原題がHAVANAISE(アヴァネーズ、ハヴァナ人の女性形)だから「ハヴァナの女」と訳されることもあるが、フランスではハヴァネラのことをhavanaiseというようなので、通称のハバネラで良いだろう。
しかし、カルメンやラ・パロマ、オー・ソレ・ミオ等のハバネラのイメージからすると、何ともつかみがたい曲想で、昔は「これ本当にハバネラかね」と訝しく思ったものだ。ハバネラではない所も結構たくさんあるし・・・。
でも映画「北京ヴァイオリン」で、そのハバネラでない部分が流れた時、思わず「ええ曲やん」と思ってしまった。ので、気を取り直して・・・。
この曲に限らず、サン=サーンス自身のメトロノーム記号は冗談のように速い。メトロノームの数字が当てにならない作曲家は大勢いるけれど、サン=サーンスの場合は、本人が本気でそう思っていた可能性が高いと、私はみている。
その論拠となるエピソードがある。明治時代、音楽学者でもあった政治家の徳川頼貞侯爵がサン=サーンスに会いに行った日のこと。
訪ねると、まず執事が応対してくれた。「先生はただ今、新聞を読んでおられます。もうしばらくお待ちください。」奥からはピアノの音が聞こえてくる。「先生は、ショパンのプレリュード全曲を弾きながら新聞を読むのを日課としておられます。」
そのようなことができることに、まずびっくりだ。しかし、そのプレリュードの演奏が、どんなものであったか・・・。想像するしかないのだが、少なくとも感涙むせびなくものでも、魂を揺り動かすようなものでもないだろう。
だから薄っぺらい、などと判断するのも早計。察するに、サン=サーンスにとっての音楽は数学のようなものではなかったか、と思うからである。
と、数学をさして理解している訳でもない者が言うのもおこがましいが、たとえば数学者は数式を見て、美しいとか醜いとか言う。それは決して書き方が美しいのではなく、説明が美しいのでもなく、考え方が美しいのである。
サン=サーンスも音の並び方が重要だったので、それをどう説明(演奏)するかは二の次だったのではないだろうか?並び方を味わうのであれば、なるべく短時間に味わった方がわかりやすくて、しかも刺激的、だからあの速いテンポ表示にいたるのではないか・・・。
ただ、作曲者がそう思っても、演奏者や聴衆がそうは思わないことがある。その典型的な例がサン=サーンス、ということになるだろう。だから、演奏にあたっては「解釈」が大変重要になる。具体的なことは、また次の記事で・・・。