井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ピアノトリオの名曲②

2017-02-27 22:41:00 | 音楽
同じく最高なのはラヴェル。第一次世界大戦前に作られたことを考えると、それまでのラヴェルの総決算、音楽的遺書のように思えてくる。第3楽章のパッサカリアではピアノが沈黙する箇所があり、極度の緊張が襲ってくるが、これがまたしびれるのである。

そしてショスタコーヴィチの第2番。冒頭のチェロはヴァイオリンよりも遥かに高い音域を演奏する、これまたしびれる名曲。第2楽章のアップ弓の連続も超難しいが、チェロが名手でないと演奏できない名曲。

ロシアでは敬愛する人物が亡くなるとピアノトリオを作る伝統があり、ショスタコーヴィチもその一人だが、その伝統を作ったチャイコフスキーは、つい先日まで私は嫌いだった。
あの延々続く変奏に辟易していたのだが、先日ピティナでお世話になったピアニストの田中氏曰く、
「あの繰り返しがやっているうちに好きになっちゃうんですよ。カットしたこともあるけど物足りなくって。やっぱりまた来たまた来たっていうのがいいですねぇ。」

そう思って聴き直してみたらあろうことか好きになってしまった。

これ以外に何があるか…。

ドビュッシーにドビュッシーらしさを期待しなければそれも可。
ショパンとラフマニノフ、ピアニストが名手ならば可。
井財野作品にも「ナハ・トリプティーク」というのはある。

アレンスキーはくだらない。フォーレは不可解。

あとは「無い」と言いきろう。
こんなものなのだ、ピアノトリオの世界は。

ただし、編曲ものはなかなか楽しくできる。だから、ピアノトリオの可能性はまだまだ未開拓だと思う。

ピアノトリオの名曲①

2017-02-26 19:45:00 | 音楽
同じく「クァルテットのたのしみ」に「ピアノトリオは圧倒的な名曲でなければならないと思うのは、筆者だけであろうか」という一文がある。

その一文に洗脳されてしまったかもしれないが、圧倒的でなくとも「名曲」でないと、やる気はしないのは筆者井財野も同様である。

では、何が名曲だろうか。

やはり弦楽四重奏曲に匹敵する魅力がないと、名曲には入れられない、というのが井財野の観点である。

その考えから、ハイドン、モーツァルト、シューベルトは外れる。シューマン、ブラームスもピアノ四重奏と比較したら数に入らない。

残るは…

まずベートーヴェン。「大公」は圧倒的な名曲と言って良いだろう。あと、有名な「幽霊」は名曲に入れて良いと思う。
「街の歌」はどうでも良い曲。クラリネットでやるのは仕方ないかなと思うが、ヴァイオリンでやるのはBGMでしかないと思う。

そしてメンデルスゾーンの2曲。第1番だけ超有名だが、第2番も質的には全く遜色ない。メンデルスゾーンに関しては、弦楽四重奏曲よりも圧倒的名曲である。

続いてドヴォルザークの「ドゥムキー」
最後に「ETのテーマ」が出てくる。ETの作曲者J.ウィリアムスは言った「盗むなら最高の物を盗め」
「ドゥムキー」最高!

やってあげてる感満々の弦楽器奏者

2017-02-24 21:38:00 | 音楽
室内楽が大好きなピアニストが集まった。例のピティナの本番後の写真。


この後、打ち上げがあったのだが、徐々に本音が出てくる。

その中で、ピアノトリオを組んでいた相手の弦楽器奏者が、段々「やってあげてる感満々」になっていくということが話題になった。

私は日頃から、ピアノを弾く人は必ずアンサンブルをするべきだというのが持論だし、そのための協力を惜しむつもりはない。

だから「やってあげてるなんて、何と失礼な」と言う…

これは建前の自分であることを告白しなければならない。

正直に言うと、長くやっていると、段々「やってあげてる感」が強くなる。

生まれて初めて演奏したピアノを含む室内楽曲はメンデルスゾーンのピアノトリオ第一番。

チェロはなかなかカウントができないし、ピアノはなかなかイン・テンポで弾けないし、まさにヴァイオリンを弾いて「やってあげてる」状態。

では、他の二人がしっかり弾ける状態ならばどうか。

もちろん、喜ばしく演奏するだろう、少なくとも最初のうちは。

ここで、根本的な問題が見えてくる。

ハイメラン著「クァルテットのたのしみ」という、弦楽四重奏について書かれた名著、いや、ひょっとしたら「バイブル」がある。
その中に、

「弦楽四重奏をしていたら、そこにピアノを加えようなどとは誰も考えないものだが」

という一文がある。

そう!洋の東西を問わず、弦楽器奏者はそう思うのだ。室内楽好きのピアニストの皆さん、ごめんなさい。
皆さんとは、是非二重奏をさせていただきたい…。

そして、弦楽器奏者の皆さん、くれぐれもピアニストにはそのような本音を言うべからず。ピアノトリオであれ、ピアノクァルテットであれ、していただけるのであれば、丁重にお付き合いして、感謝の意を決して忘れないようにしましょう!

さようなら佐世保市民会館

2017-02-21 18:34:00 | 旅行記


筆者が生まれた頃に建設された佐世保市民会館が、先月で閉鎖された。

そこで育っていない私でも、様々な思い出があるホールである。

長崎市に住んでいた高校生の頃、NHKの合唱コンクールをわざわざ「聞きに」行ったのが多分初めて。これは、同級生からの誘いで出身中学校の応援をしようということになったから。結果は見事に県予選で最優秀校に選ばれた。
ちなみに、私が出場したその前年は優秀校で九州大会へは進めなかった。

次に行ったのはNHKの公開収録だったと思うけれど、海野義雄ヴァイオリンリサイタル。
長崎市と佐世保市は7、80キロ離れており、行くだけで結構大変。

それでも覚悟して行った。そして「音響がいいなぁ」とため息をついて帰るのである。そう、このホールは多目的にもかかわらず、響きが悪くないのであった。

次にはもう大学生になっていた。NHK交響楽団のエキストラ奏者として、ここで初めて演奏した。あいにく雨がずっと降り続き、メンバーもかなり疲れていた。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、第3楽章の再現部でソリストのTTさんが、ついに1フレーズ弾き忘れてしまったのが忘れられない。

その後、東京アーティスツ合奏団等、演奏の機会はいろいろ増えてきたので省略するが、もう一つ紹介したいのは内装のデザインである。



これは1月、私が最後に使わせてもらった集会室の写真。佐世保市民管弦楽団の練習風景である。
この天井に注目していただきたい。
通常の蛍光灯の間に、機能美あふれる照明器具があるのがわかるだろうか。

言って見れば、高度経済成長期のモダンシャンデリアとでも表現できそうなもの。この、ちょっとした贅沢感が、私にはたまらない魅力である。

入った瞬間に「うわあっ」と感動すること、建物というのは、すべからくそうであってほしい。

ちなみに長崎市民会館の練習室には、感動するものが何もない。

一方、今世紀に同じ佐世保市にできた「アルカス佐世保」にはそれがある。

そして同じ頃長崎市にできた「長崎ブリックホール」には、あまりない。

こういうことも、何故か受け継がれていくようだ。
良い伝統を持つ佐世保は恵まれている。

罪作りな分数ヴァイオリン

2017-02-20 18:20:01 | ヴァイオリン
昨日出演した「ピアノステップ」であるが、ヴァイオリンの幼稚園児は出番の前、なかなか本番モードに入ろうとしない。

「じゃあ、一緒に弾こうか」と私が言って、控室で一緒にバッハのメヌエットを弾いてあげた。すると、しっかり本番モードに入った。
のみならず、リハーサルであれだけ粗野な演奏をしていたのが嘘のように、本番では品良く弾いていたのだ。

ここで、ハタと気づいた。
多分、その子は自分の出す「分数ヴァイオリンの音」が恥ずかしくて、あまり他人に聞かれたくなかったのではないか。だからふざけてごまかして、周囲の注意をヴァイオリンから逸らそうとしていた…。

自分の幼稚園時代の記憶がよみがえってきた。

私も分数ヴァイオリンの音が嫌だった。どうして分数ヴァイオリンは先生のヴァイオリンみたいに響かないのだろう、とずっと思っていた。

正確には、サイズを大きくして最初に弾くときだけ「わぁ響いた!」と思う。これがちっとも長続きしないのである。すぐ「子供ヴァイオリン」の音になってしまう。

その点、ピアノはとりあえず「大人ピアノ」の音だ。美しさを追求したら、いくらでもできそうな気がする。

分数ヴァイオリンにはそれができない。だから、多少汚い音でも「分数だし」と大人達も思ってしまう。
イントネーションが甘くても、やはり「分数だし」いずれ大きくなったらまたやり直しだから、現段階ではこれで良いと言ってしまう。

この状況が嫌な子供もいる、ということかもしれない。
しかし、それはなかなか難しい問題だ。
とりあえず「感受性が豊かですね」と褒めるくらいしか手はないか…。