同じく最高なのはラヴェル。第一次世界大戦前に作られたことを考えると、それまでのラヴェルの総決算、音楽的遺書のように思えてくる。第3楽章のパッサカリアではピアノが沈黙する箇所があり、極度の緊張が襲ってくるが、これがまたしびれるのである。
そしてショスタコーヴィチの第2番。冒頭のチェロはヴァイオリンよりも遥かに高い音域を演奏する、これまたしびれる名曲。第2楽章のアップ弓の連続も超難しいが、チェロが名手でないと演奏できない名曲。
ロシアでは敬愛する人物が亡くなるとピアノトリオを作る伝統があり、ショスタコーヴィチもその一人だが、その伝統を作ったチャイコフスキーは、つい先日まで私は嫌いだった。
あの延々続く変奏に辟易していたのだが、先日ピティナでお世話になったピアニストの田中氏曰く、
「あの繰り返しがやっているうちに好きになっちゃうんですよ。カットしたこともあるけど物足りなくって。やっぱりまた来たまた来たっていうのがいいですねぇ。」
そう思って聴き直してみたらあろうことか好きになってしまった。
これ以外に何があるか…。
ドビュッシーにドビュッシーらしさを期待しなければそれも可。
ショパンとラフマニノフ、ピアニストが名手ならば可。
井財野作品にも「ナハ・トリプティーク」というのはある。
アレンスキーはくだらない。フォーレは不可解。
あとは「無い」と言いきろう。
こんなものなのだ、ピアノトリオの世界は。
ただし、編曲ものはなかなか楽しくできる。だから、ピアノトリオの可能性はまだまだ未開拓だと思う。
そしてショスタコーヴィチの第2番。冒頭のチェロはヴァイオリンよりも遥かに高い音域を演奏する、これまたしびれる名曲。第2楽章のアップ弓の連続も超難しいが、チェロが名手でないと演奏できない名曲。
ロシアでは敬愛する人物が亡くなるとピアノトリオを作る伝統があり、ショスタコーヴィチもその一人だが、その伝統を作ったチャイコフスキーは、つい先日まで私は嫌いだった。
あの延々続く変奏に辟易していたのだが、先日ピティナでお世話になったピアニストの田中氏曰く、
「あの繰り返しがやっているうちに好きになっちゃうんですよ。カットしたこともあるけど物足りなくって。やっぱりまた来たまた来たっていうのがいいですねぇ。」
そう思って聴き直してみたらあろうことか好きになってしまった。
これ以外に何があるか…。
ドビュッシーにドビュッシーらしさを期待しなければそれも可。
ショパンとラフマニノフ、ピアニストが名手ならば可。
井財野作品にも「ナハ・トリプティーク」というのはある。
アレンスキーはくだらない。フォーレは不可解。
あとは「無い」と言いきろう。
こんなものなのだ、ピアノトリオの世界は。
ただし、編曲ものはなかなか楽しくできる。だから、ピアノトリオの可能性はまだまだ未開拓だと思う。