今月上旬だが、ある工業大学の研究室紹介のイベントを見る機会があった。
そこで興味を惹いたのが、ある院生の研究テーマ。「自動演奏を自然に聞こえさせるためのソフト開発」である。
自動演奏そのものは随分前に実用化しているのだが、楽譜をそれこそ機械的に演奏させるのでは、聞いていてちっとも面白くない。それをこのソフトが開発された暁には、人間が弾いているような緩急が自動的につけ加えられ・・・ゆくゆくは音楽療法の現場でも用いられるだろう、との説明があった。何でも電子ピアノは年間15万台作られている市場があるそうだ。一方、音楽療法については演奏者が全く不足しているという。
ふーむ、工学系人間の発想を久しぶりに聞いた。一方的な説明を真に受けると、大変夢のある話だ。しかし、その説明に使われた楽曲が、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「熱情」。もうちょっとかわいらしい曲から始めないと、いくら何でも無理でしょ、と音楽屋さんはまず思う。
そして「音楽療法」、これは日本ではまだ厚労省が認めていないので民間療法の一つになるはずだ。
音楽療法の演奏者が足りないから、自動演奏のピアノで、というのはまさに工学系の発想。そして私が半ば当然のように思い出すのは、工学部と医学部を卒業した我が旧友。以前「感動の定量評価」で本ブログでも紹介したあの人物である。
彼に尋ねると、音楽療法は効果があるという。直らなくてもベターライフになるのではと経験的な手応えがあるのだそうだ。彼自身は、音楽や芸術の医療への可能性を信じているとのこと。
診療を音楽で行えるとは考えませんが、欧米では病院でコンサートをやることは、いたって普通のことのようです。成功した音楽家はそのようなボランティアをやることが社会的に要求なのかボランティアなのか、やることが当たり前になっているようです。
医療と音楽を始めとする芸術の効果に科学のメスを入れることが、我々の役目なのかもしれません。また一方で、力を持つものなら何でも使いたいと考えるのが医者なんでしょうね。人類が生まれて以来、音楽、演劇、詩、文学、美術が続いており、常に医療以上に評価されているところからも何か理由があるのでしょう。
と彼は言うが、芸術が医療以上に評価されているってことは無いでしょう・・・。
音符通りに弾いても面白くないように、ヒトが介在する尤度のようなものがある方が心地良いのは以前、神戸で話題になったと思います。工学ではファジー理論なるものがあり、まさにロボット工学などで利用されています。
ファジーは1990年前後にかなり話題になって、その後定着した言葉だから、さすがに知っているけれど、何ですか、これ・・・
「尤度(ゆうど)」
人間を半世紀ほどやってきて、まだ知らない日本語があることに困惑したり感動したり。
尤度関数・・・簡単に言うと「もっともらしさ」を数値にしたものと言えるか?(ちょっと違うような気もするけれど、早い話が説明できるほどには理解していない。)
話を戻すと、音楽以外では写真より絵画、活字より書道のように、「完全なものより不完全なものが好き」なのではないか、とのたまう。うーむ、不完全ねえ。不完全という意識はなかったが。
将来は、新しいプログラム言語などが開発されて、自動演奏ができるのかもしれませんね。(でも人材を育成する方がヒトとして良いのではと思います。)
最後になって、ようやく我が意を得たり。ロボットの演奏で病気が良くなるとは、あまり想像したくない話。みなさん、聴いて心地よくなる演奏を目標に、がんばりましょうね。