大学生だった頃,田中千香士先生が「先生は,そんなに長々と同じ人に習うものではない」とおっしゃっていた。
千香士先生は,「スケールが服を着て歩いている」ジャン・フルニエ(チェリストのピエールの弟)に1年,ガブリエル・ブイヨン(シェリングの師匠でもある)が一番長くて3年,そんなものだ,と・・・。フランス滞在はもっと長いから,他の先生もいらっしゃったはずだが,話題にはならなかった。
えーっ,と思う反面,そうだよね,とも思ったものだ。 子供の頃は別として,大人になると,どんな先生でも師事して2年を超えると,段々中身が薄くなっていく感じがする。千香士先生は結構顕著で,2年を超え出した我々は,密かにささやきあっていたのであった。
「どうする?」
「でも,ツィガーヌ習ってないし,フォーレもまだだし,その辺りをやればまだ1年分はあるかもしれない。」
「そうやって考えれば,まだ大丈夫か・・・」
と,不謹慎な会話ではあるが,弟子は弟子で必死だったのである。
また,千香士先生の,ある特定のレパートリーに対するレッスンは,強烈に面白いものだった。それが最初からわかっていれば,それだけを受け続けて3年くらいは充分に「もつ」のだが,それだけ受ける訳にはいかないのである。やはり基本的レパートリーは一通りやるべきなので。 この先生で大丈夫だろうかという不安と,まだこの先生から学びとれていない焦り,これが3年目は続いた。
そして4年目になる少し前,新しい非常勤の先生が見えることになった。
「誰か,行きたい人は?」
「はいっ!」
と,手を挙げたのは言うまでもない。(手を挙げさせて決めるものだろうか?という若干の疑問もあったが。)
「そうか。では君はM先生に育ててもらうんだな・・・」
ここで,今度は強度の寂寥感におそわれる。千香士先生ほど,そばにいて愉快な先生はいらっしゃらないからである。新天地を求めたい,でも離れたくもない,一体どっちなんだ?と自問自答する。
結果的には,M先生に変わったことで,急速に成長できた。でも,M先生の演奏旅行の間に,千香士先生のところへ行ってツィガーヌやフォーレを教えてもらったのである。このくらい貪欲でなくちゃね。
という訳で,先生の寿命は3年くらいかな,と思っている。ただ,これは基本的な技術がある程度できてからの話である。基礎ができる前に先生をいろいろ替えるのは,場合によって無駄が多いから,あまり薦められない。
現実には相性の問題もあるから,さっさと替わって正解,というのもあるし,いつまでも基礎ができず,とうに7年を超えて教える場合もある。基礎訓練にずっと付き合うのは、教える側も楽ではない。皆さん早く上達してくれ、と祈るのみ。