井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

サン=サーンス:ハバネラ (1)

2010-06-27 20:00:39 | ヴァイオリン

原題がHAVANAISE(アヴァネーズ、ハヴァナ人の女性形)だから「ハヴァナの女」と訳されることもあるが、フランスではハヴァネラのことをhavanaiseというようなので、通称のハバネラで良いだろう。

しかし、カルメンやラ・パロマ、オー・ソレ・ミオ等のハバネラのイメージからすると、何ともつかみがたい曲想で、昔は「これ本当にハバネラかね」と訝しく思ったものだ。ハバネラではない所も結構たくさんあるし・・・。

でも映画「北京ヴァイオリン」で、そのハバネラでない部分が流れた時、思わず「ええ曲やん」と思ってしまった。ので、気を取り直して・・・。

この曲に限らず、サン=サーンス自身のメトロノーム記号は冗談のように速い。メトロノームの数字が当てにならない作曲家は大勢いるけれど、サン=サーンスの場合は、本人が本気でそう思っていた可能性が高いと、私はみている。

その論拠となるエピソードがある。明治時代、音楽学者でもあった政治家の徳川頼貞侯爵がサン=サーンスに会いに行った日のこと。

訪ねると、まず執事が応対してくれた。「先生はただ今、新聞を読んでおられます。もうしばらくお待ちください。」奥からはピアノの音が聞こえてくる。「先生は、ショパンのプレリュード全曲を弾きながら新聞を読むのを日課としておられます。」

そのようなことができることに、まずびっくりだ。しかし、そのプレリュードの演奏が、どんなものであったか・・・。想像するしかないのだが、少なくとも感涙むせびなくものでも、魂を揺り動かすようなものでもないだろう。

だから薄っぺらい、などと判断するのも早計。察するに、サン=サーンスにとっての音楽は数学のようなものではなかったか、と思うからである。

と、数学をさして理解している訳でもない者が言うのもおこがましいが、たとえば数学者は数式を見て、美しいとか醜いとか言う。それは決して書き方が美しいのではなく、説明が美しいのでもなく、考え方が美しいのである。

サン=サーンスも音の並び方が重要だったので、それをどう説明(演奏)するかは二の次だったのではないだろうか?並び方を味わうのであれば、なるべく短時間に味わった方がわかりやすくて、しかも刺激的、だからあの速いテンポ表示にいたるのではないか・・・。

ただ、作曲者がそう思っても、演奏者や聴衆がそうは思わないことがある。その典型的な例がサン=サーンス、ということになるだろう。だから、演奏にあたっては「解釈」が大変重要になる。具体的なことは、また次の記事で・・・。


大胸筋

2010-06-20 00:03:30 | ヴァイオリン

福岡の5大学のオーケストラが集まって組織する「福岡学生シンフォニーオーケストラ」というのがある。そこが主催する年一回の講習会に、今年も講師として招かれ、初心者を相手に1時間の講習を行った。

始めて数か月の初心者に言うことといったら、まだひたすら左手指を動かす訓練をする時期で、それ以上のことができるはずもなく・・・という認識はあるのだが、他大学の初心者を目の前にすると、自分の大学の学生には言ったこともないようなことが絞り出されてくるから、あら不思議、である。

その一つが「大胸筋」の話。厳密には、自分の学生達にも5年に一度くらいは話すのだが、とにかく今日は久し振りに話した事柄だった。その内容とは・・・

ヴァイオリンの保持は腕でする。右腕で弓を持ち、左腕で楽器を下から支える。これが初心者に限らず、難しい時がある。長時間支え続けるのは、やはり慣れが必要。慣れないと左腕は下がってヴァイオリン本体が下を向くし、右腕もひじが下がってくる。

この、腕が下がった状態でもヴァイオリンは一応弾ける。ただヴァイオリン本体が下がると肺を圧迫してブレスが困難になる。弓が指板に行きやすくなる。そのために押さえつける傾向が強くなる。これらの要因で、結構音が悪くなるのである。

右腕が下がった状態を正しい姿勢としている流派もある。いわゆる「ドイツ式」でヨアヒムの絵を見ると、右手首が鶴の首のように突き出て、ひじが下がっている。旧東ドイツではずっとそのように弾かれていたようだし、故鈴木慎一先生もそれを正しいとされていた。

この方法は、右手首に負担がきて、難しい曲になると困難が倍加するのみならず、最悪の場合は、筋を痛める危険性があるのが欠点である。その後の流派である「フランコ・ベルギー式」はもっとひじが上がり、「アメリカ式」は右手首を全く曲げないところまで、腕全体を持ち上げて弓を持つ。

そのような次第で、楽器は床と水平に保持し、右手も手首を曲げないですむところまで高く上げて保持するのを良しとしたい。

ところが、この「高く保持」は結構難しい。実は私も学生時代、左も右も下がりっぱなしであった。なぜなら、やはりキツイ、しんどい、と思った。保持するためには、それを支える筋肉が強くなければならないのである。楽器を持つために必要な筋肉、それが「大胸筋」である。

この大胸筋を鍛える運動でもっともポピュラーなのは腕立て伏せだろう。しかし、これは40回くらいやらなると、効果が出ない。ところが一回で済む筋肉トレーニングがあるのだ。「デプス」と名付けられた体操は以下の通り。

平行棒と同じ役割をするものを見つける。いす2脚とか、いすとテーブル、など。そしてその間に体を沈める。まずは一回で良いが、2回できれば理想的である。

この体操をやった後は、本当にヴァイオリンが軽く感じられる。高く保持するのもわけなくできる。お試しあれ。(と言って、本当にやった人は少ない。たった10秒の投資なのだが・・・。ただし小学生は対象外。中学生以上の、大人の体になってからのことと受け取っていただきたい。)


サブメインと中プロ

2010-06-15 18:59:18 | オーケストラ

「ザッツ」については、その後の情報により、東京でも使われていることがわかった。何のことはない、いつの間にか短く呼称されていたのに、私がついていってなかっただけのことだった。それでも、例えば「アイザツ」と省略していますよ、などという地方はないものかと淡い期待はしたのだが・・・。

[余談]「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は「アイネク」と省略されるのが一般的ですが、「アイクラ」と呼ぶ人がまれにいます。方言かどうかはわかりませんが、「リモコン」「デジカメ」という省略法から考えると「アイネク」の方が実は変。「リモトコ」「デジタカ」と言っているようなものですからね。

オーケストラの不思議な用語はまだまだある。

オーケストラ演奏会の典型的プログラミングは「10分前後の管弦楽曲」「30分程度の協奏曲」「40分前後の交響曲」というもの。協奏曲や交響曲は、その規模の管弦楽曲に代わることもよくある。

問題は、その呼び方。九州・山口地方(だと思うが)では「序曲/オープニング」「サブメイン」「メイン」と呼ぶのだ。最初は、福岡だけの呼称かと思っていたら、今年になって山口県の某オケHPで、ご丁寧に解説までついていたから、本州にも存在するということだ。

「スラヴ行進曲」をやろうが交響詩「フィンランディア」をやろうが、「序曲」。でもこれはまだいい。「序曲ouverture」には「開く」、つまりオープニングという意味があるのだから。

「メイン」という考え方に縛られている気の毒な人が結構いる。プログラム後半に「モーツァルトの交響曲」とラベルの「ボレロ」というのを提案したら「では、ボレロがメインですか?」ときかれた。何でもいいじゃない、決めなきゃだめ?と思い、

「ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートはなにがメインなの? 青きドナウ? あれは多分アンコールだよ」

「私たちはウィーン・フィルではありませんから」

そりゃそうだ。まあ、良いでしょう。一番長い曲を中心(メイン)に感じるのは、自然な成り行きだ。

それに引き替え「サブメイン」とは珍妙な! サブが何曲もあって、そのなかのメインというならばわかるが、一曲しかないんだから「サブ」だろう?

と、年甲斐もなく学生に楯ついていたら、いつの間にか「序サブ」と、さらに省略を始めた。山本譲二と北島三郎が「与作」を歌っているようで、笑ってしまう。「ジョサブは木を切る・・・」

と、九州出身で東京に出ている知人に話したら、

「そりゃやっぱり、前プロ・中プロ・本プロだろう」

は? ナカプロとはけったいな。今度は長風呂を連想してしまう。関東地方では、かなり一般的に言われているようだ。

「1曲目、2曲目でいいのにね。」

と、関東出身で関東在住の友人に言われて、ようやく落ち着きを取り戻した。

ところが最近、中プロという言葉を使った福岡の学生を目の当たりにした。どうしても2曲目ではダメのようで・・・。

ちなみに、合唱と吹奏楽では「ステージ」という言葉を使う。この「ステージ」は小曲の集合である。オーケストラも時には、このような小曲の集合であるコンサートをやってもいいと思うのだが、滅多なことではやらないのである。みんな交響曲が好きなんだねぇ・・・。


パウル・クレーと児童絵画

2010-06-12 21:16:03 | アート・文化

面白いことは良いことだ。が、面白いことも重なるとやはり疲れる。とは言え、それで文句を言うのは罰当たりだ。やはり感謝すべきことである。

6月10日は、そのような一日だった。朝から九州交響楽団の事務局長を招いてのレクチャー。60代後半とは思えないマシンガン・トーク。音楽業界の大先輩ではあるが、世代としては親の世代に近い。しかし、自分も充分旧世代であることを認識させられたお話だった。

これについては、別の機会で語るとして、その後、大学院の講義をしたのだが、前の感動が残りすぎて、なかなか本題にはいれなかった。話していくうちに、ようやく平静さを取り戻して、それは何とか終了。

そして、午後はFD研修会の準備とお世話である。お世話と言っても、大したことはしないのだが、私はFD委員会の委員であり、この研修会は委員会のメインの行事である。

FDとはFaculty Development、直訳すると「大学教員発展」だが、要するに新任教員に対する研修会で、中核教員が講師を務めて、新任さん、がんばれよ、と言う場である。私も5年くらい前に講師をした記憶がある。

参加する前は、常に面倒な気持ちを引きずっているのだが、始まってしまうと、結構面白いことが多い。今回は特に、美術の佐藤先生が破天荒な展開Developmentで、時間オーバーもいいところだったが、強烈に印象的だった。

もともと美術の先生方は、皆さん面白い。意見のまとまらないこと夥しく、一緒に仕事をするのには大変な困難を伴うのが普通だが、個人的にお話すると、全員それぞれの世界を持っているのが特徴的で、しかも話好きが多い。

19世紀の美術は写実的なものから出発して歴史画を描くのが終着点として挙げられる。それを印象派が壊しにかかり、ピカソ等で大転換という美術史の話から始まり、「アボリジニやインド、アフリカの美術は幼稚だから、西洋人が教育してやろう」という発想があったこと、その資料として収集していたプリミティブな造形の数々を見ていた西洋人が、ひょっとして西洋よりアジア・アフリカの方が幸せなんちゃう?と気づいていった過程。

かと思うと、自分たちで「作った」粘土で作ったテラコッタ風の造形を附属小学校の児童に3年やらせた実践例。

それらを写真や実物やスライド入りで話される。話したいことが山のようにあるから、時間内に終わる訳はない。やや収拾がつかないきらいはあったが、様々な点で勉強になったのは確かである。

その一つに、音楽にも関連するパウル・クレーの話がある。19世紀の発想ではクレーは幼稚で片づけられてしまう。しかし、19世紀には写真がなかったのである。絵画には現在でいう写真の役割もあったので、一概に責められないが、これら写実的な絵を書くことは技術的に訓練すれば誰でもできることなのだ。これは現代的視点に立つとアート、芸術ではないことになる。

一方、児童美術というものも20世紀に生まれたものだそうだ。子供の描く絵の典型として、ねむの木学園の絵を見せられた。足が三本で、どちらを向いているかわからない動物のようなものの絵であった。ねむの木学園のスタート時は、子供たちにどうやって「普通」の絵を描かせるか試行錯誤したらしい。しかし、それがいかに無駄な努力であるかを思い知らされたという。

「でもね、子供たちが描く絵、そこには確実に彼らの世界が描かれている訳なんですよ。」

この「世界」が重要なのだと、佐藤先生は力説されていた。子供の感性でしか描けない世界である。ある方向から見れば幼稚にしか見えないが、別の方向から見るといくらでも想像力を刺激する要素が含まれている。

それを洗練させた方向に位置づけられるものとしてパウル・クレーの作品があるという。「パウル・クレーがわかればね、児童美術はOK」なのだそうだ。なるほどねえ・・・。

このレクチャーそのものは新任教員を主な対象としており、その中にはオリンピックのメダリスト(シドニー、アトランタ)もいらっしゃる。そのような新任教員に向かって話すことなどあるのかいな、と思わなくもない。が、堂々たる佐藤先生、話の脈絡はあまり感じられないものの、そのメダリストを含め、皆さんを感動させてしまったのはさすがであった。

ここで思い出すのが、昔、ある先輩が語ってくれた言葉である。

「やっぱり先生はさぁ、先生が一番面白いと思っていることを教えてくれるのが一番いいね。」

これに尽きる。話の脈絡なんてクソくらえ、オーストラリアやらインドネシアから持ってきた珍妙なものが、いかに面白いか、あの手この手で説明されると、聞き手は段々その気になる。それが教育の理想の一つだとも思う。その理想を実現させるには、やはり教える側が、その伝えたいことが大好きだと、いくらでもパワーが湧いてくる。

このような破天荒な美術の先生達、その「貴重な狂気」とでもいうものを受け取れる機会がなかなかない。この先生も今年で定年だなぁ、と思うと、ちょっと寂しい気がしたのも確かであった。


ごくあくだいかん

2010-06-09 21:59:54 | まち歩き

昨日は「学内演奏会」という名の発表会、1年生から3年生まで、弦楽器や管楽器を主として学習している学生の発表の場である。こんなささやかな場でも、緊張のあまり全まくいかない学生もいるのだから、やはり重要な学習の機会である。

で、さらに重要な打ち上げの話である。

近所の「握代憾(あくだいかん)」という店で行われた。ちょっと前に学生が立ち上げた店、ということで身内の話題になったのだが、堂々立派に営業を続けている。

そこでとれあえずはビールなどを飲んでいたのだが、ふと気まぐれに「握代憾」というカクテルを飲んでみることにした。メロンリキュールとウォッカのカクテルだそうだ。これは強い、はずだが、ちびちび飲んでみると、結構飲める、結構おいしい。

店の人が「ごくあくだいかん、というのもありますが・・・」

などとのたまう。そんなものはいらない!・・・と私は言ったはず・・・なのに・・・「持ってきちゃいました」

冷酒のグラス程度のカップにつがれた無色透明の液体。聞けばポーランドの蒸留酒で「96度」あるという。残りの4は何なんだ?

ライターで火がつけられた。ボーボー良く燃える。ブランデーなどの、チロチロ燃えるのとは訳が違う、完全にアルコール・ランプ状態。いやあ、このまま全部燃やしてしまおうか、と思っていたら、店の人が「早く火を消してください」だと。

口で強く息を吹きかけたら、火は消えた。グラスを顔に近づけるだけで、強い香りが漂う。口をつけようとしたら「あちっ」

「え、そんなにすごいですか?」

「いや、火のおかげで、グラスが熱いんだ」

お酒の部分は冷たいのに、上は触れないくらい熱いというのも変わった経験。そう簡単には飲めないようにできている。

グラスもようやく冷えてきて、やっと口に含むことができるようになった。なめる程度に口に入れてみる。フワッとさわやかな香気が口中に広がる。これはいい。

ところが、それを飲み込むと大変。カーーーッ、とくる。そこらにある液体をなんでもいいから飲みたくなる。あわててチェイサーとしての水を注文して、ようやく人心地がついた。

でも、この口に広がる清涼感がたまらない。それを楽しんだ後、水を含み、口中でブレンドしてから、おもむろに飲み込む。これは楽しい飲み方だ。何のかんの言いながら、グラスの半分近く、なめてしまった。M市も珍しいものが手に入る街に、いつの間にかなってしまったのだなあ、と一人感慨にふけることしきり。十数年前は、新しいビールさえ入手困難だったのに。

おかげで、今日の昼まで、どこかほろ酔い気分。ごくあくだいかん様にはかなわねえな・・・。