昨年の音楽の友10月号に,ウィーン・フィルの座談会が掲載されていた。そこまで言ってよいのか,というほど,古今の指揮者が俎上に上げられ,本音で語られていた。
その中で気になったのが「ドゥダメル」についてのコメント。
F:彼はもの凄い才能を持っていて,他の若手とは次元が違うところにいます。ティーレマンを除いて,今最も有名になっている若い指揮者と一緒にすべきではありません。
A:ドゥダメルのCDを聴きましたか?信じられないような広いレパートリーを持っている素晴らしい才能で,今売れている他の若い指揮者とはカテゴリーが違います。つまり比較にならない段階の才能です。
つまりベタ褒め。これがムーティ,アーノンクール,オザワにケチがついた後に出てくるのだからたまらない。
それから半年して,ようやく録画を見る機会が訪れた。ヘルリン・フィルのヴァルトビューネ・コンサートで,曲はヒナステラの「エスタンシア」。
この曲は井財野,気になって仕方がない曲である。井財野版を出したい誘惑に駆られるのだ。しかし,なぜそれをしないかというと,やはりこれは大した曲ではないのではないか,と思ったからだ。
「エスタンシア」は農場の一日を描いたバレエ音楽。バレエだから,音楽としてさほど充実していなくても用は足りる。でも音楽として多少なりとも面白いとコンサート・レパートリーに加わる訳だ。4曲の組曲だが,4曲目の「マランボ」が独立して演奏される機会が多い。
さて,この「マランボ」は面白いのか?
20代前半の頃,浦和の音楽鑑賞教室のオーケストラで10回弱演奏したことがある。忘れもしない,指揮のアルガ先生の話によるとクラリネットのアライさんの提案でプログラムに加わったことになっていた。
2拍子と3拍子の交錯するリズムが,ラテン的熱狂を巻き起こす。この手の曲は,基本的に私は大好きなはずだった。最初は面白がって弾いていた。しかし,その満足感が一向に押し寄せてこないのである。隣で賑やかにやってはいるが,自分が参加できている実感がなく,終わったら疲れだけが残る。
賑やかにやっている人達は満足かというと,それはそれで疲れ果てている。一見,面白そうで,ちっとも面白くない,変な感情が残る曲だった。
何かが悪い,ということを漠然と感じながら時間が過ぎていった。その後,何年おきかにテレビで様々な演奏を見ることができた。デュトワ指揮のモントリオール,同指揮のN響,バレンボイム指揮のベルリン・フィル等が思い起こされる。
共通していたのはオケメンの「つまらなさそうな」表情!どのオケも「お仕事,お仕事」という顔で弾いていた。これで一つの結論を得る。
「オーケストレーション(管弦楽の楽器配置法)が悪い」
アンサンブルの楽譜は各パートを興味深く書く,というのが鉄則である。そうしないと,どこの一流でも「お仕事顔」でしか演奏しない。「エスタンシア」のオーケストレーションは各パートあまりにも同じ繰り返しパターンが多い。
という訳で,配置を変えると面白い曲になるかも,とは思った。だけど,大変な作業である。そこまでの価値があるかなあ,やはり無いかもなあ,という風に思っていた。
そこへ,今回のドゥダメルの演奏である。
最初に演奏されたチャベスの交響曲からして響きに独特のスパイスを感じた。これは違う,確かに違う。ひょっとして「エスタンシア」も・・・
面白い!やはり良い曲かも・・・2曲目など実に美しいではないか・・・
そして終曲「マランボ」
速い!これをゆっくり演奏する人は皆無だが,それにしても1割方速い。ちょっとのことだが,演奏は数倍難しくなる。なのに打楽器などは奇跡のアンサンブルと呼びたくなるほど,ピタッとはまっていた。
この速いテンポのこともあって,演奏者全員が緊迫感あふれる表情なのだ。決して「お仕事」ではない。ベルリン・フィルだからと言うなかれ。前述の通り,バレンボイムが振ったのもベルリン・フィル,同じヴァルトビューネだ。この時は「お仕事」なのである。バレンボイムだからと言うなかれ。別の曲ではあるが,この時のピアソラを超える演奏はそうあるものではなく,私はDVDを買ったくらいなのだ。
終わってから客席から歓声がわき上がるのは当然,演奏者もパユを始め「やったぞ!」という笑顔に満ちあふれていた。つまらない弦楽器パートを弾いていた弦奏者でさえ,つまらない顔はしていなかった。オーケストラをその気にさせるのは一流指揮者であることを証明している。
一割速くするだけ,と思うかもしれない。しかしこれが簡単ではないのは,やってみればわかる。「あんたねぇ,バレンボイムでもこれでやってんだよ」と普通は睨まれておしまい。
今後,このテンポが標準になることは考えられる。でも,コロンブスの卵だ。バレンボイムでも発見しなかったのだから,やはり偉業と言って良い。
デュトワ,バレンボイムが成し得なかったことを,やってのけたドゥダメルは,やはり冒頭のウィーン・フィル・メンバーの言葉通りの存在となるしかない。要注目である。
という訳で,井財野としては,井財野版「マランボ」にまた食指が動きかけている。