詣も深く、私個人的にもとても敬意を表する学者さんだけに、この細かい点が妙に気になるのであった。


45秒の練習

2015-04-28 19:29:57 | 音楽

「一分あれば充分練習できるんです」

これは前記事で紹介した本に出てくる、ある先生の言葉。

そうだよそうだよソースだよ。

個人レッスンの時は、5分から10分、目の前で練習させて、「ほらできた!」と言うことは多い。ついでに「この5分か10分の時間が取れなかったのかね?」と付け加えて…。

しかし、確かに1分程度の練習でできるようになることは多い。それを言い切ったところが素晴らしい。

私の感覚では10分やってできなかったことは、翌日やり直すとできるようになっていることが多い。

翌日もできなかったとなると、多少の覚悟は必要だろう。

とは言え、習得に半年以上かかる技術は、そうたくさんはないように思う。ヴァイオリンで言えば、弓元が使えるようになること、スピッカート、付点のリズムあたりだろうか。ヴィブラート、トリル、重音など、左手の技術はトータルでの時間はかかるけれど、一音のみであればそれほどではないはずだ。

練習に時間がかかるものとかからないものを区別しておくと、無駄に疲れないで済む。

という、素晴らしい方法で実績を上げたこの先生は、この3月で精華女子高を定年退職し、長崎の活水高校に行かれた。

福岡と長崎でかなりの話題になったのは言うまでもない。どうなる精華、どうなる活水?活水には小規模な管弦楽クラブがあり、吹奏楽は無かったと記憶しているが・・・。


なぜ彼らは金賞をとれるのか

2015-04-23 20:28:50 | 音楽

「10人の吹奏楽指導者達が語る強さの秘密」というサブタイトルを持つ本が数年前に出版され、最近やっと読むにいたった。

私としては「なぜ彼らはクラシック音楽の盛り上げ役になれないのか」に興味があるのだが、そう思わざるを得ない異常なほどの人気が吹奏楽界にはある。かくいう私も中高時代は吹奏楽をちょっとやったし・・・。

10人の意見が、それぞれ違ったり、同じだったりするところが面白い。中には正反対の方法をとっているところもある。

例えば、基礎練習を全くやらないところも意外と多かった。

一方で、基礎練習が打開策になったところもあった。

ただ、基礎練習をやらないところも、一人ひとりの奏法チェックはやる、というところが共通していたし、目指すところは同じで、いずれの方法でも成功していたのである。

注目すべきは、ほとんどの先生が、生徒の自主性を引き出すことの重要性を話していた。

教師や上級生は何も決めん。決めたら、生徒は教師や上級生に気に入られるために行動するようになる。ここでは自分で歩く子がええ子やからね。

自分で考えて自分で楽しんでやる。

計画を立てるのは自分自身。

こうくると、生徒が全て何でもするように見えるかもしれないが・・

生徒が全部決めて、生徒が主体の部活動です。教師はそのサポートをしているだけです。

この「サポート」が、実は尋常ではない、ということが読むとわかる。

「どんな音を出したいのか」「どんな音楽をしたいのか」というのをいじらないのが一番いいと思うんです。ただ、勝手な演奏、セオリーに基づいていない演奏に対しては注意します。

この先生のセオリー=和声のことで、これの説明はかなり入念にやっている。(同様の内容は,他の先生にもあった。)

その結果が、

生き生きして演奏している。

その音楽は生き生きとしてくる。

イキイキとした伸びやかな演奏ができている。

3人の先生が、全く同じ表現「生き生き」を使っていたことに注目したい。

これは、前記事の「舞台上の活気」に直結するのではないだろうか。

つまり、欧米人と比べると、日本人はおとなしいから等々という理由が並ぶのだが、日本人も子供になればなるほど「生き生きとした演奏」をするのだ。それが魅力的で感動的なのは言うまでもない。

さあ、どう考えるべきか。少なくとも、舞台上の活気がないのは、人種的な問題だとは言い切れないようである。

私達は、大事なものを捨て去って成長していったのか?

職業指揮者は部活動の先生と同じことをやらなければならない、ということか?

興味はつきない。


世界における我が国オーケストラのポジション

2015-04-19 07:06:37 | オーケストラ

オーケストラ連盟ニュースには、標記のシンポジウムの模様も掲載されていた。

英仏独米からジャーナリストを呼んで在京オーケストラ6団体を鑑賞・評価するという試みだ。

ただ、シンポジウムは4オーケストラ(読響、日本フィル、N響、都響)の鑑賞が終わった段階で開かれ、アメリカの方は都響しか聞いていないなど、条件があまり整っていないこともあり、これが普遍的な評価とは必ずしも言えない。

呼ばれた人たちも、一回の演奏会で評価するのは難しいと言っていたそうだし。

日本側はあくまで謙虚に耳を傾けようという姿勢があったような感じだが、欧米側は忌憚のない意見過ぎて、身も蓋もない意見も飛び出していた。

日本のオーケストラをヨーロッパ最高のオーケストラと比べることの意味はない。なぜなら遠く及ばないからで、自身の国イギリスでもごく一部を除いてそれらには及ばない。

N響はロンドンの主要なオーケストラに匹敵し、それ以外はイギリスの地方の主要オーケストラに匹敵する。

この意見には全く賛同しない。ただ、こういう聞き方をする人もいるということは参考になる。

現在の日本のオーケストラで問題にすべきは、表面にはなかなか見えてこない部分にあると思っている。表面的には、かなり整備されていて、レヴェルは決して低くないと思うからだ。私の意見はともかく、注目して良いと思ったのは、以下のもの。

(仏)実に高度な技術を持っている一方、オーケストラに必要不可欠である活気に乏しい。聴衆の高齢化は世界的な問題であり、舞台上に活気が必要。

(独)(オーケストラの良し悪しを一回の演奏会で評価することは難しい、という前置きの後)日本でドイツ・カンマーと都響のリハーサルを聞く機会を得たがドイツ・カンマーはリハーサル中、活発な議論があったが都響では模範的に指揮者の指示していたように演奏していた。

最初これを読んだ時は、フランス人が言っていることもあり「あのフランスのオーケストラのようにぺちゃくちゃおしゃべりをしながら演奏せよということか」という構図がとっさに浮かんでしまったが、ドイツ人の言う「活発な議論」を考えると、本質は以下の発言にあることに気づかされる。

音楽の示す真実より、美が重要視されているのでは?

いつぞやの「らららクラシック」で、ドイツ人は音楽に癒しを求めてはいない、のような話があったけれど、確かに日本人は音楽の示す真実などということを考えることは、あまりないような気がする。(だから日本人はダメとも思わないけれど)

ただ、それがないから舞台上の活気が生まれない訳でもないだろう。

「舞台上の活気」これはかなり重要な課題だと思った。


不動の人気曲、ブラームスの交響曲

2015-04-12 22:44:19 | オーケストラ

日本オーケストラ連盟ニュースという機関誌があって、Vol.89、2015.4-7月号の特集は「2013年度 定期演奏会 演奏回数ランキング」だった。

いくつかのランキングが載っていて、演奏曲目の他に作曲家のもの、過去数年のもの、定期を含む自主公演でのもの等、なかなか興味深かった。

2013年のものなので、やや古い感じは否めないが、それでも様々な傾向が読み取れる。

自主公演曲目の作曲家ランキングでは、多い方から

モーツァルト

ベートーヴェン

チャイコフスキー

シュトラウス一家

ドヴォルザーク

ブラームス

と、さもありなん、な作曲家が並ぶのだが、その次が

久石 譲

すぎやまこういち

アンダーソン

ラヴェル

なのだ。これを「あっぱれ」と読み取るか「ブラームスには及ばない」と考えるか「田中公平がんばれ」と解釈するか「ついでに井財野友人も」と思うか・・・。

曲目回数ランキングもあるのだが、データ集計の方法があまり精緻ではなく、正確な状況を知るにはやや物足りないところもある。

そのような表の上で、なのだが、順位としては2位、回数としては7回にシベリウスのヴァイオリン協奏曲とベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲がある。この表は過去5年間の上位曲も一緒に表記されていて、下位の方にブラームスのヴァイオリン協奏曲がある。ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番やモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番などというのもある。

そしてメンデルスゾーン、チャイコフスキーの両ヴァイオリン協奏曲が無い!

ピアノ協奏曲もベートーヴェンの「皇帝」、チャイコフスキーの第1番、シューマン、ショパンの第1番、ラヴェルの両手、ラフマニノフの第2番が載っているがグリーグは無い!

何だか腑に落ちないのだが、そのあたりが精緻でないので、本当に実態を反映しているか、よくわからない。

それにしても2013年の特徴かもしれないが、ブラームスの交響曲は全て1位(8回、第1,3,4番)と2位(2番)にランクインしているのがすごい。

特に第1番は過去5年間2位から4位をキープしていることになっている。

私の好みは、それよりチャイコフスキーの4,5,6番が好きなので、これまた合点がいかない結果なのだが、一般的にはかなり好まれている、ということか。オーケストラ側がやりたい曲なのか?

そのあたりもよくわからないが、一応大人気のブラームス、なのであった。