井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

アニソンの神、下関に降臨

2015-03-23 20:04:30 | アニメ・コミック・ゲーム

神は、目一杯のサービス精神を発揮し、豪華ゲストと共に降臨した。

アニソン歌手のきただにひろしさん。もう40代後半の齢にして頭髪の4分の1は赤かった。下の写真はきただにさんのブログに載っていたもので、右端に実は筆者が写っている。

 

ファミリーソングシンガーという肩書きの山野さと子さん。最初に「ドラえもんのうた」を録音された、言ってみれば「正調ドラえもん」みたいな方。

そして声優の田中真弓さん。こちらも齢還暦にして、振りをつけながら歌いきる姿は感動もの。

それに前記事で紹介した少女ドラマーまで揃えた訳で、これを豪華と言わずして何と言おう。

その上で、御大田中公平氏。

 かなり元気な出演者の様子がわかる写真ではないだろうか。

ついでに、お客さんも元気が良いのがわかる写真だ。いつものオーケストラの聴衆とは全く違うお客さんが、客席最前列を占めていた。後でわかったのだが、関西、関東からはるばるかけつけたファンも少なからずいらしたそうだ。

 半月前のリハーサルの時は、とにかく田中神の元気さに後押しされて、全体が進んでいった感じ。でも、その時のことを以下のように「田中公平ブログ」に書かれている。

どこのオーケストラもそうなんですが、最初は、こちらの事も分からないので、探り合いになります。

しかし、リハ終了後は、お互いに認め合い、非常に良いコミュニケーションが取れます。

音楽はやっぱり世界中共通言語ですし、こちらが熱く、エネルギー満タンで臨めば、だいたい伝わらない事はありません。

この姿勢にまず心打たれた。

そして、このブログの存在に気づいたのが本番直前、控え室の中でオーケストラメンバーの誰かが見つけた。

下関の本番の1週くらい前、台湾でのコンサートがあったらしい、そしてそこで首と肩をかなり痛めているようだ。道理でゲネプロの間、ずっと首をかしげていらっしゃる。これは指揮者がよくなる病気というか怪我というかなのだが、多分当然、台湾でもエネルギー満タンで臨んでいらした結果なのだろう。

そんなことを全く感じさせない本番の姿が、上の写真である。

まさに体をはっての本番、頭が下がった。


本番が終わって何日しても、その時の曲目が頭から離れないので、楽譜を買おうかと楽器店に行ったら、ほとんど無かった。これらは全て十数年前の流行で、出版社に問い合わせても在庫はないとのこと。

よく考えてみればその通りだ。かなり世間とずれているマイブーム、どうやってつきあおうかと考えあぐねているところである。

 


アニソン界の神、降臨!

2015-02-24 22:24:08 | アニメ・コミック・ゲーム

田中公平 with 下関市民オーケストラ「オーケストラで聴く人気アニメ音楽」、とチラシやポスターにかいてあった。

神と言うには、かなり普通、いわゆるサラリーマン風とでも言うような風貌の写真が載っている。

曲目は全て・・・よくわからない曲。知っているのは「ドラえもん」と「となりのトトロ」のみ。私が知らないだけではない。オーケストラのメンバーの9割は、私と同じ状況だったようで、誰に尋ねても、何だかよくわからないコンサート。

「アニソンって何?」「アニメのマラソンだろ?」大体、そんな認識からのスタートである。

それのリハーサルにコンマス代理として先日参加した。

初日はカラオケ(歌なし)だったので、わからないものはわからないまま終わった。

とにかくオーケストレーションが複雑で、ここまで細かく書き込まなくても、というのが正直な感想。しかも、時々何調の曲なのかわからなくなる。調性も単純ではなかった。


翌日、田中公平氏がお見えになった。プログラムの半分以上が田中氏の曲で、ピアノを弾きながら、なんと「歌う」のであった。歌われたのは、

・ビンクスの酒

・We go!

・We are

シンガーソングライター出身の作曲家ならともかく、東京芸大とバークリー音楽院を出た作曲家で、まともに歌う人を、私は寡聞にして知らない。

歌は、まともなどという生易しいものではなかった。そこら辺のアイドル歌手は吹っ飛んでしまう、抜群の上手さ。そして、前日のリハーサルは言う所の「画竜点睛を欠く」状態だったことを、オーケストラメンバーは知るところとなった。

複雑なオーケストレーションに段々意味が出て来た。

そして私は(大げさではあるが)戦後日本のアニメ音楽の発展ぶりを肌で感じることができて、感慨無量だったのである。


日本のアニメ音楽は、昭和一ケタの作曲家が礎を築いた(この上の世代は映画音楽世代でアニメは無かった)。

5年前にも似たようなことを書いたが、一応復習すると、代表格は冨田勲(1932- ジャングル大帝etc.)と宮川泰(1931-2006 宇宙戦艦ヤマトetc.)

この昭和一ケタ世代の活躍が長かったのは、戦後日本の全ジャンルに共通していることである。

冨田がシンセサイザーに方向転換しなければ、別の発展をしていたかもしれないが、総じて高度経済成長期のスコアリングは、粗製濫造が目立ったし、プレイヤー側も今程の技術を持ち合わせず、有り体に言えば、安っぽいサウンドが耳についた。

オーケストラ側から言えば、楽器のことをあまりよくわかってないなぁ、という楽譜がかなり多かった時代と言えるだろう。


その昭和のアニメサウンドを聞いて育った世代が、現在第一線の作曲家達になる。必然的にサウンドは洗練される訳だ。

これは演奏家もまた然り。昔がひどい演奏だったという訳ではないが、宇宙戦艦ヤマトの録音で集まったヴァイオリニスト、外山滋先生は「戦艦大和」の映画音楽だと思っていた、という話も5年前に書いた。

さらに重要なことは「オーケストラの各パートは、面白く書かれなければならない」という鉄則が守られていること。

今回演奏する曲は、全て面白い、をやや通り越して複雑で難しい。(後でオリジナルのバンド編成のものを聞くと、なぜここまで音を書き込むのかがわかってくるのだが…。)ほとんどの曲で頻繁に転調がある。

例えば「Family」という曲。聞いただけならば2ビートの緩めの感じがする。

基調はホ長調なのだが、ワンコーラス終わる間に、ハ長調→変ホ長調を経由してホ長調に戻る。その間に借用和音(ホ長調の部分にホ短調の和音を使うようなこと)も多用される。

おまけに、スウィングという指定があり、8分音符の連続を3連音符の長短をつけたように演奏して、しかも本物の3連音符も混じっている。

で、転調する間に4ビートになったり、1小節だけ2拍子が挿入されたり「これで合っているの?」みたいなブルーノート(ジャズで使う音)もある。

極めつけは「We go!」

始まりは単純明快なハ長調、と思いきや、臨時記号がいっぱいで、実質イ長調。それがハ長調に変わり,イ短調を経過して変ト長調(フラット6つ!)、これは8小節で終わり、臨時記号で変ホ長調に変化、そしてハ長調に戻る。1分間あたりで5つ以上の調、これをぐるぐる回るのだ。

しかも四分音符が176というアップテンポ。それをノリノリの田中氏が歌いまくり、最後には、楽譜上での3点ハ音(実音で2点ハ、俗に言うハイC)を伸ばして終わる・・・。

と、文章にしても、あの熱気はまるで伝わらないのだが、とにかく、この田中氏の歌声が決め手になって、オーケストラ全体がロケットに積み込まれて連れて行かれたような気分だった。明らかに、自分以外の力で「ノリノリに」させられている!

数名の熱狂的なワン・ピース・ファンを除き、もう何が起きているのかわからないアラ50のおじさんおばさん集団が大多数。

「全く、若いモンが・・・」と一部思っていた人もいたようだが、田中氏現在61歳、それを知ったアラ50集団は固まってしまった。

私の頭の中に、マタイ伝による福音書の一節がよぎった。

本当に、この方は神の子だったのだ

ただのキャッチコピーだと思っていたけれど、作曲して、それを歌いまくって、それでオーケストラをノリノリにさせてしまう(映画「ベン・ハー」のガレー船もちょっとばかり想起したけど)。しかも、作品は前述の通り、高度な技法が単純な形式の中に盛り込まれている。

そして、これらの作品は、既にロンドン、パリ、モスクワ等でも演奏されていて、現地のファンも熱狂させているとのこと。

そして、当然英訳もあるようだが、楽譜には堂々と日本語でタイトルが書いてある。

「海賊王になるんだ Kaizokuou Ni Narunda」

決して、I'm becoming the Pirate King ではないところが嬉しい。文化交流的に考えれば日本政府のはるか先を行っている。

これらは、大げさではなく神業と言えるだろう。

と、大いなる元気をもらった私、田中神の隠れ信者になってしまった。


なぜゲーム音楽か(4)21世紀に向けて

2010-09-19 22:08:44 | アニメ・コミック・ゲーム

「ジャングル大帝」「宇宙戦艦ヤマト」「ドラゴン・クエスト」と三つの音楽に対する思いを綴った。全て好きだという訳ではない。ただ、重要な共通点があるのである。これらの作曲者の生年に注目していただきたい。冨田勲(1932)、宮川泰(1931)、すぎやまこういち(1931)、いわゆる「昭和一けた」、私からすれば親の世代、つまり三人は同世代である。

あらゆるジャンルで「昭和一けた」の皆さんは、同じ特徴がある。それは、その上の世代が戦争でいないため、かなり若い時から日本の中心的な仕事をし、それがまた長く続いたのである。もちろん、戦争の苦労もしているから、良い事だけが廻っていたわけではないのだが。

御多聞にもれず、上記のお三方も長く日本の中心的存在だった。それは羨ましいところもないではない。ただ、やはり敬意を払いたいのは、間接的に文化を背負っている姿勢が感じられることである。戦後の復興を文化面で切り拓こうという姿勢である。

もっと具体的には、皆さんクラシック音楽に対する畏敬の念が感じられ、宮川氏やすぎやま氏は、(結構はっきりと)自分の音楽とクラシック音楽との結びつきを願った発言等がある。(冨田氏はシンセサイザーで世界のトミタになってしまったので、さらにその先を行った感があるが。)

皆さん、消耗品の商業音楽ではなく、クラシック音楽同様、文化として伝えられる音楽を目指しているという方向性が、はっきり感じられる。だからオーケストラ編曲に耐えられる作品になっているし、そうすると、さらに吹奏楽等に編曲したものも含め、音楽愛好家が楽しむ機会がさらに増える。これが文化でなくてなんであろうか。

ヤマトの音楽、ドラクエの音楽、アニメやゲームを離れて楽しむことができたし、楽しんでいたのだ。演奏側から言えば、それをレパートリーに入れることによって、聴衆を獲得できたのだ。ここが大事なところだ。享受する年代層がぐっと広がる。

昨今のゲーム音楽で、それができるか?

韓ドラブームは、歴史問題、竹島問題をあっさり乗り越えて、親韓派を作った。日本のゲームも実際は尖閣諸島問題をあっさり乗り越えている。ただこれが10代20代の若者中心で、それ以上に広がる要素があまりないので、文化にも平和にも貢献していない。このゲーム製作者に昭和一けたの気概があったら、世の中変わるよ ! ゲーム作りの皆さん、何とかしておくれよ。


なぜゲーム音楽か(3)ドラゴンクエスト

2010-09-08 01:13:09 | アニメ・コミック・ゲーム

譜面台に「ドラゴンクエスト」書かれた譜面が置かれていた。

「何ですか、これ?」

「なんかテレビゲームの音楽だって。ドラがゴーンと鳴って質問するとか・・・」

「はぁ・・・」

1987年、全国の土地が異常に値上がりしだす、いわゆる「バブル期」の始まりの頃の話。最初はテーマ音楽だけだったのが、ある時から組曲になっていた。「ドラゴンクエストIII」略して「ドラクエIII」、この音楽が交響組曲として作り直され、N響が録音したディスクが発売されたのだ。

「ドラクエIII」も売れたが交響組曲のディスクも売れた。確かゴールドディスクをコンサートマスターの徳永さんが受け取っていたような覚えがある。(「ドラクエIV」だったかもしれないが。)

とにかく、この音楽は小学生を中心に有名だった。例えば「ロトのテーマ」と呼ばれる曲がある。これはゲームをする度に自動的に流れ出すものだ。いやがおうでもこのメロディは覚えてしまう。ゲームだと三声の電子音なのだが、これがオーケストラに編曲されると、一転ゴージャスなサウンドに変化する。これはやはり感動的なことだ。

翌1988年頃、小学校で「ドラクエ」の音楽を演奏しようものなら、会場騒然となり、ロック・コンサート状態になったこともあったのだ。この興奮状態、残念ながらベートーヴェンの「運命」やルロイ・アンダーソンの小曲では起きたことがない。文字通り「前代未聞」の珍事(慶事?)と言えようか。

その後、「ドラクエIV」が売り出される時には、発売前に長蛇の列ができ、テレビ局、新聞社、こぞってそれを報道する「社会現象」となっていた。そして、これまた「交響組曲」が作られ、私も幾度となく弾く機会があった。

その後も「VII」あたりまで作られていたようだ。それらの音楽が全て広く受け入れられた訳ではないと思うし、多分「III」と「IV」あたりがピークだっただろう。でもそれで充分だと言いたい。

重要なのは、この音楽が基本的に「歌謡曲」だったことだ。作曲者のすぎやまこういち氏はご存知歌謡曲の大家、「恋のフーガ」「モナリザの微笑」「学生街の喫茶店」に連なる系譜の音楽なのだ。前述の「ロトのテーマ」などは、ちょっとひねるとそのまま山口百恵や岩崎宏美の世界に連れていかれるよう音楽である。

この事実に私は一種の感銘を受けた。日本人って2、30年たって、つまり一世代分時間がたっても、同じ音楽に心ひかれるのだなぁ、と。

そう思ったのが約20年前。そして現在もそうか、と見渡すと、そうでもないように見える。20年前には永遠不変に思えた「歌謡曲」の世界の絶対的な立場が、随分影が薄くなっているような気がする。これは、あまりいい感じがしない。この点に関しては、また別の形で考察をしたいところだ。


なぜゲーム音楽か(2)宇宙戦艦ヤマト

2010-09-01 21:00:48 | アニメ・コミック・ゲーム

1960年代生まれ、中でもその前半を中心に、昭和50年代、爆発的なヒットとなったのが、この「宇宙戦艦ヤマト」。他にもアニメはいろいろあったのだが、この人気には及ばない。猫も杓子も、という感じ。(こうなると、私は好きになれない天の邪鬼であった。)

余談だが、アニメという言葉も、この頃定着したと思う。昭和40年代は「漫画映画」と言っていて、「動画(アニメーション)」は専門用語に近い響きだった。動画が定着したのは21世紀になってからかなぁ。少なくとも「ヤマト」を「動画」と言った人は皆無。

ただ、ヒットに至るまでは、結構時間がかかったと聞いている。企画そのものは、まず手塚治虫の「虫プロ」から始まったが、虫プロの倒産で、まず難産。1974年にテレビ放映なるも、「ハイジ」に押されて視聴率低迷で一端打ち切り、とアニメ本体もなかなか苦労の船出だったそうだ。

で、ここで問題にしたいのは音楽である。作曲者の故宮川泰氏は、この「ヤマト」の音楽に大変な愛着を持っていたという。アニメがダメでも音楽だけ何とかならないかと、あちらこちらに売り込んだらしい。

途中経過は知らないのだが、作曲者の熱意がついには天に通じ、当初相手にされなかった時から数年を経て、交響組曲「宇宙戦艦ヤマト」の誕生に至った。ただのサントラ盤ではない、オーケストラ用に改編された「交響組曲」だよ!

これがまた、売れたんだなぁ。我々の世代は、ほぼ全員その交響組曲を聞いているに違いない。豪華ジャケットのLP、そうそう手の出るものでもないから、友達から借りてカセットテープにダビングして、という感じで、またたく間に普及していった。

気を良くしたプロデューサーと作曲者、ほどなくして第2弾も出た。この中でヴァイオリン・ソロが活躍していて、当時ソリストとして活躍していた外山滋さんが弾いていたのが目をひいた。

その昔「バイオリンのおけいこ」という番組があって、江藤先生や鷲見先生に交じって外山先生も結構出ていらしたので、かなりの有名人だった。東京芸大の非常勤講師もされていたので、ある後輩がヤマトのことをちょっと尋ねたら「ああ、あれ戦艦大和の映画の録音だと思ってたんだよ」だそうで・・・。

ついでに、これらの交響組曲はオーケストラ・メンバーも全員クレジットされている。後々読んでみると、芸大オーケストラやら読響メンバーの名前があったりして、業界人としては興味のつきないところである。閑話休題。

とにかくアニメ本体だけでなく、その音楽にも中高生が夢中になった。当時私はこともあろうに吹奏楽部に所属していた。その1年先輩方が、楽譜を自ら起こして、次の本番でやろう、などということを企て、私も内心その多少不出来な編曲に心中文句を言いながら、演奏に参加した覚えがある。何カ月か待てば大手出版社から楽譜が出たかもしれなかったのだが、そんなものは待てなかった(ひょっとしたら買えなかった?)。すぐにでもやりたい!と、こんな光景が、どうやら全国で展開されていたようである。

さらについでに書けば、私は大栗裕の「バーレスク」(吹奏楽コンクールの課題曲で、うちの学校はエセ・ディスコ曲を選んだおかげで吹けなかった幻の名曲)の方に夢中だったので、ヤマトはジャマト思っていた。

30数年前の当たり前の光景、熱意。宮川さんの情熱に端を発し、中高生が燃え上がる。このようなことがポケモンにあるだろうか。